「ひとの心に植物を植える」をテーマに、世界中で植物にまつわるプロジェクトを手がける、そら植物園 代表で、通称"プラントハンター"の西畠清順さん。「六本木アートナイト2016」では、名和晃平さんとともに、六本木の街に文化の夜明けを象徴する「森」を出現させます。清順さん曰く「未来を考えるのは植物を考えることと同じ」。その理由とは?
このインタビューのテーマは「六本木×未来×植物」と聞いてますが、僕に言わせれば、未来イコール植物。大げさにいえば、未来を考えるのは植物について考えるのと同じだと思っています。
歴史を見れば未来がわかるって、よく言いますけど、4億5000万年前に植物が地球に上陸したとき、この地球には文化もなければ、宗教もアートも何もありませんでした。そういう意味では、植物はすべての素。最先端の技術を追求すればするほど、本当に大切なものは何なのか、その大本に立ち返らないといけない。感度のいい企業、時代をつくるようなクリエイターやアーティストは、みんなそれに気づきはじめている、今はそんなタイミングでしょう。
僕は関西人なのであんまり詳しくないんですけど、六本木は、時代の最先端が具現化された場所だと感じています。この街が、東京で、日本で、あるいは世界で指折りの場所を目指すとしたら、当然、緑や植物についても先進的であるべきですよね。
六本木で街頭インタビューをして、「この街って緑多いですか?」って聞いたら、「多い」って答える人はけっこう多いんじゃないかと思うんです。でも、「東京ミッドタウンにどんな木植わってました?」「あそこの通りの街路樹なんでしたっけ?」って聞いたら、「あれ、何の木やったかな......」ってなるはず。
みんな、ここに有名建築家の手がけた建物があるとか、おいしいパン屋さんがあそこにある、という情報には詳しいのに、自分が住んでいる街の街路樹の種類すらわからない。企業のCSR活動なんかを見ていても、「どこどこに木を何本植えました!」っていう、本数重視の場合がほとんど。
でも、もっと質重視、メッセージ重視で、人の心を打つやり方は絶対あるはず。たとえば「今の3倍六本木に木を植えよう」じゃなくて「ここにちゃんと木があるよね」って気づかせる考え方が大切。まずはそれを六本木から発信できたら、世の中変わるんじゃないかな、って。
"気づかせる"ひとつのヒントは、手前味噌ですけど「代々木VILLAGE」がいい例。そこでは「共存」をテーマに、世界各国を代表する植物が集まって仲良く暮らす世界をつくっています。
代々木VILLAGE
ガーデナーやランドスケープの人たちは、どうしても植物をデザイン、コーディネートしようとしますが、本当に大切なのはコンセプト。だから僕はその枠を1回取り払って、普通は絶対しないような組み合わせを選びました。中国の木の横にペルーの木があって、その横にアルゼンチンの木、オーストラリアの木......。そうすると「これ、一緒に暮らしてて大丈夫なのかな?」って心配になりますよね。これも"気づかせる"ひとつの方法。
木のプロフィールを書いたプレートにも、難しい科名・属名・種名ではなく、僕のつぶやきみたいなコピーを載せています。それがすごく面白いって言われて、実際いくつかの市町村から街路樹のプレートをつくってほしいという依頼もありました。そう「たかがケヤキ」を、いかに「されどケヤキ」にするかは、プレゼンテーション次第なんです。
普通に考えるなら、街には緑が多いに越したことはないでしょう。だって、人間が建物をぶっ建てる前は、緑に覆われていただろうから。今この場所から東京ミッドタウンの庭を眺めてみても、ソメイヨシノもあるし、ケヤキもあるし、向こうにヒマラヤスギも見える。プラタナスやクスノキ、イチョウ、セコイアっていう世界一大きくなる木もあれば、モミジも柳もあります。
いろんな種類があるのはいいんですけど、日本で目にする街路樹って、流通に乗ったものばかり。そもそも、街路樹はこうでなくてはいけない、っていう法律はないんだから、もっと多様性を持たせられるはずだし、曲がった木や古い木を使ったっていいはずなのに。
海外に行くと、街路樹の中にポンと、樹齢何百年みたいな木があるんです。でも、そういうことを知らないから、流通にのった木をただ落とし込むだけになっちゃう。「六本木には緑が多いですね、じゃあ代官山の緑と何が違いますか?」と言われても答えられない。そもそも同じパレットの中から絵の具を選んでいるようなものだから、当たり前ですよね。
僕がプランツディレクターを務めた複合施設「パークシティ大崎」は、まったく違う考え方でつくられています。たとえば、街路樹を決めるにあたって提案したのは、1本1本違う並木でした。
パークシティ大崎
コンセプトは「オーガニックシティ」。この話をしはじめると明日の晩までしゃべらないといけないので簡単に説明すると(笑)、オーガニックとは「有機的」という意味。「有機的」というと、なんとなく「無農薬」みたいなイメージがありますが、そうじゃなくて、本来は異なる要素が集まってひとつの集合体をつくっている様子を表した言葉なんですね。
パークシティ大崎の計画には、商業施設、住宅、エンターテインメントや公園、オフィスもあって、いろんな要素から街が成り立っていました。まさに異なる要素が集まってできる、有機体のような街です。それをよく使われる意味合いの「有機的」と掛けて、街づくりできないだろうか、と考えました。「自然に寄り添った街をつくる」ことをテーマにしているのに、同じピッチで同じ高さに切りそろえられた同じ種類の木が植わっているほど不自然なことはないでしょう? 僕はランドスケープデザイナーでも庭師でもないけれど、植物の専門家としてプロジェクトに関わる以上は、街路樹ひとつでも、そのコンセプトを体現したいと思ったんです。
最初はもちろん、「前例がない」と反対されました。でも、海外の事例などを一つひとつ説明していくうち、なんとかそれを実現しようと一丸となってくれた。「街路樹なんて1種類でいいじゃん」って言ってた人たちの脳みそが、少しずつ有機的になってきたんですね(笑)。
たとえば、パリのシャンゼリゼ通りは、きれいに刈り込まれたプラタナス並木ですが、裏側のフォッシュ通りの並木はガーデンのようになっていて、いろんな種類の木が自由な間隔で植わっています。そこを、おじいちゃんおばあちゃんが散歩しているんですよ。
なにより、自分が死んでも自分が植えた木は残ります。会議で決めたことが100年後まで影響すると思ったら、やり逃げできない。ランドスケープは、建築よりもずっとスパンが長いですから。今は植えたばかりだからわからないけど、10年後、20年後には全然違うタイミングで花が咲いたりするでしょう。そんな僕のメッセージが、死んだ頃くらいに伝わればいいな、って思って。