アートに頼るのではなく、六本木自体がアートになる。
広告会社のアートディレクターとして数々のキャンペーンを手がけるかたわら、国内外でインスタレーション作品を発表、ガラス製たまごのテーブルウエアシリーズ「バーンブルックのたまご」などのオリジナルプロダクトに、フィギュアスケート高橋大輔選手のコスチュームデザインなどなど、えぐちりかさんの仕事はとにかく多彩。広告クリエイターであり、アーティストでもある、えぐちさんならではの人を楽しませる街のつくり方とは?
私、六本木には、公私ともにお世話になっているんです。2009年に、JAGDA新人賞をいただいてからは、展示に参加させてもらったり、JAGDA賞の審査をさせてもらったり。私の作品「バーンブルックのたまご」シリーズを、学生時代に置いてくれたのは六本木ヒルズのミュージアムショップだったし、今は制作をお休みしていますが、国立新美術館の「スーベニアフロムトーキョー」でもオープン時から取り扱ってもらっていました。
JAGDA賞
プライベートの話をすると、30歳の誕生日をお祝いしてもらったのも六本木だったし、しかも......プロポーズをされたのも六本木なんです。今は全然そんな感じじゃないんですけれど、独身で絶頂期だった頃は、記念日は六本木で、みたいな(笑)。
結婚してからも、家族で森美術館に出かけることもあるし、映画を観るのはTOHOシネマズ 六本木。自分にとってこの街は、ちょっとだけ非日常を楽しむ場所。それはもちろんすてきですけど、最近はセレブでコンサバなイメージが強いので、もうちょっとだけはっちゃけてほしい(笑)。そうすれば、日常的に行きたいと思える場所になるのかなって。
せっかく「デザインとアートの街」というのなら、街全体からアートを感じられて、少なくとも街がアートと同じくらいの面白さにならないと、わくわくしないですよね。しかもどこかで成功した事例とか、安全パイを狙っていくんじゃなくて、もっと既成概念をくつがえすような。
たとえば、駅を降りた瞬間、360度どこを見てもアートが置いてあるとか。もちろんパブリックアートを置くのもいいし、わざわざ美術館に行って作品を鑑賞するのも悪くはないけれど、街を箱と考えるんじゃなくて街自体がアートだって考えていくと、全然違うものが生まれるはず。アートに頼るんじゃなくて、自分たちがアートになってみる、というか。
アートの街の標識はどういうふうになるんだろう? アートの街の広告はどういうものがいいんだろう? 私が美術館にアートを観にいく理由は、頭をもっとやわらくしたいとか、こういう考え方もあるんだという気づきをもらいたいから。全然違う価値観を見せてくれるのがアートだし、それを見いだしてくれる人がアーティストだと思っています。だとするなら、アートの街の標識も広告も当然、どこかで見たことがあるものや、ましてつまらないものじゃダメですよね。
一歩踏み込んだだけで、ここは普通の考え方でつくられた街じゃないんだって感じさせるくらいインパクトがあったら、「六本木を見てみたい!」ってなると思うんです。
バーンブルックのたまご
仕事をするときにいつも意識しているのは、「広告ってここまでだ」とか「デザインってここまでだ」っていう、その"ここまで"を、できるだけ広げたいということ。広告ってどうしても媒体も決まっているし、いろいろ制約も多いので、広告に対して寛容な街をつくるのも面白いですね。
たとえば、街の一角がそのまま広告になっちゃう。その広告も普通のつくり方じゃなくて、ビジュアルはアーティストに頼んでみる、平面じゃなくてモニュメントやパフォーマンスだっていいかもしれない。コピーライターではない人にキャッチコピーをつけてもらう。それをクリエイティブディレクターがまとめて広告として落としこんでいくような。
今までにない広告をつくるなら六本木だよねという評判が広まれば、世界中からそんな街を見てみたいという人が集まってくるので、自然と拡散もしていく。もちろんクライアントだって集まりやすい。面白い広告を打つなら六本木がいいよ、ってなるんじゃないかな。
インスタレーションや絵本など、私は広告屋にいながら個人で作品もつくっていますが、そもそもアートだからとか、デザインだからということを、ふだんあまり意識してないんです。目的が果たされていればオッケーというか。広告なら当然、この商品を売りたいとか、好きになってほしいとか、クライアントの要望としてお客さんに伝えたいことがありますよね。アートの場合は、それが自分の中から出てくるものや、設定したテーマだというだけ。
どちらにしても、どうやって人に想いを届けるかっていうところは変わりませんよね。もしかすると、ストレートに伝えるんじゃなくて、全然違う方向から着地させたほうが面白いってなるかもしれない。じゃあ、今まで見たことがなかった表現にチャレンジしてみようかとか、いつもそうやって考えるようにしています。
パンのおうさま
この間、タイのナイトマーケットに行ったら、すごく狭い場所に、食べ物や服に加えて、生きた魚や大量の動物が、ぎゅうぎゅうにひしめき合って売られていました。ちょっと怖いくらいで、「何これ!ヤバい!」って。暑いしずっといると気持ち悪くなってしまうんだけれど、子どもたちにも見せたい、こんな世界もあるんだよって教えたくなるような場所でした。
六本木もセレブでコンサバじゃなくて、ギリギリで、これアリなんだみたいな、クレイジーな方向を狙ったほうがいいのかもしれない(笑)。たとえば「六本木アートナイト」は、今は1年間に数日の学園祭のようなイベントですが、365日ずっとやっているってなったら......。そういう「ヤバさ」があると、また来たいとか、そこから刺激を受けたいっていう人が世界中から集まってくるはず。
でも、そういう場所をつくるには、他でも売られているようないいものをバーッと集めてもたぶん無理で、そこにしかない何かをつくらなければいけません。もちろん、ただギリギリで危ない街じゃダメで、ヤバさと日常がうまく調和した「ギリギリだけどアリな街」。そのためには、きっとアートだけじゃなくて、デザイン的な力も必要になってくるでしょうね。