アートナイトをケーススタディにして東京オリンピックを”自分ごと”に。
記念すべき50回目となるクリエイターインタビューは、auのスマホを使った参加型イベント「FULL CONTROL TOKYO」をはじめインタラクティブな作品を生み出し続ける、ライゾマティクス代表の齋藤精一さん。4月に行われる「六本木アートナイト2015」ではメディアアートディレクターも務める齋藤さんの話は、いつしかアートナイトを飛び越え2020年のオリンピックへ。まずは個人的に今、六本木でやってみたいプロジェクトから、どうぞ。
いろんな人に話しているんですけど、かの有名なイタリアンレストラン「キャンティ」がつくってきたデザインやアート、文化というものを、いつかもう一度まとめられたらいいなと思っています。もしかしたらこれ、今やりたいプロジェクトナンバーワンかもしれないですね。
キャンティ
もちろんすでに本が出版されているのも知っているし、この間NHKでやっていた元オーナー夫人、(川添)梶子さんの番組も観ましたが、やっぱり"断片"なんです。さまざまな分野の諸先輩からもよく当時の武勇伝を聞くんですが、その印象ともちょっと違う。僕が知っている限りでも、関わっている人はとにかく膨大にいるし、ここでは言えないような深い話もたくさんあるはず。
キャンティに集まっていた諸先輩方の中には、世代的にもう現役を引退されていたり、亡くなられてしまった方もいるので、撮るなら今しかない。あの場所で何が語られ、そして何が起きたのか。それらをつなぎ合わせて、フィルムとか文字でちゃんとドキュメント化しておきたいんです。
この街では学生時代から遊んでいましたが、六本木ヒルズができて、東京ミッドタウンができて、いい意味でも悪い意味でも、だいぶ変わりましたよね。もともと僕も美術作家として活動していたので、その目線でいえば、国立新美術館ができて、六本木アートナイトがはじまって、街ぐるみでアートが表現できる場所になったという印象。反対になくなってしまったものも、たくさんあるでしょう。
今って、「どこに遊びに行きますか?」って聞かれたときにみんなが一斉に答えるような場所、あそこに行けば必ず誰かがいるっていう場所がないじゃないですか。つてのキャンティのように、今日はこの格好で、このマインドだから行っても負けない! みたいな特別な場所が。
キャンティをはじめ、六本木はいろいろな文化が生まれ続けてきた街。いや、文化が生まれてくるというよりは、小さかった文化のタネを大きく育ててくれるインキュベーター的な存在といったほうがいいかもしれません。
正直なところ今まで、僕の中で六本木は好きでも嫌いでもなくて、何か理由がないと来ない街でした。でも、六本木アートナイトに関わりはじめて、面白いところがたくさんあるというのにも気づいて。最近では、ひとりで街を歩き回っては、「あ、ここにこんな駐車場があるんだ!」とか「東京ミッドタウンの裏の庭をもっと遅くまで開けてくれないかな」とか、「六本木交差点を交通規制をするのは無理だろうけど、一瞬だけでも止められないかな」「街じゅうにあるたくさんのビジョンを連動させて何かできないかな」なんて妄想しています。
僕は六本木アートナイトが、街と連動した、みんなが参加できるようなイベントになるといいなと考えています。なぜ、こんな誰もが掲げるであろう当たり前のことをあえて言っているかというと、それは、2020年の東京オリンピックを意識しているから。今年のアートナイトは、その練習の第1回目。アートナイト実行委員会はもちろん東京都も、オリンピックに向けて、ここ東京でどういうことができるのかを考えながら動いていると信じています。こうやったら人って参加してくれるんだ、あるいは自分自身を含め、人がつながっていく方法を実施レベルで実証実験していきたいと思っているんです。
自分がこんなことがやってみたいという理想論とか、海外の◯◯みたいなイベントをするべきだとかいう大義名分なんかはもうどうでもよくて、現実的にここで何ができるか。道路交通法や景観条例といった制約もあるし、それぞれの施設が持っている想いもあるでしょう。僕の役割は、とにかくみんなを巻き込んで、このイベントを六本木の"全員ごと"にしていくこと。本当の意味で、人と人がつながる場所をつくらないといけないと、今、強く感じています。
アートナイトでの、僕の役職は「メディアアートディレクター」。メディアアートのいいところって、スマホとかタブレットとか、身の回りにあるネットワーク化されたツールを媒介にして、すぐにつながれること。ただ面白いからスマホをいじっているだけなのに、俯瞰してみると巻き込み型のアート作品になっている、というように。
auの「FULL CONTROL TOKYO」というプロジェクトで、増上寺と東京タワーをバックにきゃりーぱみゅぱみゅのライブをしましたが、まさにそれをイメージしました。仕掛け自体が単純に面白いし、どんなCMを観るより深く強く記憶される。そういう経験は、現代美術ではなかなかありません。現代美術って、人の生活とちょっと遠い存在じゃないですか? 彼女と美術館に行ってアート作品を観る。もちろんそれはすばらしい経験でしょうが、やっぱりまだ現実の自分との間には乖離がある。最近メディアアートが取り沙汰されるのは、よくも悪くもデザインとかアートとか広告の領域を横断してしまっているからでしょう。
FULL CONTROL TOKYO
ちなみに、去年のアートナイトのテーマは「動け、カラダ!」でしたが、いきなり動いたり踊ったりするのは一般の人にとっては少しハードルが高かったかもしれません。踊り方もわからないし、ちょっと恥ずかしいし。よく僕はメディアアートを、ドラえもんに出てくる「ガリバートンネル」にたとえています。最初入るときは小さいけれど、出てくるときには大きくなっている。テクノロジーを使ったアート表現ならば、みんなが参加したり、巻き込まれたりする敷居を少し下げてあげやすい。デジタルを使ってつながったり、参加する感をもっと強く打ち出していけたらいいですね。
僕はもともと建築出身なので、ふだんから街発信で企画を考えることに興味があります。同じくauのプロジェクトで、渋谷のスクランブル交差点をディスコにする企画のように、「実は街ってもっと面白いんだ」ということを、外的な力を使ってつくることにもすごく魅力を感じていて。最近では、古田秘馬さんたちと一緒に、仙台で「地下鉄東西線WE」プロジェクトという街づくり的なこともはじめました。
僕がかつてアートの世界にいたときに感じていたのは、アーティストなんて、半径2メートルくらいの人しか幸せにできないし、幸せにしようとは思わないということ。でも、だんだんそのエリアを広げていきたいじゃないですか。その場にいるみんなが幸せな状態、みんなが感動しているエモーショナルな状態ってあると思うんです。たとえばお祭りはそのひとつだし、日曜のお昼にやっている「NHKのど自慢」なんかもそう。あの中には、とにかくハッピーしかない。司会の人がサラッと「去年、お父さんが他界されたそうで?」と聞くと、参加者は笑顔で「ハイ!」。会場を見ると遺影を持って応援している家族もいるけれど、みんなが幸せ。この飲み込み方はすごいな、と。
「仙台市地下鉄東西線 WE」プロジェクト
年をとったからかもしれませんが、ねぶた祭に行ったり、のど自慢を観たりすると、なぜか泣けてきちゃうんですよね(笑)。それはきっと、その場にいるみんなが見ている幸せの強度と方向、ベクトルの長さと向きが同じになっているからだと思うんです。
そういうふうにならないと、オリンピックも「人ごと」で終わってしまうし、「自分ごと」にできないとその輪の中にも入れない。結局、経済効果的にも残念なことになってしまう。自分ごとにするというと大げさですが、なんだっていいと思うんです。外国人観光客がたくさん来るだろうから英会話をはじめようとか、英語に翻訳したメニューでもつくってみようかとか、ウチの前に聖火が通るから装飾しようとか、看板を塗り替えようとか、パレードの横でフランクフルトを売ってみようかとか......。
2020年東京オリンピック・パラリンピック
ロンドン五輪の直前、僕はちょうど現地でインスタレーションをしていたんですが、聞いた限りでは、それほどみんながお祭り的に盛り上がっているわけでもなさそうでした。東京オリンピックでは、競技会場の大部分が選手村から半径8キロ圏内に集中させるそうなので、少なくともその中では、みんながある程度、同じ強度と熱さを保っていたい。まあ、僕がオリンピックで何かをやるわけではないんですけど(笑)、いつ始まっていつ終わるかも知りません、みたいなのはやっぱりダメじゃないかなって。
アートナイトの少し前の2月に六本木を中心に開催され、僕らも毎年参加している「MEDIA AMBITION TOKYO」は、プライベートカンパニーだけでつくるイベントです。これは、同じ時期にやっている「文化庁メディア芸術祭」の"裏版"としても企画されたもので、作品展示はもちろん、パーティやライブなどお酒を飲みながらの交流もできるし、昔でいうパトロネーゼのような人にも出会える。このイベントは、今の時点では「官」を入れることはできるだけ避けたいと個人的には考えています。
MEDIA AMBITION TOKYO
一方で、街全体を使ったり、施設を横断したりする六本木アートナイトは、絶対に官が入っていないと成立しないイベント。官と民が一緒になってつくるのがアートナイトのいいところだし、それがうまくいっているからこそ、認知度もこれほど上がっているんでしょう。
ただ僕も含めてなんですけど、これまではみんな、断片的にしかイベントを観ないんですよ。東京ミッドタウンで誰々のライブがあって、そのあとどこどこでイベントがある。時間が空いてるから1回飲みに行くか、みたいな。そうやって一度アートナイトの輪から離れて、また入ってくるんじゃなくて、どこに行っても楽しいし、どこに行ってもつながれそうな雰囲気をつくっていきたいんですね。
イベントをやるうえではもちろん、道交法的に無理ですとか、景観条例的に無理ですとか、24時間は開けられませんとか、そういう規制もたくさんあります。たとえば、いまだによくわからないのが、これだけプロジェクションマッピングが一般的になっているのに、道路を挟んだ状態で映像を照射できないこと。たとえ映像を車や人の目線より高くしていても、もしよそ見して事故が起きたらどうする、なんて話が出る。じゃあ、広告だって全部ダメじゃないのと思うんですけど......。
法律ですから、いくら紙の資料をつくってプレゼンしても絶対に説得できません。理解してもらうには、少しでも多くの実証実験をすること。六本木アートナイトが、ここまでは大丈夫、ここまでやったら危険、あるいはこういう解決方法がある、というのを考えるきっかけになればいい。僕らも官と一緒に勉強会をしていて、彼らもものすごく頑張って動いてくれている。この間、ハロウィンのときには六本木の街なかでパレードもありましたし、少しずつ変わってきているのを実感しています。
街をこう使いたいとか、こう使えるんじゃないかとか、みんなが東京という街を"ハック"できる状態を今のうちにつくっておかないと、2020年には間に合いません。2017~2018年になって、「マッカーサー道路でパレードをやりたいから、中央分離帯を取っ払おう。照明で演出したいけど植木はどうしよう......」なんて言ってても遅いわけです。
オリンピックが決まって、みんなが本格的に動きはじめて一発目の今回のアートナイトは、いいケーススタディ。だから、商店街や六本木ヒルズ、東京ミッドタウンとも、もっともっと密に話をしたいし、規制があったらなんとか説得したいんです。そのためならどこへでも行くし、熱い気持ちを数時間にわたって聞かせる準備もできてます(笑)。僕、今年で燃え尽きようと思ってますから。
僕たちのやっている商売って、やっぱり人を驚かせることが大事だと思うんです。「こんな技術があるんだ」「こんな使い方があるんだ」と、びっくりしてもらえることをやらないと。「へぇー」で終わってしまったら、お金や労力のムダになってしまうでしょう。だから、東京タワーと増上寺を使ってみようとか、お台場の科学未来館で企業のイベントやってみようとか、新虎通りのトンネルが開通する前に何かできないかなとか、驚きをつくって、それが最終的に街に染み出していけばいいなあと。そんなことをいつも考えていますね。
取材を終えて......
齋藤さん、実はまもなく葉山に引っ越し予定。理由を聞くと「人間オンがあったらオフも必要なんじゃないかと、その実験です。カオスの中にいるとカオスを感じられなくなるので、外から見て、だけどその中に毎日入っていく状態がいいような気もする。そんなお年頃なんですかね(笑)」とのこと。東京を外から眺めることで、今度は何が生まれるのか。またお話を聞いてみたいものです。(edit_kentaro inoue)