レディー・ガガのアイコンともいえる「ヒールレスシューズ」をデザインしたのは、現在21_21 DESIGN SIGHTで行われている企画展「イメージメーカー展」にも参加している舘鼻則孝さん。今回のメイン写真の撮影は、展示されている自身の作品の前で行われました。舘鼻さんは、なぜモノづくりをはじめ、アーティストとなったのか、そして将来の夢は......。見出しからもわかるとおり、驚きの発言、目白押しです。
僕がアーティストになった理由を、すごく簡潔にいうと、自分探しをしているということですね。自己表現することによって、自分を客観的に見ることができるじゃないですか。自分が何者であるかというのが最大のテーマなんですけど、それを常に探求しているというか。では、なんでそんなことをするかというと、自分に自信がないから。そもそも僕は、コミュニケーションが苦手だからモノづくりをするようになったんです。
もちろん今はこういう仕事もあるので、話すのだけは上手になったけど、訓練したからできるようになっただけ。子どもの頃から人と会話するのが苦手で、代わりに選んだのがモノづくりをすることだったんです。たとえば、かわいい女の子に、手づくりのブレスレットをプレゼントするとか、お母さんに「一緒に遊んで!」って言いたいけど勇気がないから、ずっと折り紙を折って気を引いてみるとか(笑)。
どちらも会話はしていないですけど、コミュニケーションは成り立っています。もし僕が靴をつくっていなかったら、アーティストになることもなかったし、今日の公開インタビューでみなさんとお会いすることもなかったでしょう。ということは、やっぱり作品がコミュニケーションツールになっているということですよね。
イメージメーカー展
最近では彫刻なんかも制作するようになりましたが、自分が最初に選んだ仕事はファッションデザイナーでした。なぜ、それを選んだかというと、人と関われる仕事だと思ったから。靴とか洋服って、誰かが履いたり着たりするものじゃないですか? もちろん絵画とか彫刻も誰かの持ち物になる可能性はあるけれど、それ以上に人に帰属するし、人を飾るツール。誰かに喜んでもらえたり、人のためになるモノづくりは何かと考えたときに、一番身近だったんです。
大学のときは染織の勉強をしていて、着物を染めたり下駄をつくったりしていました。ファッションデザイナーになるって決めたとき、自分が目指すのは世界だなって思ったんです。理由は簡単で、僕らが着ている洋服って、そもそも日本のものではないから。フランス料理の料理人になりたい人がパリに行くのと同じように、せっかくなら本場で勝負したかっただけ。
では、外に出るにあたって何が武器になるか。自分にしかできないことを突き詰めて考えて、行き着いたのが「日本らしさ」でした。日本人だから、もちろんフランス人にはなれないし、海外で海外のファッションを学んでも勝てない。世界で認めてもらうには、日本のファッションを勉強するのが、結果的に近道じゃないかって。最近、海外で仕事をする機会も増えてきましたが、より日本人らしくというのを心がけています。見た目ひとつをでもそう、昔は髪を染めたりしていましたが、それもしなくなりましたね。
大学を卒業したばかりの2010年3月、最初にアプローチしたのも海外でした。東京藝大の卒業制作でつくったドレスと靴の写真を自分で撮って、メールに添付して世界中に送ったんです。もちろん人脈なんてないですから、ネットサーフィンしていろんなスタイリストや出版社のホームページを探しては、コンタクトのところからメールアドレスを手に入れて。
だいたい100通くらい送ったと思うんですが、返事をくれたのは3人だけ。有名でもないんですから、当たり前ですよね。ちなみに、ひとりはロンドン在住の有名なファッションブロガーのスージー・ロウ。もうひとりが、日本に住んでいるアメリカ人ジャーナリスト。最後がレディー・ガガの専属スタイリストをしている、ニコラ・フォルミケッティだったんです。
「1週間後には来日してミュージックステーションに出るから、とにかくすぐにほしい」と言われてつくったのが「ヒールレスシューズ」です。何がよかったんですかね? 僕はいつも「古典と現代」をテーマにしていて、日本のアイデンティティというか文化的に価値のある部分と、現代の要素をコラボレーションさせることで、未来の道すじを表現したいと思っています。ガガさんもいわば未来をつくる人ですから、そういう部分に共感してもらえたのかもしれません。
ヒールレスシューズ
「イメージメーカー展」でも、もちろん「古典と現代」は意識しました。たとえば、「フローズンブーツ」という作品は見た目も現代的だし、技法も現代のものを使っています。一方で「フローティングワールド」の高下駄を入れる箱は、輝きを持った貝を木や漆器に装飾する「螺鈿(らでん)」という伝統的な技術を使っていて、職人さんが実際に手で素材を扱ってつくっている。
フローズンブーツ
フローティングワールド
この作品の高下駄は、二次元的で平面的な東洋の様式化された美術の要素をわかりやすくつまんで表現したもの。一方、ヒールレスシューズは三次元的で、西洋美術とか彫刻のような作品。江戸時代から日本にいろいろな文化が入ってきて、現代はどうなったのか。下駄からヒールレスシューズへ、見ている人に、美術の歴史がちゃんとつながっているというのを理解してもらいたかったというか。実際、コンピュータや機械を使うのか手を使うのか、ツールは変わっても根本は変わりません。どれも、受け継がれたすばらしい日本の文化、日本人のクラフトマンシップを見せたくてつくったものです。
学生の頃は、実際に自分の手でつくったもの以外は自分の作品じゃないって思ってたんですけど、そうじゃないんですよね。また、アーティストは発信者ですから、知ってもらう機会をつくることも重要。たとえば伝統産業に関わる職人さんの現状だったり、これからどうしていくべきか、などなど。だから最近は、なるべく地方に行って、職人さんと関わりながら仕事をするように。まだまだ途中段階ですけど、もっと地域を盛り上げられるような仕組みをつくれたらいいなと思っています。
アーティストっていうのは、本当に苦しいし、シビアな仕事だなと思います。夢を描いていたものの、実際なってみると、なんて道を選んでしまったんだと......。やりたいことだけをやっていた学生時代とは違って、やるべきことから逃げられない。やりたいことがやるべきことに変わって、使命感に変わる。ミッションというか、クリアしなくちゃいけないものがあるように感じるんです。
手を動かして作品をつくるのは、まさに産みの苦しみというくらい、エネルギーを使う本当にしんどい作業。だから制作自体は、今は1週間に1日くらいできればいいほう、できる限りしたくないですね(笑)。まあ、それは冗談ですけど、プロジェクトの打ち合わせをしたり、データをつくったり、けっしてヒマなわけじゃないんですよ......。制作したくないというとネガティブに聞こえますけど、そうやってチームでみんなで働けることは、とても楽しいなと感じています。
インスピレーションはどこから湧くのかと、よく質問されることがあります。でも、そもそもセンスとか才能とかいうものは存在しないですから。僕なんて、予備校に入ったとき一番絵が下手くそで、藝大以外の大学には全部落ちたくらい。生まれたときからセンスがいいとか、絵が上手なんていうのは、ダ・ヴィンチとかピカソとか、ああいう特別な人だけ。200年にひとりくらいしか生まれない(笑)。
重要なのは、いろんなものをどれだけ見ているか、その引き出しの多さが糧になります。引き出しが多いというのは、日頃からさまざまな物事に対してアンテナを張れているかどうかということ。それなら、ただ行動すればいいだけなので、誰だってできるでしょう。
よく、お風呂に入っている間に自然とアイデアがひらめくなんて言いますが、そんな都合のいい話はありません。アイデアを出したいときに、スッと引き出しを開けられるように、自分の頭の中でコラボレーションを起こすタイミングをつくれればいい。大切なのは、毎日の積み重ね。だから僕は、基本的には煮詰まらないし、悩むこともないですね。
今一番なりたいものは、コレクターとかキュレーターですね。自分で作品をつくるのも楽しいですけど、コレクションしたり、キュレーションしたりするほうがもっと楽しいんじゃないかって(笑)。昨年、恵比寿に小さなアートスペース「POCKET」をつくったのもそう。若手の作家の作品を置いて、少しでも知ってもらう機会になればと思って、弱小ギャラリーとして活動しています。
お金がたくさんあったら、アート作品を買って、美術館をつくりたい。というのも、作品を買うことがどれだけアーティストの支援になるか、わかるようになったんです。僕にもパトロンのような人がいますけれど、そういう人って、ただ作品がほしいわけじゃない。ある方は、「これから活躍する若い才能に巡りあうのは非常にまれで、そういう人たちを支援できることはかけがえのない機会だ」と言っていました。まるで、親みたいな感覚ですよね。
生まれ育ったのは鎌倉ですが、親の実家は新宿・歌舞伎町だし、今は東京で暮らしています。世界で一番好きな街はどこかなって考えてみると、結局のところ、ずっと制作したり暮らしたりしている東京だなって思うんです。自分が自分でいられる場所というか。
僕、青山に住んでいて、夜中よく歩いて六本木まで来るんですよ。TSUTAYAに本を買いに行ったり、六本木ヒルズに映画を観に行ったり。昼間は人がたくさんいてガヤガヤしているけど、夜は住んでいる人しかいなくて、すごく静かで居心地いい。やっぱり、都会がけっこう好きなんですね。
日本の中でも、都会の割合って一部だし、さらにそのうち世界が注目する街はわずか。世界を見ても、六本木のようにいろいろな国から人が集まってきて、文化も時間もめまぐるしく動き続けている街ってなかなかないと思うんです。
もし僕が六本木にもギャラリーを開くとしたら、単純にショップとかカフェのような場所ではなくて、お客さんもアーティストも参加できるようなインタラクティブな空間がいい。名和晃平さんのSANDWICHなんかがそうですけど、世界中から集まったアーティストが制作して発表もできる。そんな空間をみんなでシェアできたら、コラボレーションもイノベーションも起きると思います。
SANDWICH
ファッションデザイナーという立場からいえば、六本木アートナイトがうらやましい。こんなことを言うと怒られてしまうけど、ファッション業界ってクローズドで、一般の人があんなにたくさん集まること自体がありえない。だからアートナイトのように、みんなで楽しめるファッションイベントが、六本木でできたら面白いですね。
さらに、ご近所さん視点でいえば、単純に緑地を増やしてほしいかな。ただ木を植えればいいって考えるのは、それはそれで人工的だから、もっと街と共存したような......。石があって木があって、コントラストのある日本庭園のような街。
実際、今の時代を生きている僕らの行動や取り組みがコミュニケーションツールとなって、ちょっとずつちょっとずつ影響を与えて、街の文化や未来をつくっていくと思うんです。
大学生の頃は、まわりを蹴落として自分だけ成功してやろうって思っていたんですけど、今はそんなことまったく考えていません(笑)。そうすることが自分にとって、不利になることがわかったから。僕にとっての成功は、日本にもみんながアートを買ってくれるような文化的な土壌を育てること。
それには自分だけが認められてもダメで、もっと日本人が束になって、世界に出ていくようにならないといけない。だからギャラリーもつくったし、アーティストの支援もしたいし、コレクターもやってみたい。そうやって活動していくのが、一番有意義だと思うんです。
お客さんの要望に100%応えるのがデザイナーだとしたら、僕の中でのアーティストは、問題を掲げるというか、みんなにこういうところに目を向けてほしいとか、何かきっかけになるようなことを提示できる人。もしかすると、普通のアーティストらしくないのかもしれないですけど......。キーワードは「コミュニケーション」と「文化」をつくるってところですね。
取材を終えて......
この取材は、50名限定の公開インタビューとして行われました。「制作したくない」「将来はコレクターになりたい」「センスとか才能なんてない」......。モデレーターの川上典李子さんも「いろいろと考えていて、20代とは思えない!」と驚いた、舘鼻さんの発言の数々。一見、冷めているようにも聞こえますが、その裏には、実はアートに対する熱い想いが込められいると感じました。(edit_kentaro inoue)