今ある場所を、もっと面白く活用する。
国内外で活躍する女性建築家として注目されている永山祐子さん。「ルイ・ヴィトン京都大丸店」をはじめ華やかな商業建築のイメージがある一方、最近ではリノベーション・プロジェクトにも数多く参加し、アートイベントの立ち上げにも力を注いでいる。六本木で一番好きな場所は、建築とデザインが専門の「TOTOギャラリー・間」で、憧れの建築家たちの展覧会を見に、学生時代から通っていたんだとか。そんな永山さんが、六本木をデザインとアートの街にするとしたら、何をする?
六本木にはアートの拠点となる美術館やデザインに特化した施設もありますし、デザインやアートに興味ある人たちが集まるようになっていると思うのですが、もっと街そのものが表現の場として使われていたり、アーティストたちのアクションが直接見えるようになっていると、面白いのではないでしょうか。
たとえば、大きなビルの壁面をキャンバスとして開放したり、ガレージみたいな場所をアーティストに提供したり。創作の現場が街にあるというか、街がアートと一緒に「動いている」と感じられることが大事だと思うんです。
それって、新しく施設を作らなくてもできることで、「今ある場所を、もっと面白く活用する」ということでもあるんですよね。何も手が加えられていない建物の裏面ってよくありますけど、それも街の風景の一部。小さな点でもいいから、それぞれが提供できる場所を増やし、ネットワーク化していけば、街の風景は変わっていくと思います。
今ある場所をもっと面白く活用する、という意味では、今年の7月24日から1ヶ月、瀬戸内海に面した愛媛県宇和島市で「AT ART UWAJIMA2013」というアートイベントを行います。きっかけは、昨年、宇和島にある「木屋旅館」のリノベーションを手掛けたこと。100年近い歴史があった旅館を、1日1客のコンセプチャルな宿泊施設へと生まれ変わらせるプロジェクトだったのですが、当初からここを、宿泊施設としてだけではなく、アートをはじめ、地域に関わりのある様々なイベントや文化行事の場としても使ってほしいと思っていたんです。
AT ART UWAJIMA2013
ちょうど今、瀬戸内海の豊島では、民家を改修した横尾忠則さんの美術館「豊島横尾館」を手掛けていて、そこで地域全体を見据えたアートを起点とした地域再生の活動を目の当たりにして、アートって地域を変えていくきっかけになるんだ、と実感したんですね。そこで改めて、宇和島でできることは何かを考え、「木屋旅館」だけに留まらない、宇和島市全体を場にしたアートイベントの計画がスタートしました。
宇和島って、アーケードが立派なんですよ。5〜6mもある大きな獅子舞のような牛鬼が練り歩く「牛鬼まつり」が有名で、その牛鬼が通れる巨大アーケードも今回の展示の場所になります。閉店してしまう文房具店をギャラリーに、隣の空き地をインスタレーションの会場に、と計画は進んでいます。
私自身、面白かったのが、「AT ART UWAJIMA2013」の実現に向け力を注いでいるうちに、これまでは見過ごしていたかもしれない「いろんな場所」が、「可能性を持った場」に見えてくるようになったことです。アートによって、その場の新しい魅力が引き出されていく。先ほど言った「六本木の大きなビルの壁面」もまさにそうで、ずっと放ったらかしになっている空き地でもいいし、ちょっとした隙間みたいなスペースでもいい。アーティストとしては展示場所が変わればモチベーションも変わりますし、いつもと違う日常を舞台にすることで、新しい発想も生まれてくるのだと思います。
木屋旅館
建築家として、自分が作ったものの「その後」や「その先」に関心があります。どのように使われるのか、どう持続していくのか、あるいは、どう変わっていくのか。作るだけで終わりではなく、「その後」や「その先」も提案していきたいと思っています。自分が作ったもの以外でも、すごく面白い場所があれば、同じように提案をしていきたいですね。
アーティストとの恊働にも関心があります。自分の作品としてだけではなく、他の誰かと一緒に場をつくっていくことが新しい可能性を広げてくれる気がします。建築家は「場所を見るプロ」なので、既存の場に埋もれている可能性を見つける事ができますし、具体的な解決法も提案できます。今回のプロジェクトでも内容がよくわかっているので、例えばプロジェクターを使いたいなら、この壁に穴を開けられる、とか、構造的な解決方法はすぐ分かりますし、大工さん呼んで、電源こっちに回して、みたいな話も全部できるので、対応は速い。リノベーションの仕事で「今ある状況をもう一度読み替える」ことを学んでいて思ったのですが、別に自ら何かつくらなくても、この場所で「誰が」何をやったら面白くなるか、どんな内容を持ってきたら場を生き返らせる事ができるか、を提案すること自体が、建築家のひとつの職能になっていくような気がします。
六本木でも、いろんな人と一緒に場をつくる可能性って、たくさんあると思いますよ。もし東京ミッドタウン内の場所をどこかを提供してくれるなら...... アーティストではなく、造園家とか、いいかもしれません。肩書きがアーティストではなくても、職人さんとか、クリエイティブな気持ちを持っていて、その場所を新しい見方ができる人と恊働できれば、より面白い提案ができると思います。
その時に大事にしたいのは、受け手側を意識すること。アートに関心のある人だけではなく、地域の人、今までアートに触れたことがないような人にも届けられるものでありたいですね。アートって単に作品を見て楽しむというより、自分なりに何か発見する視点を与えてもらえるようなところがあると思うんです。ごく普通の人が日常の中でアートと出会うことで、何か違う見方が生まれたりする。それは自分が建築をつくるときも大事にしていることで、普段気づかないような季節の移ろいとかに気づいてくれたりとか、その空間が何かの「気づきのきっかけ」のようなものになるといいなと思っています。
宇和島や豊島で何度か経験があるんですけど、これまであまりアートに触れたことないおばあちゃんやおじいちゃんが作品を見て、すごい鋭い感想を言ったりする。「豊島横尾館」の建設現場を地域の人に公開するという試みをしたときも、なるほど、と思えることを言ってくれたり、とても純粋に捉えてくれたりするんです。
豊島横尾館
ときどきは「これはこういうことなんでしょ!」って、思いも寄らないことを言われて、ちょっと違うけど、でも、おもしろいからいいや(笑)、みたいなこともありますが、変なフィルターがかかっていない分、正直に見てくれる。そういう視点をなるべく拾い上げたいですし、そのためにも、とにかく、いろんな人に見てもらえるシチュエーションをつくりたいですね。
東京以外で一番よく行く都市は京都で、コンパクトにまとまっているところがいいな、と思いますね。それに比べて東京は巨大で、どこが境界線かもわからないほど、ぼわーっと広がっている。以前はそれが魅力だとは思わなかったのですが、最近、それはそれで面白いと思うようになりました。
実はいま、パリと東京を対比する展覧会の計画に参加していて、改めて気づくことがけっこうあるんです。たとえば、フランス人に「パリと比べると、東京ってランドスケープがあるね」と言われて、「えっ、ランドスケープ? 何のこと?」と思ったら「遠くに富士山が見えるじゃない」と。言われてみれば、東京のあちこちに「富士見坂」があったりして、眺望がとれるほど土地の起伏がある場所も多い。
植木鉢の緑は、フランス人にとって、その「プライベートのにじみ出し方」も面白かったようで、確かに、パリの石造りの、あの統一された街並みの中に、突然誰のものかわからない植木鉢が並んでいることって、あまりない。本当に不思議なものに目が向くらしく、猫除けに並べているペットボトルも、これは一体何なんだ、と(笑)。
謎の水が入ったペットボトルが道路に並んでいるなんて、パリはもちろん、ヨーロッパのどの都市でも見たことないですよね。普通、撤去されちゃいますよ。それが何となく許容されている。その境界線の曖昧さも東京の特徴のひとつなんだと気づかされました。
大きな道路沿いに高い建物が建ち、1本裏に入ると突然、低層の住宅街になる、というスケールのギャップも彼らにしてみれば不思議な光景だし、面白かったのが、都市計画の規制によって住宅が道路から後退していたり、屋根が斜めに切られていることが、「デザイン」だと思われていることもある、ということ。先日、マイアミから来た建築家にも、「これはレギュレーションで決まっているラインだ」と説明したら、「いやいや、このデザインがいい」と。聞いた話では、以前タイでは日本のデザインを踏襲したのか、切らなくてもいいのに建物のフォルムを斜めに切っている建物があったとか。
普段東京にいて、当たり前だと思っていることが、外から見たらとても不思議な光景だったり特徴的なデザインだったりする。そういったことのひとつひとつを、東京ならではの魅力として捉え直すことができれば、街との関わり方も変わっていくし、街がもっと面白くなる可能性も広がっていくような気がします。
TOTOギャラリー・間
クリエイター5人の京都修学旅行展
取材を終えて......
永山さんが語る、瀬戸内海・宇和島、豊島のアートプロジェクトにすっかり心を奪われました。日常の中に自然とアートがとけ込む瀬戸内海の島々。そんな町に住む方々に憧れるとともに、彼らが持つアートに対する感度と創作を受け入れる寛容さが今の東京には必要なのではないかと考えさせられました。この夏は「瀬戸内海国際芸術祭」にぜひ行きたいです!(edit_rhino)