
デザインの手法を使って、既存の価値を変えていく。
「TOKYO MIDTOWN DESIGN LIVE 2026」にて、《ForestBank|Made in TOKYO MIDTOWN》を発表した、デザイナーの狩野佑真さん。本作は、狩野さんのプロジェクト《ForestBank》から生まれたインスタレーション。東京ミッドタウンの敷地で剪定された枝葉を利用して作られたスツールと、奈良県御杖村から切り出された針葉樹、岐阜県飛騨古川町から切り出された広葉樹とをあえて並置することで、木という素材が辿ってきた道のりを想像させ、ひいては私たちの身の回りにあるさまざまな素材の価値を再発見することを促します。あらゆるものに潜む可能性を、デザインによってすくい上げる狩野さんの、「価値がないものはない」という信念にはどのような背景があるのか。そして、狩野さんのデザインの根底にある探究心の源に迫ります。
出身は栃木県の、いわゆる地方の町です。それほど自然が豊かなわけではありませんでしたが、家の庭が広かったので、子どもの頃は柿の木に登ったり、木陰に穴を掘って恐竜のおもちゃで遊んだりしていました。ものを作るのが好きで、小学校へは図工の授業のために通っていたようなもの。中学に上がってからは、部活動のバスケットボールに明け暮れました。
転機は高校2年生のとき。副担任が美術の先生で、美大という進路があることを教わりました。進学校だったこともあり、みんなと同じように普通の大学への進学を考えていたのですが、自分にはこちらの方が合っていると直感し、美術に舵を切りました。進んだのは、東京造形大学の室内建築専攻。インテリアや家具、建築などのデザインを、横断的に学ぶ学科でした。
大学のゼミでは、倉俣史朗さんの事務所出身だった沖健次先生に学び、そこでデザインの思想に触れました。作品を初めて見たときは、世の中にこんなデザインもあるのかと衝撃を受けたのを覚えています。倉俣さんの椅子のデザインは、いわゆる座り心地のいい機能的な椅子とはかけ離れたものが多く、言ってしまえば「変なデザイン」。デザインといえば問題を解決することに焦点が当たりがちですが、デザイナー自身の思想を表現するという側面の面白さに惹かれたんです。
倉俣史朗
インテリアデザイナー。1934年生まれ、1991年逝去。60年代より、日本を代表するデザイナーとして活躍。イッセイミヤケの店舗など、生涯で400以上の店舗や空間のデザインを手掛けた。同時に、透明アクリルや板ガラス、メッキ、電灯を仕込んだ乳白アクリルなどを用い、晩年の代表作《ミス・ブランチ》(1988)をはじめとする「浮遊感」や「詩情」と形容されるインテリアを発表。家具の既成概念を覆す自由な発想や作家性は今も国内外のインテリアデザインに大きな影響を与えている。
例えばアクリルは今では当たり前に使われていますが、倉俣さんがデザインを手掛けた当時は新しい素材だったはず。そのポテンシャルをどう生かせるかを模索していた時代だったのでしょう。新しく出てきた素材や技術で何がつくれるのか。それを考える姿勢は今のクリエイターも変わりませんが、その当時の作品を見ると、試行錯誤の跡が残っているのが面白いんです。
今となっては奇抜に見えるかもしれないデザインも、当時の時代背景から読み解くと、さまざまなことがわかってくるんだと気がつきました。その頃の自分はまだ学生で、いいなと思ったものをつくっては課題を提出し、あれこれ講評される日々。その繰り返しのなかでさまざまなデザイン思想に触れ、「自分の思想を出発点に表現する」ための術を学んでいきました。
卒業制作では、人が入れるサイズの小屋をつくり、周囲にドアを何枚か配置しました。それらのドアには人が使っていた痕跡があり、当然汚れていたり傷んでいたりする。それを見て、来場者が「これは子ども部屋のドアだったのかな」「裏口のドアかな」と背景のストーリーを勝手に想像する。実際にドアを開けた先には何もないのですが、どこかで使われていたドアに宿る時間を呼び起こし、そこからいろいろな記憶を感じ取ってほしかったのです。

大学の卒業を前にしても、就職活動をまったくしなかったんです。誰かのためにではなく、自分のデザイン思想を表現したいという気持ちが強かったので会社に就職して社内でものづくりをするということが考えられなかった。学生時代にデザイン事務所でアルバイトをする同級生もいましたが、事務所は「どやされることが多い」という勝手なイメージがあり、怖かった(笑)。未来につながる夢とか希望がある反面、実社会ならではの絶望もあるかもしれない。現実をあまり見たくなかったのかもしれません。
卒業後はアーティストの鈴木康広さんのもとでアシスタントをさせてもらいました。スタジオにいるのは基本的に鈴木さんと自分の2人だけ。手伝いというよりも、鈴木さんの作品を一緒に制作する感覚でした。鈴木さんからは技術的なことも教わりましたが、何よりも学びになったのは、ものづくりに対して思考を深めていく姿勢。「なぜつくるのか」をしっかり考える大切さを知りました。
鈴木康広
アーティスト。1979年生まれ。2001年東京造形大学卒業。紙の葉に描かれた「目」がまばたきをしながら空間に降り注ぐ《まばたきの葉》(2003)など、誰しもが持っている記憶や経験に新鮮な切り口を与える作品を制作。主な個展に、2014年「近所の地球」(水戸芸術館)、2017年「始まりの庭」(箱根彫刻の森美術館)、2021年「BLINKING - Waiting for the Future」(ティコティン日本美術館)など。
昔から、自分の手で一からものをつくることが得意だし好きでした。それは今でも変わりませんが、この手法を選んだ理由としては、そうするしかなかった、ということもあります。大学ではパソコンを使ってモデリングや図面作成をする授業があるのですが、早々に「自分には無理だ」と思いました。頭のなかにあるフォルムや色のグラデーションを、画面上でうまく再現できなかったんです。鉛筆なら描けるニュアンスをうまく出せない。結局、身体とパソコンの関係性の壁を乗り越えられず、手だけがツールとして残りました。
今では、手を動かしながらイメージの再現度を高めていくやり方が、自分のスタイルになりました。効率的でなくても、手を用いて制作する時間の蓄積には、大きな意味がある気がしています。やがてそれが、素材そのものに宿る時間や記憶に関心が向いていくきっかけにもなりました。
鈴木さんのもとを離れて独立してからもすぐに仕事があったわけではなく、10年ほどはアルバイトで食いつないでいました。お金が少し貯まったら、ホームセンターで材料を買っては新作をつくる、という日々でした。
就職ではなく独立を選んだのは、収入が限られていても、自分がやりたいデザインだけに取り組む方が健全だと考えたからです。ただ、経験を重ねるにつれ、デザインは1人で完結するものではないと悟りました(笑)。以前は、デザイナー、プロジェクトマネージャー、営業といった役割分担があることも知らず、すべて1人で抱え込んでいたんです。でも実際には多くの人が関わることでデザインが形になることも多い。
ここ数年は自分の制作チームを編成することにも面白さを見いだすようになりました。作品が年々大きくなり、1人ではつくれない規模になってからは、プロジェクトごとにスタッフを集めてチームを組んでいます。学生や20代の若いクリエイターを起用することも多いのですが、スキルや経験値はそれぞれ異なる。納期に合わせてメンバーの組み合わせや工程を考えることが、いつの間にかすごく楽しくなりましたね。
撮影場所:東京ミッドタウン ミッドタウン・ガーデン
