地域のみなさんと協業する場所をつくってみる
「NEWoMan YOKOHAMA」のサイン計画をはじめ、絵本「ぽんちんぱん」のような自身のプロジェクトも行う、「10inc.」の代表・柿木原政広さん。「本屋青旗」や「AMBIENT-KYOTO」のロゴデザインなど数多くの作品を手掛ける田中せりさん。お二人ともに、アートディレクター、グラフィックデザイナーであり、グラフィックデザイナーの登竜門である「JAGDA新人賞」を受賞しています。生まれた世代も手掛ける分野の領域も異なるお二人の、見る人の視点を変えるような新鮮なデザインの源は、一体どんなものなのでしょうか。今回はお二人にとっても縁のある「日本のグラフィックデザイン2024」の会場を舞台に、それぞれのお仕事から見えてきたデザインの“今”について語っていただきました。
柿木原政広六本木といえば、僕は自分が関わっていた東京ミッドタウンの「Salone in Roppongi」の思い出が色濃いですね。「Salone in Roppongi」はプロデューサーの笹生八穂子さんと一緒に、ミラノサローネ期間中にミラノで紹介されている日本人のクリエイターをあらためて日本に向けて紹介するプロジェクト。10年くらい継続して開催していたので、イベントの設営の大変さや、ミッドタウンのどこの駐車場が近いだとか、そんなことばかり思い出してしまいます(笑)。
田中せりデザインもそうですけど、ピラミデだったり、森美術館だったり、ギャラリーが集結しているアートの街としての印象もありますよね。休日はギャラリーに行くことが多いので、六本木は馴染み深い場所でもあります。
柿木原僕もそう思ってたんだけど、今日この会場に来るために乃木坂を通ってきたら、乃木坂沿いに味のある民家が意外と多くて。こういう場所も六本木の一部なんだよな、とあらためて感じていました。
田中そういった、いち地域として六本木を考えていくとまた違った可能性が見えてきそうですよね。
クリエイターが街に関わるプロジェクトでいうと、私にとってすごく印象に残っているものがあって。イギリスの建築家集団ASSEMBLEがリヴァプールで実施した「Granby Workshop」という廃墟の再生を目的にしたプロジェクトなんですけど、建築家が真新しいものをつくっていくのではなく、そこにあった廃材をつかって、近隣の住民と一緒にワークショップをしながらつくっていくんです。つくるということが特別扱いされていないことも魅力に感じますし、既にある資産を活かしてつくり変えていくかたちは素敵だなと思いました。ああいった、活動のデザインをいつかしてみたいな...。
柿木原プロフェッショナルの集まりじゃないからこそ、それぞれの得意なことを活かして音楽をつくったり、ご飯をつくったり、そういう偶然が積み重なって全体が生まれていくプロジェクトはいいですよね。
田中柿さん、「富士山の麓でDIYしている」って聞いたんですけど。
柿木原そうそう。でも、私宅ではなく「10inc.」の福利厚生施設にするつもりでつくっています。古い建物をスタッフと協働でリノベーションしはじめて、もうかれこれ8年くらいになるかな? 冬の間は雪が積もっていて行けないので、春から秋くらいまで月に一度くらいのペースで作業していて。完成しなくてもいいと思ってるんですよね。というのも、フィジカルを伴う労働がいいなと思って。「無心で塗る」とか「ひたすら削る」とか(笑)。そういう作業をスタッフと続けている状態がひとつの活動になっていて、とても気に入ってます。
田中審査会で一緒に出張していた時も、アンティーク家具屋に寄って「この家具、部屋のあそこにいいかも」と言っていましたもんね。
柿木原実際に素材や空間を手で触れてつくっていく体験をすると、ものの見え方が変わるのも面白いんです。建売住宅を買って使うのとは、自由度も全然違うし学べる量も違うから、画一的ではない自分たちのプロダクトをつくっていく楽しさがすごくある。六本木でも、街中の住民の方々に声をかけて、せりちゃんが話してくれたプロジェクトのような協働型の場所が生まれたりすると面白いよね。
柿木原街や地域の話だと、今、熊本県の南の方にある人吉・球磨地域というエリアに関わっているんですけど、不思議な体験をしたんです。訪ねた時に泊まった宿がわりかし古い宿で。「昨日の夜中、上の階の子どもがうるさかったね〜」なんてスタッフと話していたら、その場にいた人が「それ座敷わらしですよ」ってさらっと教えてくれて(笑)。たしかに泊まってるのは僕たちだけだったんですよ。
田中え、嘘!
柿木原そのエリアがまた面白くて。街全体が風水に基づいてつくられているんです。人吉城を中心にして鬼門には神社を置いて、と、今僕たちが住んでいる街とは違うルールでつくられている。しかもそれが大々的に銘打たれているわけでもなく、当然のように暮らしの中にあるので、まるで日本の原風景に触れているような気持ちになります。
田中ローカルな面白さって住んでみないとなかなか見えないですけど、どの地域にも面白さがありますよね。
私が住んでいる品川の近辺は下町の雰囲気があって、家の隣がお年を召した方々が集まるカラオケスナックなんです。その店がコロナ禍をきっかけに窓全開でカラオケするようになって、ずっと演歌が聴こえてて(笑)。もちろんその声は近隣にも聞こえているはずなんですけど、ずっと音量が変わらないので、周囲もそれを特に気に留めてないんです。「今日も元気で何より」と私も平和な気持ちになるし。東京は騒音に厳しいイメージが強いかもしれませんが、もしかしたら本来の東京にはこういう寛容さもあったのかな、と思えるので大好きです。
柿木原目掛けて探せるものじゃないから、そうやって出会うのは面白いよね。
「10inc.」の山小屋をリノベーションしていくこともそうですけど、僕は最近「菌類」のようになれたらいいなと思っていて。上も下もなく、横のつながりという菌糸でコミュニティが形成されていて、ただそこにあるだけでじわじわと成長を続けていくような状態っていうのかな。それが成長して、ひとつの大きなきのこをつくったり(笑)。
面白いものに興味を示して、そこへ首を突っ込んでいくようなやり方は今後も変わらないと思うんだけど、一方で僕はもう54歳になるので。もっと自分個人で目指すものに時間を使っていかないといけないなと思っています。絵本のような制作だけでなく、教育の分野にも力を入れていきたいですね。
柿木原せりちゃんは今後、どうしていきたいとか考えたりしますか?
田中そうですね......。私は、柿さんの絵本やカードゲームのようにプロダクトとして販売できるパーソナルワークはまだ出来ていないんです。正直にいえば、展示企画も知人から機会をもらってようやく作るという受け身状態というか。具体的なコトではなくモチベーションの話なのですが、変わらずスタディとしての実験的なパーソナルワークは重ねていきたいと思ってます。自分の中で気になっているテーマや表現にチャレンジして、そのプロセスをアウトプットすることでフィードバックを得て、それが誰かとのコミッションワークの成果物に還元していって、それがまた次のパーソナルワークの種になるような。自分の中の小さな原動力の循環を維持することができたらいいかな。
撮影場所:東京ミッドタウン・デザインハブ
*対談中に登場する田名網敬一さんは対談収録後の2024年8月9日、くも膜下出血のため88歳で逝去されました。謹んでご冥福をお祈りします。
取材を終えて......
お二人とも手掛ける仕事こそ違うものの、そこで感受している時代の雰囲気やクライアントとの関係性の築き方については共通したお話を伺えました。クオリティの高い成果物を仕上げるというゴールだけではなく、一緒に仕事をするクライアントやパートナー、ひいては市井の人々と"協働"することでともにつくりあげていくプロセスにまで目を向ける。コントロールできない領域を恐れるのではなく、そこで起こるズレも含めて楽しんでいくというお二人の姿勢は、街づくり、コミュニティづくりなど様々な分野にも通じる、明るいメッセージとしても受け取れました。(text_yusuke kajitani)