地域のみなさんと協業する場所をつくってみる
「NEWoMan YOKOHAMA」のサイン計画をはじめ、絵本「ぽんちんぱん」のような自身のプロジェクトも行う、「10inc.」の代表・柿木原政広さん。「本屋青旗」や「AMBIENT-KYOTO」のロゴデザインなど数多くの作品を手掛ける田中せりさん。お二人ともに、アートディレクター、グラフィックデザイナーであり、グラフィックデザイナーの登竜門である「JAGDA新人賞」を受賞しています。生まれた世代も手掛ける分野の領域も異なるお二人の、見る人の視点を変えるような新鮮なデザインの源は、一体どんなものなのでしょうか。今回はお二人にとっても縁のある「日本のグラフィックデザイン2024」の会場を舞台に、それぞれのお仕事から見えてきたデザインの“今”について語っていただきました。
田中せりもともと、柿さん(柿木原さん)と距離が縮まったのは"ちょも"(西川©友美)の存在が大きいですよね。
柿木原政広そうだね。2020年にちょもがJAGDA新人賞を受賞した時、せりちゃんも佐々木俊さんも受賞した同期で、3人はそこから交流が始まったんだっけ?
田中はい、ちょもは同い年で、ささしゅん(佐々木俊さん)も学年が同じだったので、3人ですぐ仲良くなって。ちょもはその頃「10inc.」で働いていたから、ちょもの"ボス"としてよく柿さんに会うようになりました。
柿木原せりちゃんと出会ってからは4年くらいなんだけど、ちょもを通じて会ってるから、なんだか半分身内のように感じてしまう(笑)。彼女はなんでもはっきり言ってくれるから、いい意味でかき回してくれたな。受賞した3人で展示したりもしたよね。
田中ちょものいいかき回しのお陰で3人の独特なグルーヴが生まれたので、大切な存在なんです。新人賞を受賞してから、私がロゴデザインを担当した「本屋青旗」で2021年の3月に「3ジン」という3人展をやって。その展示を終えた後に「3年おきにまたやろう!」と話し合っていたので、今年の3月にちょもの作品を預かるかたちで、また3人での展示を実現できました。
田中ちょもとの話は尽きないですね。
田中それでいうと、柿さんは最近どんなお仕事をされてるんですか?
柿木原目下取り組んでいるのは、国立新美術館の「田名網敬一 記憶の冒険」に関する書籍かな。もともとはPARCO MUSEUMで開催された、田名網さんと赤塚不二夫さんのコラボレーションの作品集を担当した縁があって。今は国立新美術館で販売される大型本に加えて、ほかの冊子も3冊担当しています。
田中合計4冊! そこまで本をつくれる作品点数があることもすごいですね。
柿木原あとは「FUJITAKA TOWEL」やログハウスブランドの「BESS」などのブランディングを長く続けていますね。せりちゃんのお仕事はいつも魅力的だなと思って見てるんですけど、最近はどんなものがありましたか?
田中福岡に菅原道真公が祀られた「太宰府天満宮」という神社があって。2027年に1125年式年大祭という25年に一度の大祭があり、そのロゴデザインを2年前から手掛けています。2027年に実施される催しなので、まだ世の中にあまり表立って出ているものは少なくて、長期プロジェクトとして関わっていく仕事が増えているなと思います。
柿木原つくっているのは2022年だけど大々的に公開されるのは2027年となると、デザインに配慮するところも変わってくるよね。
田中そうですね......。長期的に考えて、古びないものをつくらないといけないので、私は「普遍性と斬新さ」を半分半分でイメージしながら、「数年後の自分が見てもワクワクできるか」自問自答するような仕事が増えはじめているように思います。
日本酒酒造の「せんきん」さんからお仕事のご相談を受けた時、「100年後に残るロゴをつくってほしい」とリクエストを受けたんです。大きなプレッシャーを感じるのと同時に、自分より長生きするものをつくりだす、というテーマはあまり考えたことがなくてすごく面白いなと思って。普段はだいたい半年から1年くらい先の納品物をつくっていることが多くて、もちろんそういうクイックなデザインの面白さは感じる一方で、つくってはすぐに流れていってしまう虚しさもどこかに感じていて......息の長い仕事にも携わっていたいと思いますね。
田中柿さんもすごく長く携わられているクライアントの方が多いですよね。
柿木原立ち上げから一緒に始めて、そこから継続して並走していくことは多いね。そうするとどんどん、提案というよりフェアに話し合う打ち合わせに近くなってきて、クライアントというよりパートナーに近くなっていくというか。もちろん、だからといって提案の斬新さや魅力を落とすことはあってはいけない。だけど、その手前の関係性を築いていくことが大事なんじゃないかとは思います。
田中私が大学生の頃、柿さんデザインの幼稚園の卒園証書をADC年鑑で見て印象に残っていたのですが、今でも毎年卒園式に行っているんですよね?
柿木原富士中央幼稚園ですね。CI(コーポレートアイデンティティ)の依頼と合わせて卒園証書をつくって、園長さんが卒園式に呼んでくれるので今も毎年一言だけ喋っています。最初のほうは、自分の子どもが幼稚園に通っていた頃だったので、子どもにおくる言葉としてコメントも考えやすかったんですけど、年々子どもと幼稚園生の年齢が離れていっていて......今は子どもの幼稚園時代を思い出しながらコメントしてます(笑)。
田中柿さんの話もまさにそうですが、我々だけじゃなくてクライアントの方々も、いわゆる発注・受注みたいなドライなコミュニケーションじゃなくて、もっとパートナーとして言葉を交わしあえるような関係性を望んでいることが増えましたよね。
柿木原競合プレゼンみたいな仕事を得るための提案って"ライバルに勝つための提案"に終始してしまうところがあって、結局クライアントの解決したいところにまで届かないことが多いから、そういうズレに双方が気付きはじめたのかもね。
もっとシンプルにいえば「お互い気持ちよくやりとりできたほうがいいし、フラットに意見しあえる方が結果的にいいじゃん!」って双方に思いはじめたというか。それはデザインに限らず、どんどんフラットにしたほうがいいという世の中の動きの影響も大きいと思う。
田中すこし抽象的な話かもしれないのですが、私は作品をつくる時、自分の想像していなかった現象が起きることにすごく興奮するんです。「エラーだけど、すごく美しい!」「こういう使い方もあるのか!」と自分がコントロールできる範囲で完成させずに、機械のプログラムに委ねてみたり、協働する人のアイデアでより広がっていくような瞬間が刺激的だなと思って。
柿木原せりちゃんが感じているように、ロゴはなるべく自由度が高い方が魅力的に感じるというのは時代のムードとしてもあるよね。特にロゴのようなCI計画は、昭和末期頃から細かなマニュアルを作ることもセットで流行っていたと思う。雑多なものを整える意味で重要視されたんだよね。でも今はそういう考え方が定着してきた結果、しっかりルールを決めると逆に足かせになってしまうことが多いもんね。
田中まさにそうです! 「AMBIENT KYOTO」のロゴを担当した時、禁止事項をまとめたロゴマニュアルじゃなくて、ロゴのポテンシャルを引き出すために映像のロゴマニュアルをつくったんです。アンビエントミュージックのイベントなので、明快な始まりと終わりがなく、環境の影響を受けて、常に変化し続けるアイデンティティとは......と考えて、私が意匠として手を加える部分は最小限に、"ルール"だけをデザインしました。そうすることで自分の意図しないユニークなコンポジションと出会うことができる。書体もベーシックなHelveticaにして、アイデンティティは"空間"を象徴する平行四辺形だけ。背景透過のロゴなので置かれる場所によってロゴに背景が溶け込んでくるんですけど、それほど自由に使い倒されても残るアイデンティティこそ価値があるのでは、という私なりの実験でした。
柿木原CIは確認する人が多い分、どんどんルールが複雑で細かいものになっていくことが多いけど、そうじゃなくて、使われ方を含めて「委ねる」ことで新しい価値をつくっていこう、というのは重要な提案ですね。
撮影場所:東京ミッドタウン・デザインハブ
*対談中に登場する田名網敬一さんは対談収録後の2024年8月9日、くも膜下出血のため88歳で逝去されました。謹んでご冥福をお祈りします。