人間を人間らしくしてくれるのがアートの役割。
今回麻布台ヒルズに設置された《東京の森の子》は、大きさを変えて何体かつくっていて、最近ではロサンゼルスに大きいサイズのものが置かれました。世界各地に"森"という観念が広まっていく、そういう象徴になるといいなと思っています。先の尖った形は、僕が生まれ育った北国の針葉樹や、あとは子どもたちはみんな好きだと思うけれど、クリスマスのモミの木から。希望を感じさせる特別なモチーフですよね。
僕が育った青森県は、妖怪好きな人には恐山でなじみがあるんじゃないかと思います。やっぱり仏教とは違う、昔からあるアニミズムのような信仰がまだ残っている。それがどこからやってくるかと言うと、森や山の中からなんですよね。以前行ったアイルランドでも、自然物に神が宿るような共通した宗教観を感じて、自分が「森の子」をつくったのは、人間が生まれる以前のものたちと交信するためだったのではないか、と後から思いました。もし僕が南国で育っていたら、 "クスの子"や"マングローブの子"になっていたんじゃないかな(笑)。
「森の子」は、大都会でも離れ小島でも、どこに置かれても存在理由があるような彫刻であってほしい。アートかどうかに限らず、街を出た時にどうしても思い出してしまう故郷の山や川に似た、生活の目印となる存在になってくれたらいい。映画『2001年宇宙の旅』の冒頭で、未知の力でつくられた立方体が出てきますよね。ああいう意思を持った構造物のように、自立してそこにあり続けてほしい。それで《東京の森の子》と同じものが南極大陸にもあって、全部地球の真ん中へ繋がって交信していたとしたら、面白いじゃないですか。
なぜ粘土を用いた立体作品をつくるようになったかと言うと、東日本大震災が発生してから虚無感に襲われて、筆を握れなくなったことがきっかけ。すべては壊されるのに制作する意味はあるのだろうか、津波がきたら人の命までなくなっちゃうじゃないか。そう感じる中で、何か踏ん張らなきゃと思った時に、土に行き着いた。筆も握れないしキャンバスも貼れない、そんな中で赤ちゃんが最初ににぎにぎと手にとるような原始的な素材として土がありました。振り返ってみればリハビリだったと思うのですが、粘土を扱う時は道具を使わず自分の手だけ。一戦交える気持ちで身体全部を使って、粘土と対峙してましたね。
震災以前の立体作品は、発泡スチロールを削って原型をつくり、最終的にファイバーグラスで仕上げるような表面がツルツルとしたスムースなものをつくっていました。だけど、そのつくり方では廃棄物がたくさん出る。洗練された形にはなるんだけど、自然に優しい素材ではなく、工場の中でできるようなものだったんですね。
今は手を動かしていく過程そのものが、自分の中ですごく面白い。筆を持って絵を描く時は、次のタッチをどこに置くかとか、細かく考えないとできないんですよ。ところが粘土だと、手が勝手に動いてくれる。全て身体が教えてくれるような感じがあって、自然が味方してくれているんじゃないかと思えますね。表面がつるっとした工業製品のような昔の作風とは違い、いろいろな角度から、手の跡=自分の思考が見えるようになりました。
制作の方法で言うと、洞爺湖でワークショップのプロジェクトを最近やったんだけど、それは呼ばれたから始まったわけじゃないんですよ。3年か4年ほど通っていくうちに小さなコミュニティーの人たちと顔見知りになって、5、6年目くらいから何かできないかと動きが出てきたもの。最初から何かをやろうと思っていたんじゃなくて、自然に出来上がっていったワークショップだったんですね。
地方へ足を運ぼうと思うのは、そこにしかないものを求めているから。洞爺湖であれば、景色やそこでお店をやっている人たちのコミュニティー。彼らはその場所に来る人たちだけを相手にしていて、例えば外に向かってこんなことやってるよ! と積極的に発信はせず、本当に口コミレベルで発信している。だから自然にじわじわと広がっていくんだよね。最初からインターネットを使って、遠く離れた人に来てください、というやり方じゃない。そういう小さいながらも人が来てくれる環境を大切にしているコミュニティーが僕は好きなんです。
洞爺湖を訪れたきっかけは、あるパン屋さんが津軽三味線の映画を自主上映したっていうたまたま見つけた記事で、もしかしたら青森出身の人かもなと思ったからでした。ただ、訪ねてみたら、お店が休みだった。で、次に訪ねたのが1年後で、また休み。その次が3年後になっちゃったんだけど、店の前に子どもがいて、やってる! と思って入ろうとしたら「今日休みだよ」って(笑)。それでそのまま帰ってTwitterに投稿したら返事があって、実は土日しかやっていないことがわかった。そんなこともあって、すぐにまた足を運んだら仲良くなっていって。お互いに自然に近づくのを待つというかね。そんなペースなので、知らない土地で急に何かやってくださいと言われてもできない。やるとしたら子どもたちと仲良くなって、その家族ともお酒を飲む間柄になってから(笑)。
飛生芸術祭の時は、廃校の周囲の林を再生しようという話がもともとあって、森がどうやって再生されていくのかを見たかったから足を運んだ。予定していた前の日に行ってみたらちょうど森づくりの作業日で、これからバーベキューするから食べて行って、と。そういう流れがあって、ここで芸術祭もやっているから僕がレクチャーをすることになった。その間に子どもたちが大きくなったりしてね。
この芸術祭は、あくまで森をつくることが中心。その方が人が集まると思うんです。例えば美術をキーワードにすると、美術好きか作家しか集まらない。でも森って生活に身近だし、とくに北海道はアウトドア王国だから。何が楽しいって、森づくりをした後は夕方からバーベキューが始まること。人里離れてるからどれだけ酔っ払って騒いでも、誰にも迷惑かからないし。
僕が思うのは、人対人でつながるんじゃなくて、ゾーン対ゾーンで交わることが重要。若者だけ、あるキーワードだけでつながるんじゃなくて、有象無象のもやもやっとした小さな塊同士が合わさると化学変化が起きやすいって思いますね。もちろん大きくなりすぎると、決まりごとが必要になって難しくなるんだけど。小さければ、フリーマーケットをやろう、お祭りをやろうといったことがとんとん拍子でできるし、その中で自分は何ができるかを考えられる。奈良さんは後片付けがうまいから片付けて、とか(笑)。美術ではないことで関われるのが、自分にとっては新鮮ですね。
撮影場所:麻布台ヒルズ中央広場《東京の森の子》