音楽で表現する楽しさを届ける。
僕が上京してきたのが、今から12年ほど前。その頃には、六本木はすでにクリエイティブで近未来的な街というイメージでした。少し上の世代の先輩からは夜の街だとか、ポジティブでない話も聞きますが、僕らの世代からするとそういった面もありつつ、クリエイティブな要素と混ざり合っている印象です。
個人的には、音楽制作で関わる仲間が六本木エリアに住んでいたり、スタジオを構えていたりもして、昔から不思議と縁のある街なんです。自分たちで「JAZZ SUMMIT TOKYO」というイベントをやった時も、フィナーレ的な位置づけのフェスを六本木の「SuperDeluxe」という箱でやりました。また、僕の楽器庫もこの付近にあるので、そういう意味では日常的に滞在している街。だから、「MIDTOWN CHRISTMAS 2023」のインスタレーション《some snow scenes》で音楽を制作することになり、普段通っている場所に自分の音楽が流れるのは感慨深いものがありました。
《some snow scenes》は吹き抜けを生かしたインスタレーション作品。僕はそこで流れる15分ごとに行われる特別演出のための約60分の曲を制作しています。展示場所となる東京ミッドタウンはよく知っている場所だからこそ、どういう人たちがいるのか、どんな雰囲気なのかということを想像しやすい部分はありました。
今回のテーマは雪や雨。1か月以上の間、毎日館内に流れ続けても飽きないで、感情揺さぶるような音楽をつくりたいと思っていました。完成した作品は、こぼれ落ちた光の滴が、下に置かれた自動演奏ピアノの鍵盤を叩き、音楽を奏でるという演出。物理的に楽器が動いて音を出すので、ピアノだけで雨や雪をどう表現できるか、すごく考えました。結果、60分間で4パターンの特別演出を吹雪や深々と降る雪など、それぞれにテーマを設けて、自分の中で想像を膨らませながら音楽に落とし込んでいきました。
テーマを元につくる「標題音楽」が結構好きで、ビジュアルやイメージを見ながら作曲することも多いんです。今回も自分の好きな東山魁夷が描いた雪景色や、記憶に残っている雨の描写の浮世絵を思い浮かべながらつくったりもしました。ソロアルバム『はじまりの夜』は、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に着想を得て制作したのですが、僕は幼い頃から日本の文化、世界観が好きで、初めてつくったプラモデルも、お城だったんです(笑)。小学生の時は、クリスマスにからくり人形をサンタにねだったり、卒業制作では葛飾北斎の模写をしたりしました。
上京してからは周りの影響で、英語の歌詞の音楽をやる機会が増えましたが、それは欧米に出ていくことを想定した時、受け入れられやすいフォーマットだから。でも、活動する中で、日本の良さに目を向けることも、とても大事だと感じるようになったんです。
以前、宮崎駿さんがおっしゃっていた「最もナショナルなものこそ、インターナショナルなものになり得る」という言葉に、すごく感銘を受けて......。「そうか。自分の国で大切にされてきたことを徹底的に伝えていく方が、外から見た時に面白いんじゃないか」と。そして、グローバルのフォーマットに寄せてつくることも、すごく日本的な価値観でつくることも、どちらもやってみようと始めたのがソロプロジェクトです。
国際化の話で言うと、日本のアーティストは欧米から見出されたり、アニメーションなど他ジャンルとのコラボレーションを通じて、ワールドワイドに認知されてきた面はあります。最近ではたまたまSNSでバズって海外に出ていくこともありますけど、多くはないですよね。
その中でも、ファッションや建築、美術の分野では、世界的に活躍されている日本人がたくさんいらっしゃいます。一方、音楽の分野では、もちろん坂本九さんや坂本龍一さんのような方もいらっしゃいますが、人数的には限られています。つまり、「一枚の布」で世界のファッションに切り込んでいったISSEY MIYAKEや、COMME des GARCONS、Yohji Yamamotoが起こした「黒の衝撃」みたいなことが、音楽界ではまだ起こせていないということ。裏を返せば、日本の音楽家にはまだまだやれることがたくさんあるということで、その一員として頑張らなきゃいけないなと強く感じます。
僕は仕事の関係で10代の子たちと接する機会も多いのですが、若い世代の中には日本のアーティストの音楽をまったく聴かないという人もいるんです。代わりに、韓国の文化がいろんな基準になっていたりする。欧米のメインストリームでアジア人が戦えているという点に関して素直にすごいなと思いますが、その国らしさで戦うという点ではもっと他にやり方がある気もします。
《some snow scenes》の曲をつくっている時にも感じたのですが、"空間×音楽"の領域において、日本はかなりの先駆者だと思うんです。表参道の「SPIRAL」ができた時には館内の音楽を尾島由郎さんがつくられましたし、地下鉄や山手線には駅ごとに発車メロディーがある。すごく面白い工夫をしているけど、それが音楽をじっくり聴くとか、音に対して敏感だ、という点にあまり結びついていない。日本の聴き手の意識が変われば、日本の音楽が外に出ていける力にもなると思うんです。そういう意味で、日本人の聴く力を変えていくことはすごく大切。やっぱりコンテンツとして、「これは面白い」「こういう豊かな音がある」とみんなが感じて育てないと、世界には持っていけないんじゃないかな。
じゃあ、聴く力を変えるためにできることは何か。ひとつはすごくシンプルで、歌だけを聞くのをやめることだと思います。特に日本においては、驚くほど歌と歌詞しか聴かれていないのが現実。「唱歌教育を中心とする」と定められた教育のシステム上、致し方ないことではあるし、みんなにあてはまることではないけれど、実際社会で起こっていることとしても、データ的にもそういう傾向があることは明らかです。
リズムや音色だったり、楽器のリフだったりは、歌ほど重視されない。だから、「この楽曲、展開の構造が面白いよね」みたいな会話にはなかなか辿り着かない。でも、アートやファッション、建築の分野では、そういう次元の話をしてる人も多いじゃないですか。音楽も、歌と歌詞だけがすべてではないと知れ渡って、「先にサビから始まって、途中でまさかのBメロがなくて」みたいな話がお茶の間で飛び交うようになったら、もっと面白い展開になると思います。
メディア環境について考えると、音楽が立ち入る隙は増えています。でもその分、純粋に音楽を楽しむ時間がすごく薄まっている気がするんです。TikTokなりInstagramなりが発信の軸になったことで、どんどん曲の尺が短くなり、サビの10秒だけしか知らない、みたいなことが当たり前に起こっています。
それはそれで10年後、20年後に「ああいう時代もあったよね」と面白く話せるのかも知れないけれど、時間芸術をやる者としては、やっぱり面白くはないな、と。結局、15秒で心をつかむような、コマーシャル音楽的なアプローチをみんなが意識してるわけじゃないですか。もう少し時間をかけて音を楽しめるといいんだけど、と思ったりはしますね。すでに年寄りの発想なのかもしれませんけど(笑)。
一方で、刹那的なものに対して抗う動きも出てきていますよね。例えば、「写ルンです」が流行ったり、レコードの生産量がめちゃくちゃ増えたり、コーヒー1杯1杯を丁寧に淹れるお店が流行ったり。時間かけて何か楽しもうよ、ということが、一定のカウンターカルチャーとして存在する。そのカウンター側とメインストリーム側のバランスが、もう少し取れるといいんだろうなとは思いますね。
撮影場所:MIDTOWN CHRISTMAS 2023《some snow scenes》(2023年11月16日~12月25日)