対話を重ねて横断することが、世界をひらく。
都市や公共の空間がすみずみまで設計されてしまっている今、そこに文字通りの隙間を見つけることはどんどん難しくなっています。そのため、設計性から逸脱した隙間のような空間を創出するには、既存の様々な空間を横断し、揺さぶることが必要だと考えています。たとえば「ポケモンGO」が一時期ブームでしたが、あの面白さは都市空間をまるごと隙間化したこと。現実の都市に隙間はないのだけど、そこに仮想現実のレイヤーを重ねることで、現実の都市と仮想の都市のあいだに無限に広がるプレイフィールド=隙間を創出した。アートにおいても、路地裏のような隙間はもうないのだとしても、既存の空間を横断することで、どこにも収まらない表現の領域を仮設的に立ち上げ、目の前の風景を揺さぶってみることはできると思います。
東京という都市は物理的に面積が大きく、水平に広がっています。中心が複数あって、それらがネットワーク状に絡んでいる。時間をかけて滞在することで、だんだん深みがわかってくるような魅力があります。その点、ニューヨークは摩天楼と呼ばれるマンハッタンが中心にあり、ブルックリン、ブロンクス、クイーンズなどはいわゆる郊外なので、一点集中型の都市モデル。都市としての成り立ちがそもそも違うので比較は難しいですが、東京もニューヨークのように、水平だけでなく、垂直の空間にもアートやクリエイションがうまく取り入れられていくといいですよね。
六本木でプロジェクトをするなら、高架下で何かやってみたいですね。高速道路の裏側というか下側の、あれだけ大きなコンクリートの面が、まったく使われずに放置してあるのはもったいない。いくらでも表現やアクティビティを展開する余地があると思うんです。自分だったらまずは絵をかきたい。しかも面としてだけではなく、高架下の空間を横断するようなかたちで、他のエリアに延びたり、拡張したら面白い。そういうイメージが、頭の中で広がりますね。
もし表現の場が、現実の都市から仮想の都市に置き換わったとしても、人間がフィジカルな存在である限り、物理的な空間の重要性は残っていくと思います。80年代にSFが流行った時、人間はやがて脳だけの存在になるんじゃないかというイメージがありましたよね。しかし現実は違って、物体が省略化されて透明化していくのではなく、どちらかというと中身が入れ替え可能な方向に進化している気がします。
たとえばスマホという器にアプリをインストールするのもそうだし、メガネもかつては基本的にひとり1個だったのが、今はデザイン性が高くて価格も抑えられた製品が多く、その日の気分によって替えるようなアクセサリー的な感覚が浸透している。さまざまな着脱性が社会に浸透している気がしますし、それによってフィジカルの意味も少しずつ変わってきているのかもしれません。
僕の表現において「横断」は重要なテーマですが、社会では分断が進んでもいます。横断をするために大事なことは明快で、僕は「対話」だと思っています。国単位でもコミュニティ単位でも、人はみな違っていて、いろんな意見や価値観をもっている。そのことを前提に、お互いを尊重して対話することで、初めて横断が可能になる。逆に言うと、他人と一緒に住むのが簡単ではないのがいい例ですが、他者同士がお互いに100%コミットするのはかなり難しい。だけど一時的に場をともにしたり、コラボレーションするための対話だったら、そこまで難しくないだろうし、ある程度なら誰にでもできる。横断や移動も、そういった感覚で臨むのが理想ではないでしょうか。
最近はコラボレーションの機会が増えて、表現の軸であるクイックターン・ストラクチャー(QTS)で関係性をつくり、美術以外の領域にも広がっていく楽しさを感じています。幸いにも声をかけていただくことも多く、想定していなかったかたちでQTSの可能性が開けていて、そういう時こそ、対話の必要性を実感します。去年制作した横綱・照ノ富士のための化粧まわしはその一例です。
化粧まわしに刺繍でQTSを表現することになったのですが、刺繍の職人は経験と自信があるので、どんな絵柄でも正確に再現できるとのことでした。しかし、ラインの精度はQTSにとって非常に重要で、容易には再現できないはずだというアーティストとしての自負が、僕自身にもありました。そこで手描きの原画をデータ化して、化粧まわしの生地にレーザーでQTSのアウトラインを転写し、それを職人に渡して、刺繍してもらうというやり方にしました。結果的に思い通りの仕上がりになりました。
これが僕にとっての対話です。職人に丸投げするわけではなく、かといってまったく信用しないというわけでもない。相撲は伝統を重んじる国技なので、外から見えない決まりごとも多く、それらに抵触しないよう、だけど自分の表現は殺さないよう、着地点を見極めながら進めていく必要がありました。素材との対話、職人との対話、相撲業界との対話を、僕なりの捉え方で実現した好例です。
作品をつくる時は様々な素材を使い、壁画や絵画、パフォーマンス、映像などメディウムを横断して表現します。それぞれの素材がもつ特徴をまずは理解して、対話をしながら横断するプロセスは、社会との対話に置き換えても同じかもしれません。捉えようによっては、広く浅く器用にやればいいみたいに聞こえるかもしれないけど、ひとりがこなせる量にも限界があります。アーティストとして扱える素材の数にも限界があるし、ただ手広くやればいいわけではもちろんない。
だから自分にとって意味のある、関係性をつくるべき対象を考えて対話していくことが大事。それは個人のバックグラウンドによって違うと思うんです。僕の場合、場所でいったら東京とニューヨーク、そして父の故郷のイタリアは、単なる興味関心を超えたパーソナルな関係性があります。見境なく横断をするのではなく、自分の物語としての必然性を捉えながら、対話を重ねていくことが重要ではないでしょうか。
撮影場所:大山エンリコイサム『Map Drawings』(会場:POST-FAKE projects、会期:2023年4月7日~5月21日)
取材を終えて......
一つひとつの質問に、明快かつ論理的に答えてくれた大山さん。「はじめからこういうことを考えていたわけではもちろんなく、20年くらい活動を続け、手を動かす過程で、少しずつ自分の中で言葉が整理されてきたのです」と最後に語ったのが印象的でした。大山さんが大事にしている対話は、自分という内側に向けてまずは徹底して行うからこそ、他者とよりよい形でつながることができるのでしょう。アーティストでありながら、エアロゾル・ライティングの研究者でもあり、キュレーターやディレクター的視点も持ち併せる。肩書きや役割も自由に着脱して、横断していくあり方は、とても現代的に映りました。(text_ikuko hyodo)