自ら手を動かし、「働く」と「つくる」を結ぶ。
デジタルファブリケーション等のテクノロジーを用いて建築の民主化を目指す設計集団VUILDの代表を務める秋吉浩気さん。“メタアーキテクト”を標榜し、建築物のデザインだけではなく、その背景の流通過程までを含む、全体の構造をデザインするスタートアップ企業の起業家でもあります。現在開催中の『MIDTOWN OPEN THE PARK 2023』では、「Picnic Lab」と題し、東京ミッドタウンとコラボレーション。一人ひとりがつくり手となる未来では、どんなことが可能になるのでしょうか。建築とテクノロジーの関係、デザインの拡張性、社名の由来である「“生きる”と“建てる”が繋がる世界」について、お話を伺いました。
VUILDで販売している木材用の3D加工機「ShopBot」は、事業としてだけじゃなく、未来の可能性に投資する目的で購入してくださる人が、どんどん増えています。近年、大工は後継者が減って、このままいけば消滅するとも言われている職業。木を扱う人が減れば、川上にある林業も危機にさらされ、家や建物の維持管理も難しくなる。我々の取り組みやサポートが、デジタルネイティブの子どもたちの未来に繋がってほしいという思いもあります。eスポーツの延長線上の"e大工"のような感じで、デジタルでモノづくりをする人が出てくれば、と。
会社として、また創業前は個人的にも、子どもたちのためのワークショップを多く開催してきました。そこで感じるのが、思いもよらないアウトプットの面白さ。子どもって、名前のないモノをつくり出すんですよ。既成概念のストッパーを一度外してあげると、見たことのないものや、自己表現の延長にある新しいものをつくり始める。
ある時は、小1くらいの子が、「仲よしボックス」というものを開発しました。いくつも丸い穴が開いた箱で、みんなが穴から顔を入れて向き合うと仲よくなれるというもの。また、別の子は「もしもしベンチ」といって、お父さん、お母さんと真正面では本音を話せないからと、背中合わせで話せるイスのようなものをつくった。要は、ドラえもんみたいな世界ですよね(笑)。
今、多くの人が『マインクラフト』や『フォートナイト』といったゲームをするのは、自分の世界をつくりたいからだと思うんです。でも、現実社会で好きに建物を建てたりするには、高いハードルがあります。一方、遊びの世界の延長上で、目の前の都市や街もつくれるというところにシフトできれば、その感覚も変わってくると思うんです。
10年後に15歳、20歳になるのは、今の5歳、10歳の子どもたち。僕らが加工機やワークショップを通じてやろうとしているのは、その世代に「世の中って、もっと楽しいんだ」と共有していくこと。子ども時代の体験が、年齢を重ねた時に新しいビジョンになっていく。だからこそ今、子どもたちが何とどう触れ合うかは、すごく重要だなと思っています。
子どもと違って、残念ながら大人のストッパーは、なかなか外れません。実は以前、六本木にも「ShopBot」があったのですが、技術の研修は受けるけれど、何をクリエイションしたらいいか分からないという人が意外と多くいました。失礼な言い方かもしれませんが、お金を稼ぐことに長けているけれど、クリエイティブには意識が向いていない人が少なくないというか。要は、働く場所になっているんでしょうね。
もし、六本木で働く人のクリエイティブストッパーを外すとしたら、まず「働く」と「つくる」をどう結びつけるかだと思います。そのためには、クリエイティブのマインドをつくることが最優先。きっと、ビジネスのマインドでいると研修を受けたり、コンサルに聞いたりして、頭でっかちにはなるけど手は動かさない状況になってしまう。だから、実際につくってみる場はあった方がいいですよね。
ただ、アートやデザイン界の最高峰の作品が展示されている六本木で、何かをつくるって相当ハードルが高いと思うんです。一流アーティストの完成したものが数多く並んでいて、レベルの高いデザインやクリエイションの聖地になっている。そういう意味では、もっとも失敗できない場所と感じるかもしれません。
だからこそ、失敗できる場所があるといいんじゃないかと思うんです。"クリエイションのための墓場"というと言葉は悪いですけど、失敗を許容する場というか。成功しなくてもいいから、自分で手を動かして、見られる立場になってみる。きっと、人に見てもらうことから得られる気づきは、ビジネスの可能性も広げてくれると思います。
以前、僕らの展示を見て、素人がデザイナーになると世の中にゴミが溢れ返るんじゃないかという、厳しい意見をいただいたことがあります。プロにはディテールの甘さや未完成な部分が目につくかもしれませんが、そういう批判から逃れられる聖域をつくってあげないと、アイデアが一気に死んでしまう。もしかしたら、失敗の聖域をつくるアイデアは、六本木だからこそできることかもしれません。
さらに、その先に価値観の変化が起こるといいなと感じます。「EMARF」を使ってもらえるのはありがたいという前提の話ですが、現状は自分のつくりたいものを、自分のためにつくっているユーザーがほとんどです。最初のフェーズとしては十分ですが、その先になかなかいけない。僕は"メタデザイナー"とか"メタアーキテクト"と呼んでいますが、一歩下がって物事を整理する、誰かの可能性を引き出してあげる、みたいな価値観に辿り着くのはすごく難しいな、と。それを打開する次のフェーズとして、新たな仕組みづくりも始めました。
そのひとつが、共同事業者をつくっていくこと。今までは「ShopBot」購入者との間に、サービスの提供者と利用者という分断がありました。でも、そこに線引きをせず、同じ座組みのパートナーとしてやっていければ、より広がるんじゃないかな、と。YouTubeにYouTuberという職業があるように、EMARFERみたいな感じで職業化して、前向きにコミットしてくれる仲間を面的につくっていく。創業5年を迎え、次の5年はそういった目標を掲げています。
それから、個人的に興味があるのはジェネラティブAI。世の中的にホットなテーマですし、僕らもこの波に乗り遅れまいと開発を進めています。画面の指示に合わせて言葉を打ち込むと、「EMARF」で思い通りに家具が出力できるものですが、アルファ版をローンチできるところまできています。他の画像生成AIなどと違う一番の強みは、実際につくることができることです。
もともとVUILDという社名は、生きることや生命にまつわる「Living」、「Vital」の"Vi-"と、建てるという意味の「Build」とを掛け合わせたもの。実は「生きる」と「建てる」の語源って、ほぼ同一だと言われています。まさに我々が目指しているのは、生きることとつくることが巡る社会なんです。
今はご飯が食べられない、雨風にさらされて生きていけないということはあまりないけれど、生きるための精神的なモチベーションを保つのって、結構難しいじゃないですか。でも、自分のやりたいことが叶うと、やっぱり楽しくて喜びになる。建築家の人たちが様々な苦難に向き合いつつ、それでも続けているのは楽しいからなんです。その楽しさや喜びは、デザイナーやクリエイターだけのものでなく、もっと開かれたもののはず。例えば、料理がうまくできて、食べた人が喜んでくれると幸せを感じますよね。
本来、建築や家具、空間の世界も同じように、みんながつくる幸せを感じられるものなのに、現実はそうではない。今は与えられた街並みと住まいに、自分が消極的にフィットすることが多いし、対象が大きすぎて関与できる余白がないと感じるものになっている。それをもう一度、庶民の手に取り戻していこうというのが、VUILDの考えです。
クリエイティブが庶民の手に戻ったら、職を失う人がいるかもしれない。でも、誤解を恐れず言えば、中途半端なデザイナーは淘汰されてもいいんじゃないかと思うんです。ただ、淘汰されても、職能を活かして市井の人々の設計をサポートするという役割が残されている。今、建築家という職業から想起されるのは、優れたコンセプトやアイコニックなデザインをつくる人。作品をつくるだけの人になっていて、建築家自体の可能性を矮小化させている気がします。
本来、建築家は"建てる人"。日本でいうと大工さんや棟梁のように職人たちをどう束ね、どうモチベートするのか。サポーターやメンターのような意味合いが強かったと思うんです。かつ、どこで材料を調達して、どうやって建て、どこの経済に還元するのかという、生態系やシステムを含めてデザインすべきなのに、今はそこまで踏み込まなくなっている。
僕も作品をつくる側ですが、やりたいのは建築家から想起されるところの作家性も備えつつ、見落とされがちな流通圏や経済圏といった周りのこと、人を育てること含め、デザインすること。エゴを出す建築家って、世の中に多くは必要ないじゃないですか。この人にしかできないという強い独自性だけが生き残って、それ以外はシステムで補完されて民主化されるような社会になればいいな、と。最終的に我々が目指すべきところは、生きることと、つくることや建てることをもう1度同じ次元にすること。おいしいごはんの話とデザインの話が、同じ次元で語られる社会の方が、生き生きしていて健全だと思うんです。
撮影場所:R-Studio (https://www.miss-ty.com)
取材を終えて......
インタビュー中にも出てきたように、まさに"全体性"を持った発想、思考で、明快な言葉を返してくださった秋吉さん。生きることと建てることを同次元にというお話は、人々が本来持つ人間性を取り戻し、社会問題の解決に繋がるとても壮大な視点だと感じます。何かを生み出すことは、単に形をデザインすることではなく、体験し思考することが重要で、その先に何をつくるのか、何を未来に残していくべきなのかと、つくる当事者が価値観や想像力を広げていく作業なのだと再確認しました。(text_akiko miyaura)