街に「誇り」をもたらすものづくりを。(武井)
長い時間軸のなかで繰り返す「リズム」を捉えてみる。(吉本)
武井祥平実は吉本くんとは学生時代、「i.school」という東大のプログラムでニアミスしているんです。
吉本英樹ちゃんと話すようになったのは、お互いに独立して、ミラノサローネで会うようになってからですよね。
武井2016年に僕が仕事でロンドンに行ったとき、吉本くんのスタジオに遊びに行ってしこたま飲んで、終電を逃して泊まったこともありました(笑)。
吉本スタジオの庭にテーブルを出して、飲みましたね。
武井そのときの経験がカルチャーショックだったんです。吉本くんは大きなスタジオを持っていて、そこではいくつかのプロジェクトが同時進行していた。RCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)からのインターンも何人かいて、すごく活発なスタジオという印象を受けました。あのスタジオは、もともと修道院の宿舎だったんですよね?
吉本そうなんです。ロンドンの中心から離れたところにあるレンガ造りの大きな建物を、スタジオとして使わせてもらっていました。
武井僕も頑張らねばといい影響を受けて、その後、東京で広めのスタジオに引っ越しました。吉本くんのおかげです。
吉本武井さんは多くの人から信頼を得て、スケールの大きいものをたくさんつくっていますよね。ビジョンがしっかりあって、職人という感じがするし、それでいてクリエイティブ。いろんなことを実現させるには、たしかに広いスペースが必要かもしれない。
吉本僕は去年、六本木ヒルズのウェストウォークに飾るクリスマスツリー《BON-BON BLOSSOM》の制作を担当しました。コロナ禍で売れなくなり、廃棄される予定だった花をドライフラワーにしてツリーをつくったのですが、今年は名古屋にあるミッドランドスクエアでジャングルジムのツリーを制作しています。クリスマスツリーは数週間、街をハッピーに演出してくれますが、12月26日の0時を回ると一気に解体されて、ゴミ箱行きとなります。そこから街はお正月ムードに一変する。SDGsやサステナブルがこれほど声高に叫ばれているのに、矛盾していますよね。今回のツリーはクリスマスが終わったら、名古屋市内の3カ所の保育園に、本物のジャングルジムとして寄贈されることになっています。仮にそれぞれの場所で数十年残り続けて、「このジャングルジムは、実は2022年のクリスマスにね......」と話題にのぼるようなことがあったらいいなと思って。ツリーには照明のオーナメントが100個ついているのですが、それらは解体時に回収して、お客様に抽選でプレゼントすることになっています。
武井僕は、nendoさんがデザインした東京ミッドタウンのクリスマス館内装飾《Glitter in the air》のクリスマスツリーのエンジニアリングを手伝っています。それと、吉本くんが去年担当した六本木ヒルズ・ウェストウォークのツリーを、今年はWOWさんが手がけているのですが、そのエンジニアリングにも携わっています。なので光栄なことに、六本木エリアのクリスマスツリーを裏側で支える存在になっています(笑)。といっても、クリスマスツリー制作に関わるのは今年が初めてで、とても新鮮な体験でした。吉本くんが言ってくれたみたいに、エンジニアリングという職人的な関わり方なので、まず安全につくることに注力しました。また、普段から、自分たちが関わる作品に「力み」が感じられるものにならないようにも意識しています。表現が際立って見えるのが理想というか、軽々と品の良いことをやっている印象になればいいなと思っているんです。
吉本クリスマスツリーを設置するのは、いろんな人が行き来する、パブリックな場所です。もしかしたら、なかにはコロナ禍で家族を亡くした人もいるかもしれない。ユニークで新しい表現を模索することは、自分に課せられたミッションとして当然ありますが、同時にメッセージやコンセプトでは、社会の流れに寄り添うことを大事にしたいと思っています。
武井展示する場所を問わず、エンジニアの立場として思うのは、社会に対してマイナスになるようなものはつくりたくない、ということです。工学系を専攻すると、「技術者倫理」といってエンジニアたるものは何を考えて、倫理的に技術をどう発展させていくべきかを学びます。そんなふうにテクノロジーの発展が社会にとってマイナスになっていないか、という意識を常に持って仕事をしていますね。特にAIやロボティクスの分野が加速度的に発展しているので、人間の存在意義をしっかり考えないと、本当に目的を見失いかねない状況だと思います。
街に置かれる作品として目指しているのは、その街の「誇り」になること。僕は表現に関わるものづくりを通して、人の思い出に残るモニュメント的なものを主に手がけているのですが、即座に役に立つようなものはそれほど多くない。それでも、誇りを持ってもらうことはできると思うんです。例えばフランク・ゲーリーが設計したビルバオ・グッゲンハイム美術館は、計画時には、景観を壊すとか、お金の無駄だとか反対が多かったそうです。だけど、完成して多くの人が訪れ、ポストモダンの重要な建築になることで、捉えられ方も変わった。文化的な意味を持つ作品は、効果が直接目に見えにくかったりしますが、やっぱりそこに住む人たちや訪れる人たちに、喜ばれるものを生み出したいという気持ちが常にあります。
吉本Tangentは2015年に創業して、エンジニアリングとデザインの両方を行き来するような活動を標榜してきました。ただし最初の5年くらいは、テクノロジーとはいいつつ、最先端のテクノロジーを使っているわけでもなく、どちらかというと表現が前面にあって、裏でプログラミングが少し走っていたり、センサーがついていたり、というスタイルが多い状況だったんです。
武井nomenaもそこは一緒ですね。テクノロジーって言葉をそのまま捉えると、最先端だったり、社会を変えたりするようなニュアンスが生まれがちですけど、僕らが扱うものの多くは、むしろ"枯れた"技術。身近にあるものを組み合わせて、今まで見たことのないようなものをつくれないかと画策しています。最先端のテクノロジーにも興味はありますが、そういったものを使うとどうしてもドヤ感というか、力みが出がちなので。その辺りは僕らの技術の関わり方のひとつの特徴というか、ほかのエンジニアとちょっと違うところなのかなと思ったりはします。
吉本僕の場合は、ここ2、3年で潮目が少し変わってきていて。教える側としてロンドンから拠点を東京に移し、東大に戻ってきたことも無関係ではないのですが、ドローンやAIのシステム開発を進めるなど、大学の研究レベルのテックに携わる機会が増えてきました。そういった技術をデザイナー、あるいはアーティストの目線で捉えたとき、科学者やエンジニアでは発想し得なかったアイデアを出せたりするんですよね。それをうまく育てられれば、これまでなかったような需要が生み出せるかもしれない。このタイミングになって、ようやくテクノロジーとデザインの両方をやっているのだと、自信を持っていえるようになったし、それ自体の面白さを感じています。技術をクリエイター目線で違うベクトルから見ることが自分の役割なのかな、と思えるところまでになってきました。効率の良さを目指さなくても、こっちのほうがグッと来るし、気持ちいいよねっていう感覚を大事にしています。
撮影場所:六本木 蔦屋書店