「良質なカオス」で人と人が出会う。
僕の好きな場所のひとつに、ロンドンの「Tate Modern」があります。テムズ川沿いにある国立の近現代美術館で、火力発電所が美術館として生まれ変わった場所です。ここが好きな理由は、美術館につくり直したことで街のカラーが変わっていったこと。廃墟化した火力発電所の周辺は治安の悪い街だったのが、美術館ができたことで街そのものが変わっていった好例です。美術館がひとつできたことで、地域のイメージが更新されて、その後は自然発生的にジェントリフィケーションが起きる。日本における美術館と都市の関係の成功例としては金沢21世紀美術館が挙げられますね。
別の例で、現在は「MoMA」の別館となっている「PS1」という場所があります。1971年にアラナ・ハイスが「芸術と都市資源のためのインスティチュート」という組織をつくり、廃校を使って「PS1 現代美術センター」を発足したのが起源です。その後、治安の悪かったニューヨークでアーティストがイニシアティブをとるユニークな文化スペースとなっていきました。この例が教えてくれるのは、何が起こるか分からない場所=良質なカオスを、コミュニティの一員として社会が"抱えて"おくことは見えづらいけれど意味があるということ。長期経済の視点が街づくりに持ち込まれ、新しい価値の効果測定ができるようになると、デベロッパーもちゃんと投資することができるようになる。
六本木は、再開発でたくさん廃墟が出てきていますよね。あの廃墟をスクワット(=空き家等を無断で占拠すること)できたら面白い。再開発という街が新陳代謝する時に、廃墟を使ってできることがあると思うんです。「ANB Tokyo」を通して熱量が高まっている人たちが出てきているし、僕自身も美術館で働いていた時よりも視点に広がりが出てきたので、六本木の街中でスクワットをやってみたい。
廃墟は、都市における隙間のようなものです。そういう隙間があると、使う人たちが出てきて、そしてそれを許容するカルチャーがあることが都市にとって重要なんです。隙間のような場所に、少しのルールがあり、それにのっとれば何かができる。そこで何が起こるかはわからないし、場所とともにいつかは消えていってしまうけれど、その街にいた人の記憶にはきっと残るはずです。
都市の寛容さと言っても、スクワットをしてもいいですよ、と許可を与えてそこで起きることに何かを期待するのは違うと思います。当たるも発見、当たらぬも発見、という寛容さを持っているからこそ出てくるセレンディピティを楽しむ、くらいのスタンスがちょうどいいのではないでしょうか。
いい事例に、千葉県松戸の「まちづクリエイティブ」という会社が起こした民間の街づくり活動があります。空き家問題が深刻な松戸で、その家をアーティストに転貸借して街づくりを図るというもので、「MAD City」と名付けて様々な改装可能な物件を紹介しています。この例の良かったところは、原状復旧の必要がないことなんです。うまいですよね。そうすると、アーティストは好き勝手やる。好き勝手だけど、アーティストもそこに住むわけなので生活しやすい環境にはなる。そういう遊ばせておく力が、場を提供する側には求められるのです。
何が起こるかわからない場所や出来事に過度に期待しすぎず、自由にさせておく。これが「良質なカオスを社会が抱えておく」ことの秘訣なんだと思います。
撮影場所:ANB TOKYO『Encounters in Parallel』(開催中〜2021年12月26日)
取材を終えて......
海を埋め立て、急激に再開発が進んだ街で働いていたことがある私。整然とした街並みを眺めては、「整ってるんだけど、なんか足りないんだよな」ともやもやしていた記憶があります。取材で「何が起こるかわからない場所」というキーワードを聞いて、「それだ!」と思いました。予測不可能で、めまぐるしく変化する熱量を持った都市の隙間。そういう「あそび」の部分があるから、都市を自分の居場所だと思えるのかもしれません。六本木の廃墟でスクワットが始まったら真っ先に取材に行きたい!(text_Koh Degawa)