世界でも有数の技術力とクリエイションを地続きなものに。
ロンドンの名門校、セントラル・セント・マーチンズ美術大学在学中にジョン・ガリアーノのアシスタントを務め、首席で卒業。帰国後、若くしてブランド「writtenafterwards」を立ち上げた山縣良和さん。さらに、2008年には「ここのがっこう」を設立し、間口の広い学びの場をつくりました。山縣さんが描いてきたのは、生きるためのファッションであり、着飾ることと自然が延長線上にあるのが当たり前の未来。世の中のファッションという概念を超えた場所で、温度のあるクリエイションを続けている山縣さんが、人や社会、都市にもたらそうとしているものは——。そのヒントとなる現在国立新美術館で開催中(2021年9月6日まで)の『FASHION IN JAPAN 1945-2020 ―流行と社会』の展示のお話を起点に、今感じていること、未来のためにできることを伺いました。
僕がファッションの役割として、「心の治療」に大きな可能性を感じています。それはファッション表現の過程で当事者研究的に自己を掘り下げて考え、社会への問題意識を持ちながら表現していく部分です。主宰している「ここのがっこう」で最も大切にしているのもそこです。もちろん、ファッションにおけるクリエイションを学ぶのですが、最初に「そもそもファッションってなんだろう」という問いに向き合うことから始まります。やはり、ファッションクリエーションにとって、"環境と自分"というのは切り離せないもの。環境によって自分がつくられ、自覚的にも無自覚的にも影響を受けながらそれが自己の装いになっていく事を認識するーーつまり、自分のルーツと向き合うことが表現に繋がると思うんです。
自分のルーツや歴史だったり、自分がつくられた環境だったりを知ること。それを自分だけでなく、他者に共有しながら共に考えていくことに重きを置いています。具体的に形にするために、「リサーチブック」というものをつくってもらうんですね。今自分が興味のあることでも、自分のルーツになっているものでも何でもいいので、ペタペタとスクラップ的に収集したり、絵を描いてみたり、文章を書いてみたり、とすごく自由なブックです。
僕がロンドンで通っていた学校でも、当たり前にリサーチブックをつくっていました。自分自身を研究するというより、もう少しプロジェクト寄りのものでしたが、自分を知るきっかけにはなりましたね。自分を知るということは、コンプレックスにも向き合うことも大切です。コンプレックスと向き合うと、その先でコンプレックスが生成された原因となる社会問題とぶつかることもあるんですよね。僕自身、昔はコミュニケーションがうまくできなかったですし、勉強もできる方ではありませんでした。自信が持てず、言ってしまえばバカにされ人生でした。でも、それがエネルギーになってきた部分はあります。そのリサーチブックが今後生きていく上での何らかの道標となっていけばいいなと思っています。
「ここのがっこう」の拠点となる場所も、大事な部分です。以前から東京でモノづくりをするなら東側というのが、僕の中では重要なポイントの一つでした。現在学校は浅草橋にあるのですが、東京の東側はもともと職人の街でもあり、昔からモノづくりの歴史が根付いている場所です。日本に限らず、アジアには元々自国の文化があったけれど、第二次世界大戦以降、西洋化によって180度変わってしまうような価値観が投入されたという歴史があります。そんな歪みのある状況の中でモノづくりを考えていく時、日本人がもともと持っている価値観と歴史と現在を地続きで繋げて考える事ができる環境づくりが大切です。
ふだん、僕は上野や谷中近辺で過ごすことが多いのですが、あのあたりは空襲をあまり受けなかったのもあって、古い街並みが多く残っているんです。日常的に職人や歴史的建造物に触れ合えるというのもありますし、情緒を感じられる場所でもあります。あと、個人的に田舎の出身なので、田舎風味が残っている場所を探すクセがあるんですよ。前に出張で山梨県に行って谷中に戻ってきた時、若干田舎の情緒観と地続きの感覚が湧き上がりホッとしたのを覚えています。人によると思いますが、僕の場合は心健やかに保つという意味でも、東側が合っているのかもしれません。
東側にいることが多いので、今、展覧会の会場である国立新美術館のある六本木とかは、展示の準備以外だとなかなか最近は行く機会がなくて。でも、縁がないわけではないんです。僕のパーソナルな話でいうと、〈writtenafterwards〉を立ち上げて最初にプレゼンテーションをしたのが、21_21 DESIGN SIGHTで行われた『ヨーロッパで出会った新人たち』という展覧会でした。初めて自分のクリエイションを見せた思い出深い場所ですし、当時のように新人、大御所に限らず、新しいクリエイションがいつも見られる場所として機能し続けてほしいなという気持ちもあります。
街を舞台にモノづくりを考えた時、その場所の過去の歴史を紐解いて、今に繋げていくというのが僕の根本にはあります。例えば、ちょうど今『東京ビエンナーレ2020/2021』に向けて、《Small Mountain in Tokyo》というプロジェクトをやっているのですが、それも現在は神田明神になっている場所に、神田山という山があったという歴史から考えたもの。その昔、神田山を削って日比谷一帯を埋め立てたのですが、もう一度、神田山をつくろうというコンセプトで進めています。
もともと自分が山に囲まれた場所で育ってきたので、東京にも山があってほしいなという気持ちがあります。リアルに山を具現化するには、膨大な費用と作業が必要なので、まずはバーチャルで山をつくろう、と言うことになりました。スマートフォンをかざすと、僕がつくった山の模型が出現するのですが、「昔はこんな風景だったのかも」と味わってもらえる時間になればと思っています。それこそ、六本木は高低差のある土地も多いので、いろんな歴史があるはず。いろいろ調べたら、何か可能性が広がりそうですよね。そうやって過去の歴史が結びつくような街づくりは、個人的にもとても興味があるところでもあります。また六本木は日本軍や米軍の拠点となる軍隊の街でもあったので、戦争と平和とファッションについて考える展覧会などを行ってみたいです。
街づくりの話ともつながるのですが、最近、東京から少し離れた場所に行く機会がちょこちょこあるんです。「ここのがっこう」との協業で展覧会やモノづくりをしていることもあって、山梨県の富士吉田市とはご縁があるのですが、すごくポテンシャルを感じる街です。東京から2時間弱ほどの距離ですが、古い街ならではの情緒があって、素敵な建物が残っていたりするんですよ。築100年以上の建物を生かしてお店をしていたりして、場所の使い方が優雅。インターネット社会になったこともあって、ビジネス的にも地方の難しさが緩和されていてすごいなと感じます。
街の中には小さな家族経営の職人さんがたくさんいて、そのコミュニティの中でお互い助け合っている。街おこしにも積極的で、外部からやって来る僕らや学生の受け入れ態勢も柔軟で、素敵な場所だなと感じます。そんな街に触れて、地方ならではのポテンシャルをすごく感じる今日このごろ。逆に、「じゃあ、東京は何をすべきか」というのも考えさせられます。
あと、日本って海外から見ても、素晴らしい職人さんが多くいる国なんですよね。職人なら先進国に分類される国の中では日本か、イタリアかと言われるほど、世界的な環境です。例えば、日本人は意外と知らないけれど、「CHANEL」なんかのラグジュアリーブランドの生地を日本で多くつくられています。世界トップクラスの技術と素材が目の前にある上に、いい意味で敷居が高くないので、いろんな人がリーチできる環境なんです。こういう環境って世界を探してもなかなかないですし、ものづくりにおいてとてもポテンシャルの高い国だと思います。
この環境を生かすために、一つ課題となるのが、これまでの効率化による弊害。効率を上げるために分野毎で分業しすぎたために、相互理解やコミュニケーションが生みづらくなってしまっている部分があると思います。例えば、フランスの「HERMES」は職人さんが中心にいて、そこにデザインチームも一緒にいるという感じで。ごはんを食べるのも、職人さんが最初らしいです。それくらい職人さんありきで、会社が成り立っています。その点、日本は職人さんが企画の外部にいたり、リスペクトが足りなかったりという部分があるので、そこが変わっていくといいなと思います。技術や環境はすでに高いポテンシャルがあるので、職人さんを大切に協業しながら職人さんありきのモノづくりをしていくことが大切。それが、未来に繋がっていくんじゃないかなと思います。
撮影場所: 国立新美術館『FASHION IN JAPAN 1945-2020 ―流行と社会』(開催中~2021年9月6日まで)
取材を終えて......
お話を聞きながら感じたのは、いい意味で、見ている視点がファッションデザイナーではないということ。もちろんエデュケーターとしての経験もあるからこそでしょうが、領域が壮大すぎてデザイナーと呼ぶには忍びなく、とても自由で深く柔軟な姿勢という、多くの教育者がなかなかたどり着けない場所にいる。地球まるごと、ひょっとしたら宇宙まるごと、包み込むような思考回路を持っているのではないか。そう思うほど、大きな何かを感じる方でした。(akiko miyaura)