世界の豊かさは、曖昧な空間でこそ見つかる。
建築というのは、世界のあらゆる混沌を引き受けなければならない側面を持っていますが、同時にそこが面白さでもあると感じるんです。例えば、六本木のような、ある種ごちゃごちゃした場所が持つ魅力は、時間をかけてつくられるもの。そこに生まれる街の豊かさって、簡単につくれるものではないんですよね。一方、僕は北海道の自然溢れる田舎で育ってきたので、人工物だけでは何か物足りないというのもわかる。僕が育った家は雑木林のような場所にあるのですが、木々が雑然と茂っている中、どっちに行くでもなくウロウロとできるあの感じと、東京のヒューマンスケールのごちゃごちゃした商店街のような場所が、なんとなく似ているようにも思えるんです。
ただ、自然の厳しさを肌感として理解している身からすると、東京は、人工物と自然が適度に溶け合って優しい場がつくられていると感じることがあるんですよ。東京って人間がいろんなものを小さくあしらって、自分たちの生存を脅かさないようにうまくアレンジすることで、街がかわいらしくできている気がするんです。一方で巨大な建築物の開発が進むと、そのヒューマンスケールの街が失われかねない。でも、巨大さだけが持つダイナミズムもあると考えると、何でもかんでも小さければいいということでもなくて。どちら"が"いいではなく、どちら"も"いい。だからこそ、自然物と人工物の片方を切り捨てるのではなく、小さなスケールと大きなダイナミズムのどちらかでもなく、両方の魅力をしっかり取り込みたいという思いが、建築における僕の出発点になっているのかもしれません。
建築って、いい意味で曖昧な場所をつくることができるんですよね。簡単に言うと、中と外、開放的なものと守られているもの、繋がっているものと離れているもの......こうやって言葉にすると両極端ですが、それらの両者の間に広がる豊かさみたいなものがあるというか。もっといえば、そこには人間が生きていて、人が多く集まる場所もあれば、一人で静かに過ごす場所だってほしい。秩序だっているものと、秩序がないものの両方に魅力がありますし、シンプルなもののよさもあれば、複雑でカオスなもののよさもあります。僕は両者が融合することではじめて生まれる"場所の多様さ"のようなものをつくりたいと思っているんです。
"多様さ"というのは、プロジェクトによっても違いがあります。例えば、場所ごとに積み重ねてきた気候風土や文化的背景も、その土地の過去の歴史や現代の姿も違う。建築をやっていると、ひとつとして同じ場所はないことを実感するんです。さらに関わる人によってプロジェクトの意味合いも変わる。そういったさまざまな要素が溶け合って、"多様=いろいろな場所"が生まれるんですよね。そこでは僕たちはいろいろな選択肢を持つことができる。とても豊かな場所になるのだと感じます。
僕が実現したいのは、多様であると同時に人間にとって安心感があり、一方でどこか予測不可能な面がある場所。人工物はどちらかというと単調になりがちで、すべてが予測可能な方向へいくことが多い。逆に、自然は多様であり予測不可能。だからこそ、人工物と合わさることで、"ちょうどいい何か"が出来上がるんじゃないかと思うんです。ワクワクするようなポジティブな予測不可能性というのは、これからの都市のヒントになる気がします。
僕が建築物を建てるとなった時、最初にするのはわりと普通のことなんです。プロジェクトや場所の背景をしっかりリサーチして、自分がその場に行った時の印象を大切にしつつ、そこで生きる人たちの話を聞く。考えてみると、話を聞いている時にアイデアが浮かんでくることが多いかもしれませんね。最初はとりとめのない話なんですけど、ひと言、ひと言によっていろんな形や情景が浮かび、だんだんと結び合わさっていく......というように。一見バラバラに思えるさまざまな印象が、少しずつ繋がって最後にひとつの形となり、空間として落ち着く。天才的な思いつきって本当に稀で(笑)、そうやって徐々に統合していくのが建築のプロセスなのかなと僕は思っています。ただ、ひとつの形になったとはいえ、それはまだ出発点くらいの感覚。それをもとに検証する中でアイデアが変化し、結実していく。最終的に「この場所であれば、これしかない」という説得力に繋がったときに、何かを探り当てたような感覚を得られるんです。
自分の中で"探り当てた感覚"を得られたもののひとつは、南フランスのモンペリエの集合住宅《L'Arbre Blanc》。地中海のそばなのでとても天気がよくて、「冬でもお昼ごはんを外で食べちゃうような場所」というところから、高層マンションではあるけれど「できるだけ大きなバルコニーをつくってみよう」という思いつきがスタートなんです。方法は無限にあるので、さまざまなやり方を試す中で、他の要因も入りながら建築の形に結実していきました。《白井屋ホテル》も「大きな吹き抜けをつくったら面白そうだな」というところからはじまり、クライアントさんと時間をかけてやりとりする中で、どんどん豊かに育っていった感覚がありました。
「頑張って探り当てた」という意味では、《武蔵野美術大学 美術館・図書館》がそうですね。最初は"書物の森"のような図書館をつくりたいと思ったものの、なかなか答えにたどり着けず......。空間をさまよい歩いて、いろんな場所、いろんな書物と出会ううちに、「機械的に本を見つけやすい場所というのではなく、散策して歩けるような場所をつくろう」という考えに至ったんです。とはいえ、しっかりと機能的に本を見つけやすいルートは確保し、同時に散策するワクワク感や、予測不可能性を両立させています。最終的には渦巻き状の本棚を置いた、迷路のような空間になっていきました。美大の図書館だったこともあって、様々なインスピレーションを得られて、その場で床に座って本を読みはじめてもいいような、森のような場所になったと思います。
僕が大切にしているのは、何をつくりたいか、ではなく、その場所がどうなってほしいか、に耳を澄まし、どうなっていくんだろう、と見守る感覚。思い通りにつくることとはまったく違い、ある種の感触は持ちながらも、先が読めないものをつくっている感じなんです。農作物を育てることに近いのかな。場所や気候によっても、関わる人や手の加え方によっても農作物の出来って変わるじゃないですか。とはいえ、農作物なら「にんじんをつくっている」と分かるけれど、僕らの場合は何を育てているか分からない状態(笑)。「この場所ならではの何かが実ってほしいよな」と願いながら、土の匂いや風向きといった豊富にある手がかりを探っているんだと思います。
建築に関しては、これまでも今もずっと試行錯誤。特に若いうちは何もわかっていなかったので、自分が考えたようにはいかなかったことも多々あります。もちろん、すべてを全力でやって自分なりに結果を残してきたつもりではいますが、ある意味、流されながらも幸いにして素晴らしいクライアントさんや、素晴らしいプロジェクトに恵まれてきた。それにどんなプロジェクトを依頼されるかは予測できないので、都度、新しいプロジェクトや土地に出会うたび、面白がりながらはじめるということが大切なのかな、と。「ここから、どんな冒険がはじまるんだろう」とポジティブに状況を楽しんで、誠実につくっていきたいということは常に考えています。