“目に見えないもの”は、半径1mにある。
私の作品には戦争が登場することもよくあり、「歴史的なことが好きなんですか?」とよくご質問いただくんです。あくまで私が大切にしているのは、自分の半径1mくらいにあること。たとえば、自分の母や母の母、といった身近な存在を辿っていくと、どうしても戦争にぶつかってしまう。そこを描かないと伝えられないことがあるから、戦争のことを書いているというだけで。書きたいという欲求の根本は、なぜ私はこの時代に、この場所で、こういう状況下で生きているのかを知りたいという気持ちなんです。
半径1mというのは身近な人々だけじゃなく、街の中にもある。本を書く前に、さまざまな街を訪れることがあるのですが、都市の中には層の違うあらゆる歴史が残っていて、その断片みたいなものを見つけた時に、すごくエキサイティングな気持ちになります。『トリニティ、トリニティ、トリニティ』を書く時も、チェコのヤーヒモフ(現地の鉱山原産の鉱石からキュリー夫妻がラジウムを発見したことで知られる)という本当に小さな街へ取材に行きました。
その街の真ん中を走る"銀の道"を歩いていた時、たまたま壁を見上げると五輪エンブレムが目に入り、その傍らには"1936"と数字が入っていたんです。「なぜ、こんなところに?」と気になって調べていたら、私は知らなかったことがたくさんあって。"1936"とはナチス政権下で行われたベルリンオリンピックの開催年で、はじめての聖火リレーが行われた大会でもあったのですが、その次に開催される1940年のオリンピックは、実は東京で予定されていたんですね。私にとっては「東京オリンピック」というと1964年のイメージしかなかったけれど、その前に幻となった大会があったことをはじめて知りました。
たまたまエンブレムを見つけて知った歴史から生まれたのが『トリニティ、トリニティ、トリニティ』という物語なのですが、現在このタイミングで、次のオリンピック開催国であるパリでフランス語版が刊行されることになったのにも縁を感じます。足を運んだ先で、ふと過去の痕跡や断片に出会えるのは、私にとってとても刺激的なこと。ガイドブックに書かれるようなことではないけれど、何か惹かれるものに出会う可能性って、あらゆる街にあると思うんです。
六本木にも、たくさんの"痕跡"がある気がします。たとえば、国立新美術館の一角には、旧陸軍の連隊の跡地が残っているんですよね。教科書で習った歴史って、私にはすごく遠い感じがするけど、実はひと繋がりに今の自分の生きている場所にあるもの。それこそ、自分の母の母、祖母にあたるくらい近い距離の人たちが生きていた頃の建物、その人たちが触れていたかもしれないものに、街を歩くと自然とぶつかってしまうことがある。そういうものに出会った時、私はすごくハッとするんです。だから、もし六本木を舞台にプロジェクトを考えるなら、街の歴史探索をしてみたいですね。歩きながら、昔の六本木の話や、今そこに暮らす方々の話が聞けたら、すごくいいなって。
特に六本木は、国内のさまざまな地方やいろんな国外からの方、カルチャーが入り混じっている場所なので、街を歩いていて人とすれ違うと、その人たちがどんなバックグラウンドを持ち、どこから来てどんな風に暮らしているんだろうと、すごく気になってしまうんです。なぜ日本なのか、なぜ東京なのか、なぜ六本木なのか。オーディオガイドを聞きながら街を歩くのもいいですね。
こんな話をしていたら、ふと高山明さんのプロジェクト「東京ヘテロトピア」を思い出しました。私も第1回の「リガ・ヘテロトピア」に参加させてもらったのですが、リガと日本にまつわる歴史がある建物のストーリーを書き、現地の方に朗読してもらったテキストをその場で聞いてもらうという作品を一緒につくらせていただいたんです。その時私が書いたのは、実際の歴史をもとにしたストーリーを、そこに住み続けている幽霊が語るという作品。何より、その物語の舞台となる同じ場所でストーリーを聞けるのが、いいなと思いました。
ぜひ歴史の潜む六本木で、高山さんに「六本木ヘテロトピア」をやってほしいなと勝手に思ってしまいました(笑)。以前、フェスティバル/トーキョー13で行われた「東京ヘテロトピア」に観客としても参加したことがあるのですが、ひとつひとつの場所を歩き、今自分がそこにいる状況、聞こえてくる環境音が混ざり合う中、ラジオからの音だけは過去の歴史や小さな声を伝えてくれる。それが、すごく面白かったんです。
あらためて、私は東京が好きなんだなと感じます。もともと、いろんなものが集まった大都市が好きで、自分が生まれ育った街だからというのもあるけれど、まだまだ伸び代があると思うんです。まだまだ自分の知らない東京がたくさん存在していて、研究できる場所だなと思うとすごくワクワクします。東京というより日本全体に言えることなのかもしれませんが、政治のこととか、協調性を求められるとか、私にとっては少し息苦しい部分もあるけれど、もっと変われると思うし、もっと街も面白くなるはずだと思っています。
そして、私が今もうひとつ興味を持って向き合っているのが絵本。今夏に"死"をテーマにした絵本シリーズの最初の1冊が発刊する予定なので、現在はその準備を進めているところです。震災やコロナ禍などがあって、より死が身近なものになってきている中で、どんなふうに子どもたちに伝えられるだろう、子どもたちと一緒に話すことはできるんだろうか、日々考えることが増えました。子ども時代、私は死ぬことが本当に怖くてしかたがなかった、というのも大きいかもしれません。
自分の子どもを通してというより、最近は自分自身の子ども時代を思い出すことが多くて。もちろん忘れてしまっていることも多々あるけれど、時間が経ってようやく安心して思い出せるというか、言葉にできる感覚があるんです。昔、チェルノブイリ原発事故を取材していたジャーナリストのセルゲイ・ミールヌイさんという方が、20年経ってはじめて現地の人が語り出したというお話をされていたんです。たしかに10年、20年しないと、語れないことってあるだろうな、と感じます。それから20年経ってもまだ語れないということも、あるだろうとも。特に親しい人の死などの辛い経験は、自分自身でも、なかなか言葉にできないし。そう思うと、自分の心の中の時間にも興味が湧いてきます。
でも、書きたいことが変わったということではないんです。"放射能"や戦争については、この先も書き続けていきたいと思っていますし、"目に見えないもの"は、ずっと私の興味の対象であり続けるんだろうなと思います。
(撮影協力:文喫)
取材を終えて......
小林さんの作品は日常にある目に見えないものに宿った、温もりや大切な真実に気づかせてくれます。"放射能"や戦争といったワードは、一見攻撃的なエネルギーに捉えられがちですが、小林さん自身の思いや作品はむしろ対極にあるもの。あらためてお話を伺い、手を伸ばして触れないと気づけない日々のすき間にある思い、ふと埋もれた誰かが残した素敵な物語を辿ってみたくなりました。分からないものだと知り、分かろうと想像することを忘れずに。小林さんの柔らかな話し方と心地よい声に、癒やされたインタビュー時間でした。(text_akiko miyaura)