彫刻と音楽とともに“時”を感じる。
私が住むイタリアには、街づくりに関して厳しいルールがあります。実は私がアトリエを建てる時、市役所の許可がおりなかったんですよ。屋根の素材から瓦の色、壁の色、窓のサッシまで、すべて規定を守ったはずなのに承認されない。話を聞くと、雨どいの素材がダメだと言うんです。今もアトリエの修復をしていますが、「プラスチックの雨どいじゃ、イタリアらしい田舎の風景を壊すから、昔ながらの銅を使ってください」と。北から南まで統一されたイタリアの街づくりは、そんな厳格なルールのもとに成り立っている。ある意味、みんなが我慢をして、勉強もして、お金をかけてあの風景をつくっているんです。
ヨーロッパの中だとパリもゾーンを決めて、建築物に対して厳しい法律を設けていますよね。ただ、その中にもポンピドゥー・センターのような、挑戦的な建物が存在しているのもおもしろいところ。ポンピドゥー・センターは、私も一緒に仕事をしたことがあるレンゾ・ピアノによって設計された建物。名前を冠したポンピドゥー大統領夫妻は、最後までレンゾの味方でしたが、当初は多くの人々が建設に反対したと言います。さまざまな戦いを経て生まれた美術館で、この美術館一つで、今なおアートの街・パリを支えているという存在感がある。レンゾの思い切った挑戦は、その後ヨーロッパ各国のアートに影響を与えました。
古い街並みはちゃんと残し、新しい挑戦はしながらも決まったゾーンには建物の色や高さなどの規定を設ける。そういったトータルの街づくりが、ヨーロッパの素晴らしい風景を守っているんですよね。でも、日本には残念ながら、そういった法律や大きな仕組みがまだない。イタリアに住んでいて、そこは大きな違いを感じる部分です。
もともとは日本の街並みも、とても素晴らしいものだったんです。江戸時代の頃なんて統一感もあって、ヨーロッパの美しい街に匹敵する......いや、それ以上ともいえる空間がありました。ただ、戦争や地震、火事などの影響を受けて、まったく新しい街をつくらざるを得なかった。今も浅草や上野、谷中など、昔の風景を守りながら頑張っている街もあります。そうやってアイデンティティを残しながら、建築が新しい街づくりをリードする仕組みをつくることが、今後の日本の一つの課題だと思います。
これまでさまざまなパブリックアートに関わってきましたが、中でもイタリアの8都市で行った彫刻展は非常に印象的。それぞれの市が主催者となって中心街に入る車を止め、街全体を使った展覧会をしたんです。それを東京でぜひやってみたい、というのが私の夢の一つ。できることなら、銀座がいいですね。今も土日は歩行者天国になっているので、それを3ヶ月に伸ばすだけでいいんです(笑)。東京は街中で何か特別なことをするのが、非常に難しいと言われる都市。普通に考えると、提案の実現は不可能かも。でも、不可能の一言で片づけず、思い切った改革ができれば、東京の街がまた生き生きと息を吹き返すんじゃないかと思います。
1991年のミラノに始まり、2016年のピサまで、それぞれの都市は、個性豊かで歴史も文化も異なり、8都市での展覧会を通じて多くのことを学んだ25年間でした。フィレンツェではルネッサンス時代の広場のみ8箇所が会場に充てられました。ローマではフォロ・ロマーノの一画、世界唯一の古代遺跡美術館・トラヤヌス帝の市場が会場で、目に見えない、形もない『時に触れる』という展覧会タイトルが付けられました。さらにローマの展覧会では「2000年前の遺跡の中に抽象の現代彫刻が立つ姿は、過去と現代と未来を結ぶ何かを感じさせる」と評価され、その場にホワイトブロンズの《意心帰》一点が永久設置されることに。イタリア人とイタリア文化の深さと重さに感動させられました。
それから、次に話すアイデアはすぐにでもできるんじゃないでしょうか。東京ミッドタウンの《意心帰》の周りで、ぜひコンサートをやってほしいんです。今はコロナ禍で、若い人たちの発表の機会が減っている。いくつかの音大に声をかけて、順に学生たちに演奏してもらえば、彼らにとって肝試しのような場にもなります。彫刻と音楽って、すごく相性がいいんですよ。ひょっとしたら、演奏会よりも早く来て《意心帰》の穴に入ってしまう人がいるかもしれないね(笑)。あの中で寝転がって音楽を聴くって、最高だと思いますよ。
音楽と言えば、私はトッレ・デル・ラーゴのプッチーニ財団と、10数年前からオペラの舞台美術の仕事をしています。財団の方からKanの彫刻には死と愛、生と哀しみが内含している、この4つがあれば蝶々さんの魂は表現できるとおだてられ、オペラ「蝶々夫人」の空間をつくりました。たった4つの彫刻がポツンと置かれた舞台で、歌を歌うだけ。つまり、蝶々夫人の悲しい物語を完全に抽象化したんです。"日本人はこうだ"と説明する視覚的要素を一切取り払った時、蝶々夫人の愛が普遍的な愛となり、その魂はお客さんにストレートに届きました。過去100年間変わることのなかった舞台への新たな挑戦に対し、うれしいことにジャコモ・プッチーニ賞をいただきました。ちょっと自慢に聞こえてしまいますが、オペラ歌手のマリア・カラスと同じ最高の賞なんです。
トッレ・デル・ラーゴ・プッチーニ野外劇場にオペラを観に来るお客さんって、毎年同じ演目を見ているはずなのに、みんな泣くんですよ。公演後には、大の大人たちが「あんたは泣いた?」「泣けたよ」「あらいいじゃない。私は泣けなかった」なんて、言い合いっこをしているんです(笑)。要は、蝶々夫人の物語に自分を反映させた時、泣けた人は「あんた、いい人生送っているじゃない」ということなんですよね。逆に泣けなかった人は、「大した人生を送れていないから、今年は泣けなかった」と。これこそがアートだと私は思うんです。
アートは、泣かせてなんぼの世界。そのために、物質にいかに精神性を宿すことができるか、どうすれば彫刻という一つの形態を使って、人の気持ちを受け止めたり、慰めたりできるのか。私なりに考え続けた結果、その人の心を映す鏡になれば、それが可能だということがわかってきたんです。心を映せば、自分の中の悲しさも苦しさも楽しさもよころびも見える。映すだけなので慰めるのは自分しかいませんが、悲しいということを知る、楽しいということを知るというだけで素晴らしいじゃないですか。見た人の心を映し、その人が自分の中にある精神性を知る。それがアートの大切な役目であり、本質だと私は思っています。
取材を終えて......
日本を代表する彫刻家に対して、失礼を承知で言わせていただくと、安田侃さんはとびきりチャーミングな方。撮影では自身の作品《意心帰》の穴に慣れた様子でゴロリと寝ころび、「自分で彫ったから、どれだけ心地よいかわかってるの」と笑う。また、スタッフが資料をクラフト紙にプリントアウトしたものを見て、「私もそっちの紙がよかったな~」と微笑む。純粋な少年性をどこかに残していらっしゃるからこそ、あんなにも汚れのない精神性を持って深くアートを考察し、奥底で石と繋がれるのだと感じました。(text_akiko miyaura)