「初心者の目」で街の魅力を再発見。
森美術館は開館以来、国際性と現代性を掲げて活動をしてきました。特に国際性については、初代館長のデヴィッド・エリオットが日本の美術館史上、初めての外国人館長でしたし、展覧会の企画なども国際的なアートコミュニティに向けて発信をしていたところがありました。その結果、インターナショナルなネットワークに強い美術館という認識を得るようになり、開館当初から今に至るまで、海外からの来館者が多い美術館でもあります。
森美術館のいわば「強み」であるその国際性/グローバルな視点と、対極にあると思われている地域性/ローカルな視点を、どのようにつなげたらいいのか。国際性を考えるにあたり、ここ5年ほど、より強く意識するようになったのは、地域との関係です。というのもグローバルとローカルは、相反する方向性ではなく、地域の活動を通してこそ、国際性も模索できるのではないかと思っているんですね。対極にあると思われている概念や方向性が、同時に存在し得る方法は必ずあるはずで、これからの美術館の在り方としても、二者択一ではない、二者共存のバランスを考えていきたいと思っています。
現代性についても、単に「今」だけを見るのではなく、「過去」を見てこそ、浮かびあがってくるもの。自分たちの立ち位置を長い歴史の中で、時には人類史、地球の歴史といった、長い長い時間軸の中できちんと考え、今を見据えていきたいと思います。
7月から始まった『STARS展』は、もともと、東京オリンピック・パラリンピックの開催を視野に入れた企画でした。海外からの訪問者が日本に来て、何を見たいのか。もしくは何を見せたいのかを考えた結果、世界が認める現代アートのトップランナー、6名の初期作品と最新作をつないで見せる展覧会となりました。この6名は海外でも大変評価が高く、「彼らの作品は日本のどこに行けば見られるのか」と聞かれることが多い方々です。にも関わらず、たとえば、李禹煥さんの作品が常設されているのは香川県の直島だったり、作品が東京では常設で見られない、というアーティストもいます。私としては、この『STARS展』に並んでいるような作品が、東京のどこかに常設されていて欲しいと思っていて、そんな展覧会をつくりたい、と思ったのが始まりでもあります。
『STARS展:現代美術のスターたち―日本から世界へ』は今後の森美術館の性格づけとしても、大きな意味をもつものだと考えています。なぜなら、これも二者共存の考え方で、「専門性」と「大衆性」の両方を内包する美術館でありたいと思っているからです。現代アートに馴染みのない人たちに開かれていながら、専門家、もしくはわりとアートをよく知っている人たちが見ても、新たな発見やうなずきがある展示を行っていきたい。そこで今回大事に考えたのは、スターをスターとして見せるということではなく、彼らがどのようにしてスターになっていったのか。その軌跡を見せていくことでした。ごく普通の若者が、日本を起点にどこから、どう歩んでいったのか。それが伝わると面白いし、その軌跡は、これからスターになる人たちにも可能性を感じてもらえるものになるのではないかと。
もうひとつの特徴は、アーカイブのコーナーを設けたことです。1950年代以降、日本の現代アートが、海外でどのように紹介され、実際にはどう受け取られてきたのかがまとめて見られるようになっています。世界の中での日本の政治的、経済的な位置づけも変わってきていますし、非欧米圏の美術の捉えられ方も変わってきているので、それらをより広い視野で見つめることで、6人のアーティストへの理解も、より深まると思います。アート初心者の方は作品だけを見ても楽しんでいただけると思うのですが、このアーカイブを、わりとみなさん熱心に見てくださっているのが嬉しいですね。
新型コロナウイルスの影響で、森美術館も2月末から休館となり、『STARS展』は、美術館再開第一弾の企画展になりました。5ヶ月ぶりの再開が、この強烈な6人の展覧会で良かったと思っています。コロナ禍で世界中の美術館がオンラインプログラムに挑戦をしましたが、オンラインでの体験の限界が見えてきての再開のタイミングでしたし、「リアルな体験」の力強さが、6人の作品だからこそ、よりストレートに伝わったと思います。
アートは目でのみ鑑賞するものと思われがちですが、実際には視覚だけではなく、からだ全体で感じるものです。奈良美智さんの展示室で聞こえる「音」もそうですし、作品のスケール感や、時には嗅覚や触覚など、五感で感じるもの。その五感を使っての体験が人間の精神に与える力は大きい。アートは、不要不急なものではなく、衣食住という生活に必要なインフラとは別に、人間の精神をきちんと維持していくために必要なものです。そういった「リアルな体験」の素晴らしさは、美術館という場を持っている者として、今後も強調していくべきだと思っていますが、一方で、一歩進んだ形でのデジタルの可能性もまた、改めて感じているところです。それは、リアルと同じ体験をデジタルに求めるのではなく、リアルとデジタルのお互いの得意分野を上手く連携させていくような活動です。
『STARS展』では、各作家についてのイントロダクションのテキストをウェブサイトにも掲載しています。通例より長い文章で、作家についての予習や復習ができるようになっています。最近は展示の解説も長いものが多く、その場で簡単には読めないこともあると思うのですが、それをオンラインに移行していくというのも、今後考えられる方法かなと思います。長い映像作品についてもしかりです。また、リアルな体験をした後に、ギャラリートークなどをウェブで見ていただくと、その作品への理解がより深まったりもします。デジタルとうまく連携することで、展覧会の鑑賞がリアルな世界だけに終わることなく、さらに意味が付加される形で広がっていく可能性は無限にある、と思います。
芸術的な体験というのは、フィジカルな体験、もしくは感情に訴えるようなエモーショナルな体験が重要だと思うのですが、もうひとつは、今回のアーカイブの展示にあるように、その歴史を知識として学んでいくことも、非常に重要なことだと思っています。フィジカルな体験と知的な体験、つまり、「体験とストーリー」の両方が必要なんですね。そのふたつが備わったとき、アートというのは、生きていく上での本当に大きな力になります。
現代アートは難しくて「分からない」というのが常套句です。でも、その分からなさ、もしくは不確定なものの中に、どういう方向性を見出していくのかを考えることは、見る人それぞれに与えられているプラクティスなんだと思います。さまざまな考え方があり、さまざまなアイデアがある中で、自分は何を選ぶのか。そのことに向き合うというのは、我々みんなに課せられた「人生をどう生きるのか」という問いに向き合うことでもあります。
これからの時代、言われたことをやっていればいい、というスタンスは通用しません。会社の中でも、これまでのルールはこうだったから、とか、上司にそう言われたから、とか、それだけを追っていては、何も成し得ません。本当にそうなのか、という問いを常にもちながら、自分の頭で考えていかなければならない。そういう意味でも、現代アートの体験、ストーリーからの学びというものは、さまざまな問いに向き合い、その時々でベストな方向性を編み出していく「頭の訓練」に極めて大きな役割を果たせるんじゃないかなと思います。