テイストや年代が異なるものを再構築し、新たな価値を。
杉山magmaとしては、純粋に自分たちの作品をつくるアートワークと、クライアントワーク、両方をやっていますが、根本的な考え方は変わりません。もちろん、クライアントワークの撮影となれば、つくり方が変わってくる部分はありますけど。
宮澤たとえば、撮影ってカメラには表だけしか映らないから、裏側は木の枠だけだったりするじゃないですか。それは、クライアントワーク独特のつくり方ですし、あの豪快さは、むしろ気持ちがいいなって(笑)。その点、セルフワークの作品は誰かが買ってくれて、家に持ち帰って近くで見るものなので、やっぱり隙を見せられないっていうのはあります。
杉山あと、セルフワークの中でも、つくるモノによっては違いがあります。たとえば、家具のような大きなものと、キーホルダーやステッカーとでは、持つ側の人にとっても別物ですし、使えるかどうかの基準も変わってきます。僕らは両方ともつくり続けていますが、特に家具のような大きなものは、買ってくれる方も用途を求めちゃうと思うんです。
宮澤むしろ、日本人は"使えるモノ"を買う人が多い。ただの置き物だと、なかなか買ってもらえないんですよ(笑)。家具でいうと、ちょうど僕らが大学を卒業した頃のCIBONEが、すごくよかったんです。廃材の木を積み重ねて分厚い塗装がしてあったり、でっかい馬のオブジェの頭に傘のランプがついていたり。かなり奇抜な、おもしろいものがたくさんあって、僕らもすごく影響を受けました。
杉山ただ、だんだんと気づくんです。使えないものは、あまり手に取ってもらえないことに(笑)。
宮澤結果、「使えるアート」も含めて、考えるようになりましたね。逆に、ステッカーとかキーホルダーは、まったく機能性がなくても、いやむしろ重くなるかもしれないけれど(笑)、気軽に持ってもらえるんです。それに、「この人がこれをつけているんだ」っていうコミュニケーションにもなりえる。以前、magmaのキーホルダーをつけて歩いていた知人が、知らない人に電車で声をかけたられたと言っていて。きっと、そういうことなんだと思います。そこにセンスが出るという意味では、身に着けるステッカーとかキーホルダーのようなものって、ファッションでもあるんでしょうね。
キーホルダー
杉山たしかに。もちろん"家具"とか、何かしら機能があるというものも、大切なことではあるんですけど、僕自身は単純に"ムダ"が好きなんです。日常で使うものも、結構ムダなモノが多いかもしれない(笑)。明確な使い道があるものって、どこかすぐ飽きちゃう気がします。
宮澤実は、さっき Pacific furniture serviceという、アメリカの道具専門店に寄ってきたんです。そこに、スプーンにクリップがくっついていて、コーヒー豆の袋を止められるっていう道具があったんですよ。すごくアメリカっぽいし、なんか......ムダだなと思って(笑)。でも、その"一石二鳥でしょ?"みたいな感じが、ちょっとおもしろいんですよね。あと、僕はキャンプが好きで。ホテルに泊まった方が安いくらいだし、キャンプのために道具をそろえて、わざわざ不便な場所へ重い荷物を抱えて寝に行くって、最大のムダだなって思うんです。でも、日が暮れて焚火をしている時間が、最高に心地よい。中毒性があるんですよね。
杉山キャンプのムダ、そのおもしろさは、すごくわかる。極論ではあるんですけど、結局はムダなものをつくって"いいな"と思えることが、一番強いんじゃないかなって。僕たちも、そういうものをつくっていけたらいいですね。
宮澤街の中にムダなアートがあるのも悪くないかもしれない。たとえば......空港で飛行機が飛び立った時に、ナスカの地上絵みたいに何かあるとおもしろいなって。上空に上がれば上がるほど、だんだんと絵に見えてくる、みたいな。六本木のような都心であれば、高い建物に上ると、街の建物の配置が絵になっていたらいいですよね。莫大な予算がかかりますけど、ある意味、ムダでいいなって(笑)。もっと規模は小さいですが、magmaにも上から見ると絵に見えるという作品があるんです。"わからない"から"わかる"になる瞬間がいいんですよね。ただ、一度しか体験できないんですけど。
杉山街の中のアートワークでいえば、浅草の吾妻橋から見える、アサヒビールの屋上の金のオブジェもおもしろい。アレ、みんな、すごく好きですよね(笑)。あんなに大きくて重いものを乗せるのもすごいし、会社の目印として愛されながらも"金のうんち""うんこビル"なんていう、妙なあだ名がついていて。でも、なんかかわいらしいんですよ。ああいうものって、意外と見ないのでいいなと思います。
金のオブジェ《フラムドール》
宮澤あんまり、日本っぽくないかもね。そういう意味では、僕らが以前から言っていることではあるんですが、誰もがわかる待ち合わせ場所になるような、シンボリックなものはいつかつくってみたい。せっかくなら一見バカげていて、とにかく巨大なものがいいですね。目にするたびに勇気をもらえるような佇まいで。さらに、その作品が設置されている土地のお土産にプリントされてしまうような、街から愛される存在になるモノをつくりたい。
杉山なるほど。素材は何がいいだろうね。
宮澤まったくテイストだったり、つくられた年代が違ったりする建築や遊園地の乗り物を切り刻んで、再構築してみたいな、と。世界で一番大きなコラージュ作品。できれば、「〇〇〇の前で」って言いやすいように、3文字くらいで呼べる名前がいいかな(笑)。
杉山たしかに、短いほうがいい(笑)。そうやってモノをつくる衝動とか、つくり続けるモチベーションって、それぞれだと思うんですけど、きっと、僕たちは"つくるタイプの人間"なんだと思うんです。伝えたいメッセージだったり、反骨精神みたいなものだったりが、まったくないわけではないけれど、それよりもつくること自体に楽しみや喜びがあるというか。ただただ、本当にモノが好きすぎるんだと思います(笑)。
宮澤僕らの周りはパソコンで仕事をする人が多くて、モノを使って立体物をつくっている人ってなかなかいないんですよ。Webとか映像とかCGとかにも、もちろん素晴らしい作品はたくさんあるけれど、たとえばCGだけの映像作品とか見ると、なんかこう......通り抜けてしまう感覚があるんです。昔、美術予備校の先生が「ただかっこよく、絵がうまいだけじゃなくて、腹にくるものがいい」と言っていて。その表現が、個人的にすごく刺さったんです。あえて、その言葉を借りるなら、この先も"腹にくるモノ"をつくっていきたいな、と。そこには、負けない自信はあります。
取材を終えて......
この日の取材現場に、作品を持参くださった2人。「何かあった方が、話しやすいのでは」と、重く幅をとる荷物を抱えてきてくださった気持ちにとても感動。実際、間近で目にして、「ほしい!」という衝動にかられました......。鮮やかでポップないまっぽさと、懐かしさを孕んだ作品は、芯も意味もあるけれど、変な攻撃性ではなく、豊かさがあって心奪われるものばかり。自分たちを対照的と言っていましたが、穏やかで大きな人間性とその奥にある熱量、そして「誰にも負けない」とさらりと口にする強さが、2人をつなぐ共通点なのだと感じました。(text_akiko miyaura)