テイストや年代が異なるものを再構築し、新たな価値を。
宮澤僕らが出会ったのは、武蔵野美術大学の空間演出デザイン学科に在学していた時。恥ずかしながら......2人とも二浪して入ったのですが、年齢的な違いもあって、どうしても現役と多浪生の間には、ちょっとした隔たりがあるんです。圧倒的に多浪生が少なく、特に二浪ともなると学科の中に5、6人。何となく現役とは別に固まる、みたいところがありました。
杉山だから、仲良くなったのも自然の流れで。その5、6人で1つのチームのような感じでしたね。
宮澤在学中に、その仲間たちと展示をしたことがあるのですが、それぞれ趣味趣向が違う中、僕ら2人だけが何か合う感覚があって。それが、ユニット結成につながった部分もあると思います。そして、卒業制作のときには、すでにmagmaという名前で活動していました。ちなみに、最初のユニット名は"BOMBERS"。一応、沸騰系の名前は引き継いでいるんです(笑)。
杉山学生時代から10年以上一緒にやってきたので、共通認識はちゃんとできていると思います。日常の会話の中でわかることも、制作の中で感じる部分もある。僕らの場合、1つの作品でもこっちは僕がつくる、こっちは宮澤がつくる、とわけて制作することが結構あるんです。大体のことは最初に2人で決めて、「このテーマでいける」となったら、あとはそれぞれが自由につくるというスタイル。
宮澤たとえば、『SYMVOL』という展示でも、最初にテーマを決めたら、あとは別作業で自由に。その時はマリリンモンローやミシュランのキャラクター、工事現場のサインーーそれぞれがシンボリックだと感じるモチーフを使ってつくったものを、最後に1つの空間に収めて作品にしていきました。
SYMVOL
杉山あと、ゆずさんの『TOWA』という曲のジャケット用につくったプロダクトも、最初に方向性やサイズ感だけ決めて、別々に制作するというつくり方をしました。もちろん、1つの作品を一緒につくることもありますが、その場合でも部分的に分担することが多いですね。ユニット結成10周年の際に、大学の卒業制作としてつくった作品『FUTURE SHOCK』を再現したのですが、1つのロボットの中で布っぽい柔らかな部分は僕、他の硬い部分は宮澤という分け方をしているんです。
TOWA
FUTURE SHOCK
宮澤それができるのは、基本的に同じアトリエで作業をしているからだと思います。お互いが、いま何をつくっているかをリアルタイムで見られるのは大きいんじゃないかな、と。そっちがそうくるなら、こっちはこうしようと、似ないようにバリエーションをつける。そういうアドリブも、ユニットでモノをつくる楽しさです。
杉山つくっているものを見て、"相手のいま"を知ることができるんですよね。作品をつくりながら、常にやりとりすることで、ずっと流動的でいられるというのは、ユニットでつくる大きな意味だとも思います。
アトリエ
宮澤多分、僕らって対照的なんですよ、つくるモノも性格も。技術的なことでいうと、僕はまっすぐ線を引いたり、まっすぐ何かを切ったりするのが性に合わないんです。できる・できない、得意・不得意というよりは、自分を引いてみたときに性格的に、自分という人間がそういうつくり方が気質に合わないんだろうな、と(笑)。
杉山逆に、僕は偶発的なものをつくることが得意ではなくて。たとえば、絵の具が垂れたような線を描こうとすると、なんだかわざとらしくなってしまうんです。だったら、直線にしようとなっちゃう。でも、宮澤は自然発生的なことが、わざとらしくなくできる人なんですよね。
宮澤作品はもちろん、きっと僕ら2人の書く字を見たら、正反対であることがわかると思います。僕の字は本当にへたくそなんですよ(笑)。でも、真逆だからいいんでしょうね。同じような人間が一緒にいたら、キャラがかぶってしまってイヤだと感じる気がします。
杉山同族嫌悪になるかもしれない(笑)。
宮澤どんなに共通認識があろうと、やっぱり1つのものを2人でつくると変に譲り合ってしまうでしょうし。つくりたいものや目標は似ているけれど、つくるものや性格は逆というほうがバランスがいいんじゃないかな。いま話しながら、あらためてそう感じました。
杉山この別々でつくって1つの作品にしていくスタイルは、最初からなんです。特に話し合ったわけではなく、自然とそうなっていた。ということは、きっとこの形がベストなんだろう、と。
宮澤ただ、別々につくってはいるけれど、見た人はどっちがつくったのか、わからないというのが理想であり、僕らの目指しているところでもあるんです。
宮澤僕らの作品では、いらなくなって捨てられた廃材を使うことが多いのですが、その原点は大学時代にあるかもしれません。学内に木工作品なんかをつくる科があって、学生たちがつくった椅子とかが、展示が終わったと同時に学内に捨てられているんです。その中から変な椅子を拾ってきて、改造するのがすごく好きでよくやっていました。言ってしまえば、いい椅子ではないんですよ。本人もよくないと思っているから、捨てるんでしょうし。でも、その足りない感じに創作意欲を掻き立てられるというか。自分ではできない技術だとか、良い素材が使われているというのが、またいいんです。
杉山僕は、もともと古いものにすごく興味があって。アンティークだけじゃなく、単純につくられた年代が古いものーーたとえば、すごく昔につくられたであろう木のプロダクトとかに惹かれるんです。その木をプラスチックに置き換えれば新しくなる、現代の素材と合わせることで昇華するという変化が楽しいなって。中でも古いんだけど古さを感じないモノや、誰かの手でつくられたんだなと感じられるモノが好きで、手に取っちゃいますね。
宮澤実際にモノを選ぶときは反射的ですが、"これがあるとワクワクする"という感覚は大事にしています。完成されたモノは、これはこれでいいとなってしまうけれど、さっき言った"何か物足りないモノ"はワクワクする要素がある。一部だけを選び取ることもあります。たとえば、(店にあるテーブルライトを指し)このランプシェードがすごくいいとなったら、別の部分はオリジナルでつくろうと考える。かつ、元の素材が自分ではつくれないものだと、よりテンションが上がります。他人がつくったものを利用するのが、好きなんでしょうね。
杉山そして、違う形になったものを作品として展示したとき、見る人が廃材の原型を知っていて、「あ、これってアレだよね」って気づく姿を見ると嬉しくなるんです。要は"いらない"とされて、底辺まで下がったモノの価値が、再発見されることでふわっと浮かび上がってきた瞬間、"見直された"と感じるんです。
宮澤あと、人の概念が変わる瞬間がおもしろいな、と。僕らの作品の中に時計をモチーフにしたものがあるのですが、掛け時計ってほぼ額装した絵と同じだなという思いつきから生まれたもの。動く針と数字があれば、時計になってしまうんです。それを踏まえて、長針と短針を抜いて秒針だけにしたり、目覚まし時計に絵を入れてみたり。ただ組み合わせる、中身を変えるというだけじゃなく、すり替えることで人の概念が壊される瞬間が好きで。"これも時計になるんだ"と、見た人の考え方が次からちょっと変わる、すり替えができたときの気持ちよさがあるんです。