「振り出し」に戻って、ここにしかない日本らしさを模索する。
21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3にて2019年10月20日(日)から27日(日)まで開催された展覧会「Google Design Studio | comma」のコラボレーターを務めたリドヴィッジ・エデルコートさん。トレンド予測の第一人者として世界的に知られ、Googleとは2018年のミラノデザインウィーク出展に続く2回目のタッグとなりました。日本には40年以上にわたって訪れているというエデルコートさんに、今回の展覧会へ込めた想い、そして日本のデザインの現在についてうかがいました。
1998年、私は「Softwear」というコンセプトを提案し、新しいデザインのフィールドが生まれるであろうことを予測していました。2018年のミラノデザインウィークのGoogleとの展覧会に続き、今でも当時と同じ考えです。現在は、電話、コンピューター、スクリーンなどのツールを使用して非常に多くのことができるようになりました。なんでもビジュアルで表現できるし、あらゆることをリサーチできる。コミュニケーションも簡単にできるようになりました。まさにテクノロジーは、友人のように身近になり、すべてが「ソフト」に変わってきています。たとえば、洋服はパジャマに近づいてきているし、靴はスリッパに、食べ物なんかはスムージーのように飲めるようになってきていますよね。
Softwear
ちょうど「Softwear」について考えていた当時、伊勢丹からの依頼でプロジェクトに取り組んだことがありました。その時は、フロア全体を「Softwear」のコンセプトにしようと提案したんです。レジャーにまつわることをやりたかったので、心地良い服や、素敵なノマド風のランプ、そして、CDなど電子機器も持ち込んで、すべてをひとつに統合しようとしました。ただ、残念なことに実現することはできませんでした。コンセプトを提案するのが20年ほど早すぎたようです。
2018年のミラノデザインウィークでの展覧会の反応は、とてもポジティブなものでした。サムスンなどの企業の大規模な展示と比較して、規模は小さいものでしたが、信じられないほどの多くの観客やプレスが来ました。キキ・ファン・アイクによるテキスタイルの美しい作品があったからこそ、みなさん夢中になってくれたようです。ミラノでも今回の東京でも、メッセージがシンプルに伝わったようなので、今度は別の場所――おそらく南半球のどこかで、同様のコンセプトの展覧会をしたいと思っています。そうすれば、別のテキスタイルアーティストとともに、その土地ならではの表現ができるかもしれません。もしかすると3つの地域の展覧会について、本なんかもつくれそうですね。
今回の展覧会「Google Design Studio | comma」は、とても日本的だと思っています。実際、スタジオ・イナマットの作品でさえ、ある意味ではとても日本的なのではないでしょうか。日本の伝統的なキルティングに似ているのですが、新しいアプローチでつくり上げています。会場には、エレガントでハイエンドな日用品が置いてありますが、かわいい動物もいるんです。これは私が「日本人の目」を使って選択したもの。特に美しいオブジェクトがひとつあって、それは古い神社にある「キツネ(=稲荷)」です。このキツネは展覧会の守護神のようなものです。私にとって、これは自然のすべてが独自のエネルギーと魂を持っているというアニミズムのアイデアへと導いてくれるものでもあります。そして、このアイデアは私たちの未来を刺激するはずです。この小さなキツネを見ると、神聖な気持ちになり、大切に暮らしたいと思うでしょう。もの自体に強いエネルギーがあれば、他には何もいらないのです。
キツネのオブジェ
時々、日本の方々は私が日本人なのではないか? と尋ねてきます。たぶん別の人生では、私は日本にいたでしょう。日本は私にとってとても快適な場所なんです。20年間日産でコンサルをしていたこともあったり、と、日本をとてもよく知っています。山梨などのテキスタイルの産地で活動したことも。彼らとは今でも協力していて、美しいテキスタイルの本をつくりました。
yamanashi textile book by Lidewij Edelkoort
今、日本には健康にまつわる美しいプロダクトがありますね。興味深いのは、自然の香り、美しいパッケージを使用して、エコロジー的な観点からも満足のいく洗剤があること。これは10年前に予測した傾向ですが、ここ日本では他の国よりもはるかに一般的なものになっています。そういう日常の細やかな点が、進化してきていると感じます。どうしてそうなるのか考えてみたのですが、「お茶の席(=ティーセレモニー)」が非常に重要になっているためなのでしょうか。カップとボウルのバリエーションが増えてきた気がして、そういったことをもっとリサーチしたかったのですが、来日時にちょうど台風となってしまい、到着が2日間遅れてリサーチ期間を逃してしまいました。
六本木は、広々としていて素晴らしいエリア。他の地域に比べて神経が疲れることは少ないですね。ただ、もっと良い環境にできるはず。私だったら、さらに緑を増やすでしょう。そして、新しい形の伝統的な家など、日本の建築のバリエーションも見てみたいです。日本は小さな家になる傾向があるので、ここは新しい建築デザインのあり方を紹介するのに最適なエリアかもしれません。スペースがある分、簡単につくれて、建て替えることもできるでしょう。たとえば、ホテルとAirbnbの間の何かのような......。
六本木は街ではなく、村だと考えるべきかもしれません。「六本木村」ですね。より小さな規模で人生を発展させていく必要があるのです。そこには、村の広場があり、そこにはダンスと音楽があるような。以前、バスに乗るためにウッドストックへ行ったのですが、広場ではドラムフェスティバルが行われていて、誰もがドラムを叩き、みんなが踊っていました。とてもシンプルなことです。日本人はこの種のお祭りが大好きでしょう。日本にはまだ十分なスペースがあるので、同様のことができると思います。ウッドストックではたくさんの子どもたちも見かけましたし、子どもとの創造的な仕事のためのスタジオをつくるのもいいでしょう。ここでも小規模だということが重要です。
さらにデザインカレッジのような場所が必要だとも思います。デザイナーだけでなく、アマチュアのデザイナーたちも働くセンターになるでしょう。3Dプリント、テキスタイル制作、ガラス加工などを行うことができて、オープンな場所にすることで、アマチュアの存在が生きてきます。料理もいいですね。料理学校を開設し、一般大衆を巻き込む。おそらくビエンナーレもやるべきかもしれません。
あとは、ショッピングモールを再発明する必要があると思います。人々がショッピングモールへ頻繁に足を運んでいた姿を見かけなくなった今、単に平方メートル単位を売るのではなく、モールをキュレートしたり、ブランドをキュレートしたりすることが必要でしょう。このエリアを盛り上げる場合は、その一番の動機が、お金のためであってはなりません。まずはこのエリアを魅力的なものするためにどうするべきか考えるのです。たとえばサイクリングロードをつくるべきかもしれませんね。
日本のレストランシーンの停滞も気になります。再び盛り上げるための答えのひとつは、伝統的なことを新しい方法で行うこと。たとえば、伝統的な喫茶店やバーを、現代的にアレンジしていく。多くの日本への観光客は韓国、中国、フィリピンから来ていますが、日本のレストランの大多数が、物事をより西洋的に見せようとしています。なぜ西洋人になろうとするのでしょうか? いまいちわかりません。私だったらもっと日本らしくするでしょう。
バラエティがないのです。レストランにとどまらずここにしかない、もっとユニークなブランド、唯一無二なお店が必要でしょう。たとえば「ドーバー ストリート マーケット」。私が世界の中で唯一好きなお店です。東京、ロンドン、ニューヨークと同じ商品ですが、まったく異なって見えて素晴らしい。最近、彼らはパリにインディーな香水に特化したショップ(Dover Street Perfumes Market)をオープンしました。こういった存在は、有名なブランドではなく、まだ知られていないブランドを紹介するために、ますます重要な存在になっています。そうすることで、あらゆるシーンにおいて私たちはクラフトかつユニークで、まだ知られていないものを欲するようになる。「ああ、私はこれを見たことがないな」と思わせるようなものですね。
あと、日本には、アフリカ由来のものがとても少ないことに気がつきました。それに、モロッコのものも。アフリカで起こっていることはとても刺激的ですが、日本では特にアメリカとヨーロッパに焦点を当てています。さらに言えば、日本的なものすらもなくなってきているのではないでしょうか。もちろん京都のリッツカールトンのように、日本的なモチーフが優れている場所もありますが、もしかすると一度、モノポリーのゲームで言うところの「振り出し」に戻って、日本的なオリジナリティを模索していくことが必要なのかもしれません。
取材を終えて......
展覧会会場に並ぶ目にも美しい日用品やタペストリーの数々は、普段、何気なく触れているテクノロジーに対して、優しい手触りを感じるような、より親しみやすい気持ちを抱かせてくれました。丹念なリサーチを重ねることで磨かれた審美眼はもちろん、エデルコートさんご自身のやわらかな人柄があらわれているようです。忙しない日常の中で、ひと呼吸、わずかでも「間」をつくることで、テクノロジーとの付き合い方や街の風景の見え方が変わるのだと、教えてもらった気がします。(text_akiko miyaura)