「振り出し」に戻って、ここにしかない日本らしさを模索する。
21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3にて2019年10月20日(日)から27日(日)まで開催された展覧会「Google Design Studio | comma」のコラボレーターを務めたリドヴィッジ・エデルコートさん。トレンド予測の第一人者として世界的に知られ、Googleとは2018年のミラノデザインウィーク出展に続く2回目のタッグとなりました。日本には40年以上にわたって訪れているというエデルコートさんに、今回の展覧会へ込めた想い、そして日本のデザインの現在についてうかがいました。
Googleのデザインチームは、リサイクルされたテキスタイルを製品に使用しているのですが、ミラノデザインウィークで行なった1回目の展覧会に続いて、2回目となった今回の展覧会「Google Design Studio | comma」では、現代におけるテキスタイルの持つ意味を見せたいと思いました。テキスタイルは、感覚を呼び起こすもの。特に指から伝わる感覚は重要です。展覧会を彩るタペストリーは、オランダの二人の建築家、スタジオ・イナマットの手によってつくられた美しいテキスタイルの作品。すべてリサイクルされた古いリネン(布)でつくられています。彼らは、Googleのプロダクトに込められたコンセプトを、抽象的なイメージで表現してくれました。
Google Design Studio | comma
そして、テキスタイル・アートの前には、日常生活に登場するカップやグラスなどを展示する台座があります。ここに展示されているものの多くは、日本人が愛する日用品。それぞれ使われている色はとても美しく、すべてが展示されているひとつひとつの生活シーンに融合されています。その日用品がある生活にGoogleのプロダクトが溶け込んでいる様が、展覧会で表現したかったことなんです。
今回の展覧会のタイトルは「Google Design Studio | comma」。「comma」は、時間をかけること、間をとること、を意味しています。テクノロジーは、私たちの日常のスピードをますます加速させていっていますが、一方で、スピードを緩めるためのテクノロジーについて議論をすることもできるでしょう。たとえばそれは、ハグする木を見つけたり、瞑想をしたり、料理に5時間かかるレシピを見つけたりするためのテクノロジー。それらは日常生活の中で、間(=comma)をつくるために役立つのです。
「comma」はとても美しい言葉だと思いませんか? タイトルとグラフィックを見つけた時、とても美しいと思いました。正しい言葉を見つけることもデザインですよね。それがデザイン思考です。あらゆることがデザインになるのです。
現在、テクノロジーは常に私たちの生活の中に存在しています。ベッドルーム、バスルーム、キッチン、あるいは、スポーツやいろいろな趣味のシーンなど、どんなところにもある。ある意味、とても親密な存在ですよね。パジャマ、スリッパ、ティーカップ、タオル、テディベアに感じるような親密さです。だから、一緒に活動するGoogleのデザインチームにも、小さく、親密で、身近なものになるようなテクノロジーアイテムをつくるようにとアドバイスしています。大手テクノロジーブランドが言おうとしている反対のことですね。
私たちの生活にテクノロジーが溶け込んで、一体となっていく未来を築きたいのであれば、テクノロジーは必ずしも私たちを常に前進させるものだとは言い切れません。これ以上先にいっても何もないのです。あるとすれば、物語の終わり、世界の終わり。だからこそ、スローダウンする必要があります。しかも、ただのスローダウンではなくて、ものすごくスローダウンする必要がある。
私たちは人々がより良い選択ができるよう、ちょうどいい形で消費する方法を伝える必要があります。たとえば、同じ金額を使うけれど、なんでもいいものをたくさん買うのではなく、しっかりとセレクトしたうえで良いと思えるものを買う。つまり、物事をもっと楽しんだり、美しさを感じたりするために時間をかけましょう、と。今回私たちが伝えたいのは、そんな提案なのです。
世界において日本のデザインの存在感は、だんだん薄くなってきています。もちろん東京では、デザインのイベントが開催されていることは理解しています。ただ、日本のデザインの強みをうまく活用しているようには思えないのです。デザイン性のあるものとそうではないものの違いがよくわかっていないというか、その認識に大きな誤解があるのかもしれません。日本ではかわいいものが好かれるので、線のフォルムのデザインはとても洗練されています。ただ、「かわいい」だけで終わってしまうケースが多く、「かわいい」と「デザイン性が高い」ことが両立できることがわかっていないのだな、と感じてしまうのです。多くの場合は、かわいくてキッチュなものになってしまっています。
これはおそらく適切な教育が足りていないせいでしょう。技術的な内容を教える大学はありますが、たとえば未来をどう考えるか、地球をどう扱うかといった、コンセプトの構築から教える教育機関はあまりないですよね。ふたたび消費を取り戻したり、環境を改善したりする上で、新しいデザインのアイデアがたくさんあるはずですが、そういったことを教えてくれる学校がないのです。
もし私が学校を始めるなら、まず教えるのはやはり「ものの考え方(= Way of thinking)」です。今必要なのは、たとえば辞書にアクセスして1つの単語からでもコンセプトをつくれるような力。これは単にものづくりにとどまらず、サービスも入りますし、庭をつくったり、フードに関してのデザインでもなんでも。クリエイティブなすべてに関わることです。
日本の学校で行われているのは、次々に課題をこなしては、ひたすらそれを繰り返すプロセス。最終的に得られるものはあるでしょうが、新しいニーズや動向を即興で発見していくためには、脳を訓練する必要があります。未来の人々の欲求や希望を予測する必要があります。人々は絶えず変化していますが、今やそのスピードは非常に急速でラディカル。そんな中で「考える」ことは、これまで以上に重要になってきているのです。
現在、ヨーロッパでは新しい素材を使ったり、見出したりするデザインの動向があり、ますます重要性を高めています。これはかつての日本が得意とするものだったはず。私は40年以上にわたって6、70回ほど日本に足を運んで、日本が信じられないほど創造的だった時代を見てきました。
たとえば、無印良品が誕生した時や、川久保玲の進歩、山本耀司の強さ、三宅一生の驚くべき発展......。ユニクロも誕生から見てきました。最近の世界で有名なデザイナーには、nendoがいますよね。これらすべての傾向を見てきたのです。一方で、新しい世代は、甘やかされてきたのではないでしょうか。これは世界的に同じ傾向にあります。ミラノも同じように非常に甘やかされていますね。
nendo
もちろん才能がある人たちはいて、それは他の国にいるアジアの学生を見ているとわかります。日本人によって始められたデザインの文脈は、今や韓国や中国にも引き継がれていて、彼らは同様の知識とテイストを持ち始めている。だから言ってしまえば、日本人は、アジアの中での多くのうちの一人に過ぎない存在となっているということでもあるのです。将来的には、ベトナムやインドネシアなど、他の国々の人たちも台頭してくるでしょう。
もしかすると今、日本で非常に優れているのは、名も無き匿名のデザイナーたちかもしれません。日本では匿名のデザイナーたちの手によってつくられたシンプルで美しい日用品に出合うことができます。たとえば、伊勢丹のインテリアフロア。特にキッチンエリアに行くと、興味深いデザインのプロダクトや工芸品を見つけることができます。かご、陶器、グラス、そして、織物など、その多くは他の国と比べてとてもよくできていて、何か「アーツ・アンド・クラフツ」らしいものがある気がするのです。