日本と世界をつなぎ、境界線のない自由な世界へ。
現在はベルリンに住んでいますが、最初からこの地に住もうと決めていたわけではないんです。美大を卒業してすぐにギャラリーで個展をしたり、美術館で展覧会を開いたりすることはほぼ不可能。そこでもっと勉強しようと、留学を考え始めたんです。当時ドイツに受け入れ先があったこと、たまたま訪れたベルリンが魅力的だったことが住むきっかけになりました。
ドイツを東西に分けていたベルリンの壁が壊されたのが1989年。私がドイツに渡ったのはその数年後だったので、いたるところで改装工事が行われていて、アーティストたちがその現場にどんどんと入っていっていました。とにかく自由な空気が流れていて、当時は世界各地で展覧会やビエンナーレ、トリエンナーレをすれば、ベルリン在住のアーティストばかり。世界から集まったアーティストがアトリエを持ち、様々な国が混じり合い、主張しながら生きていて、凄まじいエネルギーと吸引力があったんです。
ベルリンの壁
その空気に触れて、「絶対、ここに住みたい」と思いました。あらためて振り返ってみると、特別な時代だったのだと思います。人や文化がたくさん流れてきて、何かが生まれる空気がただよっていた。どこか、70年代のニューヨークのようでしたね。
今は、ベルリンもきれいになって雰囲気も変わりましたが、ドイツでありながらドイツらしくないという部分は変わらないです。ミュンヘンやフランクフルトなどに比べて、多国籍で住む人の顔つきが少し違うんです。だからか、私もベルリンにいる時は自分の国籍を忘れてしまうんです。
そういう自由な場所だからこそ、生まれた作品がある。きっと、長く東京に住んでいたら、今の作品はつくれていないと思います。22、23歳のころ、個展を開きたくてリュックサックにポートフォリオを詰め込んで、銀座のギャラリーをまわったことがあるんです。もちろん、反応は厳しいものでした。まず、ギャラリーを1週間借りるのに50万円という大金がかかる。無理をしてやったところで来てくれる人は、友だちや美大の先生。それでは意味がないんです。
そもそも、貸し画廊という概念が海外にはありません。みんな展覧会をして、その売り上げだけでやっているのですが、日本のギャラリーはアーティストが家賃を払った上に、売上に対して画廊がマージンを取るシステム。学生や若手アーティストには、とてもハードルが高い。20年ほど前は、それが当たり前でした。特に現代美術に対する理解がまだまだ乏しく、"アーティスト"という職業が成立しない時代。最近はアーティストと言えばなんとなく通じますけど、それでも生活を支えると言う意味での「本当の職業は何ですか?」と、今も一度は聞かれます(笑)。
ドイツでもアーティストとして食べていくのは大変ですが、アートが身近にあるという点では、日本と環境が違うかもしれません。クリスマスプレゼントとして現代美術を買ったり、当たり前に家に飾ってあったり。何より人々の中に、アーティストへのリスペクトがあります。
もちろん、以前に比べて東京も変わりました。少しずつアートが根づき、身近なものになりつつあるように感じます。ただ、滞在していると競争社会だなと感じる部分もあります。才能ではなく、物質的な競争――たとえば、どこに住んでいるとか、どれだけお金を持っているとか、子どもがどこの学校に通っているとか。死ぬ時に持っていけない"どうでもいいもの"が、東京にはうごめいている気がしてならないんです。それゆえに、がんばりすぎて体を壊したり、自分の気持ちを伝えられなかったりするのかなとも思います。
物質的な面で言えば、ベルリンは70年代かなと思うくらい地下鉄も古びていて、ファッションも気にしない人が多い。でも、生活するには十分なんです。それよりも大好きな絵を家に飾り、その絵を通じて会話ができること、心が通じるものが家にあることの方が重要なんです。
そもそも、教育が違うのも大きいかもしれません。日本は人と同じことを言うのがよしとされますが、ドイツでは違うことを言わなくちゃならない。でも、日本もこれから変わっていくと思います。それぞれが違った心を持って、違った意見を言って、ぶつかり合って、ひとつのものを形成していく。そのほうが、より人間らしくていいじゃないですか。
日本のアートをとりまく環境も、刻々と変化しています。たとえば、欧米の展覧会を日本が受け入れて、ステイタスを見せる時代ではなくなっている。『塩田千春展:魂がふるえる』も、釜山、ブリスベン、ジャカルタ、台北と巡回する予定ですが、日本から発信して、アジアをまわるような時代になったんだなとうれしく思います。
何より世界は今、アジアを見ています。エネルギーの強さと時間の速さ、人の動き方、考え方......そのどれもが、他の地域とは違います。また昨今はアジアにコレクターが増え、新しい美術館がどんどんできている。主要なアーティストは『アート・バーゼル香港』に参加していますし、MoMAのコレクションのミーティングも香港で行われています。
アート・バーゼル香港
一方では、日本がその勢いに押されている感じがあります。日本はよくも悪くもプライドがあって、アジア各国からリスペクトもされています。だから、アジア内に日本発の展覧会の受け入れ先はたくさんあるけれど、肝心の日本にはアジアの一部という認識がない。ひとつの国だけで成り立っている印象を受けるんです。私もドイツから帰ってくるまでは、日本はアジアの一部だと思っていましたが"日本は日本"だった。
なぜ、ここには国境があるんだろうと、とても不思議に感じるんです。本来、自由であるはずの現代美術の世界にも、国境やナショナリズムの意識がまだ残っているんです。
たとえば、グローバリゼーションの展覧会だと聞いて行くと、日本人の作家、アフリカ人の作家、アメリカの作家といったように、何カ国の作家を集めましたという表があって......それってナショナリズムですよね。また、私が『ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展』の日本館で展示した時、「日本の代表としていかがですか?」と質問をされたことにも違和感がありました。
ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館
もちろん日本を否定するわけではないのですが、私は生け花や茶道と言った日本の文化を伝える作品をつくっているわけではなくて、国籍も性別も問わず、わかりあえるようなところにいるつもり。だから、そもそも日本の代表という考えがないんです。この先、そういった意識が、もっと取り払われた世界になればいいなと思います。
だから、もし私がこの六本木で何か作品をつくるなら、日本と世界とをつなぐような、より国境がなくなるようなことができたらと思います。その一歩として、まずは六本木を伝えることをしたいですね。森美術館ひとつとっても、これだけ高い場所に大きな美術館があるのは私が知る限り世界の中で六本木だけですから。「53階に美術館をつくろう」と構想して建てる時の、森さんの興奮を想像しただけで感動します。
今、世界の美術関係者が本当に興味を持っているのは、森美術館と直島なんです。直島にしても、どうして田舎の島にあれだけの美術作品があって、おじいさん、おばあさんが作品を説明できるのか、すごく不思議に感じるそうです。そういった部分を表面的ではなく、よりフラットに身近に伝えられたらいいですよね。
私個人が、興味を持っているのはアジアでの展覧会。近々、ハノイと中国の美術館の方と打合せをするのですが、働いている人たちの多くが20代という若さなんです。まさに現代美術に興味を持ち出して、どんどん吸収しているところ。話していて本当におもしろいですし、この先、そういった人たちと関わっていけると思うと楽しみで仕方がないんです。
取材を終えて......
圧倒的な存在感を持ちながら、繊細で心の隙間にそっと忍び込んでくるような塩田さんの作品は、前から見た時と、ふと振り返って見た時では、まったく景色が違います。見えないものへの不安と、見えないからこその希望が共存しているように思うのです。丁寧に、静かに、でも強い意志を感じるインタビューを終えた時、生きていてくださってありがとうございます、と心でつぶやかずにはいられませんでした。命と向き合いながらつくった展覧会。生きることの意味をその身で感じた塩田さんが、次にどんな作品を手掛けられるのか、そっと待ちたいと思います。(text_akiko miyaura)