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実は取材前に、森美術館で開催中の『塩田千春展:魂がふるえる』を少しのぞいてきたところなんです。本当に多くの方が来てくださっていて、私自身も驚きました。実際につくっている最中は誰もいないので、作品の傍らに人の存在があるのは、すごく不思議な気持ちでもありました。
展示室に入ってすぐに《不確かな旅》が展示されているのですが、足を踏み入れた瞬間にびっくりした表情をされた方がいて、その横で同じように驚いていた方がいたんです。次の瞬間、知らない人同士であるはずの、おふたりが顔を見合わせて相づちを打ちながら目で会話をする姿を見て嬉しくなりました。
塩田千春展:魂がふるえる
不確かな旅(2016/2019年)
過去にも、いままでの作品をまとめたことはあるのですが、今回ほど自分と向き合った展示は初めてかもしれません。ひとつひとつの展覧会は、その時々で必死にやってきたのですが、こうしてまとめていただくと、過去と今がリンクしているんだなと再確認することができました。
たとえば、初期に赤い絵の具をかぶって自ら絵になったパフォーマンスや、赤い糸のインスタレーションがあるのですが、このころから"赤"だったな、と。当時はあまり考えていなかったけれど、今も赤は私の作品の中で大切な色。その色が最初から登場していることに、あらためてつながりを感じました。
また、土の中を裸で転がるパフォーマンスの記録が展示された後、泥のドレスがあって、泥をシャワーで洗い流すパフォーマンスへと、土を介して作品がつながっていく。ただ、バスルームで泥をかぶるビデオは、その時の苦しみが伝わってくる気がして、今、自分では見られないんです......。当時のベルリンの時代と状況があの作品をつくっている。だから、どこか自分とは別物のようにも感じますし、今、同じ苦しみを持ったとしたら、まったく違う表現をするんだろうなと思います。
そして、この展覧会は思わぬ状況から始まりました。チーフキュレーターの片岡真実さんからご連絡をいただいて、ベルリンでお会いしたんです。それが手術が予定されていた前日の夜だったのですが、その時にこの個展のお話をいただきました。「生きていてよかった。今までやってきて本当によかった」と、そう思った翌日、手術の後にお医者さんからガンが再発したことを聞かされたのです。
最初は簡単な手術だと思っていたのですが、開腹してみると想像以上に転移していて、臓器を3つ摘出せねばならない状態だったんです。そんな大きな手術を終えて抗がん剤の投与が始まると、そこからはベルトコンベアに乗せられたように、どんどんと治療が流れていく。このベルトコンベアに乗れば、元気になれるのはわかっているけれど、感情や意識を持った"私"という部分が欠けてしまった。魂が置いてけぼりにされているような感覚が残りました。
こういった経験から、私は感情や意識に触れるような作品をつくりたい、何か形にしたいと、より思うようになりました。また、病気がこの展覧会に影響を与えた部分も多々あります。命がなくなった後、感情や意識はどこへ行ってしまうのか。体は殻でしかないと考えるなら、殻の中の私はどこへ行くのか。そして、万が一の時、娘は母親なしでどうやって生きていくのか。そんな疑問や不安と向き合いながら、展覧会を構想していました。
今回のメインビジュアルに書かれた「たましいってどこ?」という字は、私の12歳になる娘が書いたものなんです。まさにこの言葉のように、人の心って、いちばん解決がつかないものだと思うんです。気持ちは移ろいやすいものですし、愛する故に憎んでしまったり、すごく複雑で、誰しもが抱えきれない葛藤を持って生きているのではないでしょうか。
きっと、心がなければ、抗がん剤治療で魂が置いてけぼりになる感覚も、私という部分が欠けてしまう感覚もなかったのもしれない。もっと受け入れやすく、簡単なものだったんだろうと思います。でも、現実に心はあって、それをどう説明していいのかわからないからこそ、表現へとつながるのだと思います。
この展覧会を通して、自分の中で"塩田千春"をより理解できた気がしています。今はオープンからだいぶ日にちも経ってきたので、私の仕事はそろそろ終わり。ここからは、来てくださった方たちの記憶の中で、作品が生きてくれたらいいなと願っています。
療養中に感じた、自分が欠けてしまう感覚とはまた違うものですが、"足りていない"という思いは、私の中にずっとあります。自分には足りないものばかりーーその満たされない何かを埋める行為が、私にとっては作品をつくることなんです。だから、私の作品はちょっとした欠けやズレから始まることがほとんどです。
ドイツに住んで3年ほど経った時、久しぶりに日本に帰ったら、いろんな違和感があったんです。昔の靴を履くと、サイズは変わらないのに、履き心地がしっくりこない感覚が残りました。昔の友だちと会っても何かが違う。人も物も風景も全部が違っていて、自分が3年の間に想像していた日本と、実際に見た日本との間にギャップがありました。その時の"なぜ"が作品につながるんです。
ただ、私の場合はすぐに形にするのではなく、自分の中で温めている期間があります。心で感じたことと向き合い、イメージを膨らませて、最後にやっと形にしていく。その間に新しいアイデアが浮かんでも、あえてスケッチなどはしません。絵にした時点で、絵という作品になってしまうので。そのかわりに、言葉だけを書き起こすことはあります。たとえば、焼けたピアノを置いた《静けさのなかで》は、最初に「私の本音には音がない」という言葉だけを書いて、そこからイメージを広げて形にした作品です。
静けさのなかで(2002/2019年)
ただ、マテリアルを探す段階になると、イメージしていたものは壊れていきます。本当にこの材料でいいのかな、私のイメージしたものはこれなのかなと、迷いや疑問がたくさん生まれる。その時が、一番苦しいです。さらに"完成"と思えるまでには、長い時間を要することが多いです。
たとえば、《集積―目的地を求めて》も、最初は10個ほどのスーツケースを集めたけれど、全然足りなかった。さらに集めて、200個になった時に展示をしたのですが、それでも足りないと感じて、結局、最後は440個くらいになりました。各国で展覧会をしながら、「これでいいんだ」と感じるまで継続していくのが、私の作品づくり。『集積』もセリビア、イタリア、デンマーク、そして日本と循環するうちに形を変え、完成に近づいていきました。
集積―目的地を求めて(2014/2019年)
そのクリエイティブの過程の中で、特に大切だと感じるのは自由な時間。ヨーロッパには"カフェ文化"がありますが、何をしているのかわからないような人たちが、昼間からカフェでお茶を飲んでいる姿をよく見かけます(笑)。
何もない、何にもならない時間、ただボーッと過ごす時間って、すごく大事。たとえば朝、仕事に行く前にカフェに立ち寄ると、最初は「あれしなきゃ」「これをやらないと」と頭に浮かんでくるけれど、それを越してもなおボーッとしていると、作品についてのアイデアや思いがいろいろと出てくるんです。むしろ、その時間にしか、生まれない何かがある。私の作品づくりにおいて、何もない自由な時間は必要不可欠なんです。