徒歩以上自転車未満のモビリティが街を楽しくする。
ここ最近、興味があるのは、ローカリティの特異性。以前インドへ行ったとき、列車が駅に止まると、子どもたちが乗客にチャイを売りに来たんです。小さな素焼きのカップにチャイを入れてくれるのですが、飲み終わるとそれをみんな、窓の外に投げるんですよね。土を捏ねて成形して、何の釉薬もかけずに焼いただけなので、その辺に捨てたらまた土に戻る。ゴミが出ないので、なるほどこれは合理的で頭がいいな、と感心しました。
インドの人は、刻印の入った金属製の弁当箱を持っているのですが、これはカースト制の元になったといわれる制度の名残で、自分の持ち物とほかの人のものを混同しないために必要だったらしい。こんなふうに世界中の暮らしで日常的に使われている道具や、そこに宿っている考えに触れると、いろんな発見があるんです。旅先で美術館や博物館に行くのも好きですが、なぜその地域で独特なものや技法が生まれたのかを体系立てて見ることできて、とても勉強になります。
僕が思う日本のローカリティは、やっぱり季節があること。例えば、器ひとつ取っても、春のお椀には春の花鳥風月が描かれている。大きな器から小さな器まで季節ごとに変える文化があるのは、日本ぐらいですよね。美しく変わりゆく四季とともに暮らしている感覚が、日本人には大前提として根付いているので、そういったものをデザインを通して残していきたいです。
2000年代くらいから日本のデザインや美術は、シンプルでミニマムでかわいい、というようなイメージが主流になっていますよね。ヨーロッパにはなかった概念なので、新鮮に見えるのは理解できるのですが、それだけが日本の美意識ではない、という思いがずっとあって。歌舞伎などがいい例ですが、シンプルなだけではない、雅な日本の美はたくさんあるし、それらはまだデザインにうまく落とし込めていない気がします。
2年くらい前から、ヨーロッパのファッションメゾンと定期的に仕事をしているのですが、なぜ僕に依頼したのか、彼らに聞いたことがあるんです。そしたら、日本に行くと見たことのない石が転がっていて、見たことのない紙があって、見たことない木で建物をつくられている、と。レザーと大理石に囲まれて暮らす自分たちにとって、面白いマテリアルがたくさんあるからどんどん紹介してほしい、と言われました。僕がインドのチャイカップを面白いと思ったように、海外の人たちから見ると興味深いものは、まだまだたくさん日本にあるんですよね。
ヨーロッパのファッション業界の人たちの間では今、樂焼がブームになっているんです。樂焼みたいに不均一かつ不均整で、一見、複雑なものに日本人は昔から美を見出してきたと思うのですが、それが世界のどこにもない感覚であることに、海外の人たちも気付き始めています。人々の興味関心という意味で、もう土台はできているので、あとは今までと違うデザインや美意識を見せてあげればいい。ローカル特有なものこそ最もラグジュアリーであることに、ファッションメゾンとの仕事を通して気づかされました。
先日開催された「ミラノデザインウィーク2019」に、ガラスとセラミックスを使った「Emergence of Form」という作品を出展したのですが、自分の所感ではセラミックスの作品の評判がとても良かったようです。3Dプリントで原型をつくり、独自に調合した釉薬をかけて焼いた180枚くらいのタイルで会場を構成したのですが、それらはすべて微妙に色が違うんです。日本の大企業のクオリティで考えると、通常であれば「全部色が違うじゃないか」と言われかねないのですが、ヨーロッパの人にはもう、きれいなだけでは心に響きにくいのではないかと思って。案の定、僕がアテンドしたデザイナーたちは、その複雑な表情を面白がってくれました。20世紀は「きれいにつくること」を目指してきた時代といえますが、それが実現してしまった今は、「崩し」にこそエモーションを感じる時代に突入しているんでしょうね。
Emergence of Form
鉄道の仕事をしたこともあって、東京独自のモビリティにも関心があります。パリはそれぞれのランドマークがつながっていて、街全体として美しい印象があるけれども、東京はポイントごとに開発をしているので、ランドマークが点在化しているんですよね。六本木はその顕著な例で、六本木ヒルズや東京ミッドタウンを歩いて行き来するのも微妙に遠いし、大江戸線の駅も深いところにあって面倒だったりするじゃないですか。だから街をもう少し気軽に動き回ることができるような、徒歩以上自転車未満のモビリティがあればいいなと思います。
パリやミラノには、気軽にレンタルできる電動キックボードが街中にたくさんあって、観光客だけでなく、そこで暮らしている人も結構利用しています。僕もいくつか乗ってみましたが、視点が変わることで街を再発見できるし、移動しやすいので狭い路地も散策できたりして楽しいんですよね。まずは六本木アートナイトのようなイベントのときだけでも、何かしらのモビリティを取り入れてみてはどうでしょう。
東京の街に全体的に足りないと思うのは、何をやってもいい場所。だから街にゆとりを感じられないんです。エンプティな空間という意味で、東京ミッドタウンの芝生広場はすごく貴重。お弁当を食べている人もいれば、寝っ転がってる人もいたりして、海外の大都市にはこういう風景が当たり前にありますよね。僕はブラックミュージックやヒップホップが大好きなのですが、路上みたいな何でもない場所から自然発生的に始まった文化こそ芯があり、本物だと思うんです。自由に過ごせる場所があるほうが、都市は絶対に豊かになるし、アートやデザインもいいものが生まれる。同じ空き地があっても、渋谷と六本木と浅草とでは、たぶん違うカルチャーが生まれるはずですし。
世界中どこにでもあるようなものを目指そうとすると、個性がなくなってつまらなくなるのは目に見えています。京都に外国人が殺到しているのは、突出したローカリティを体験できるから。その点、今の東京、特に渋谷なんかは、戦後に自然発生してきたものが長い時間をかけて文化になった飲み屋や横丁なんかを一瞬で壊して、一見、新しいふうなものをつくろうとしている。残念ですよね。六本木のローカリティは、やっぱり美術館がたくさんあること。あとは、悪い人たちもいることですかね(笑)。街に限らず、どんなことも陰と陽がないと面白くないじゃないですか。清潔なだけのものは安心するけど退屈だから、陰もきちんと存在する六本木は魅力的だと思います。
ローカリティという視点で、僕が一番惹かれている場所はブータンです。社会貢献プロジェクトに携わっている関係で、何度も訪れているのですが、ブータンはヒマラヤの麓に位置しているので、基本的に山道しかない。高速道路もなければ電車もないし、自家用車を持っている人も限られていますが、道路などのインフラが整備されていないからこそ、超原始的な工芸が人知れず眠っています。
先進国の書物では、モノクロの図版でしか見たことのないような道具を日常的に使っていたり、一度使っただけでボロボロに崩れてしまうような器を毎日せっせとつくっている人がいたりして。僕たちは恒久的なものとか、複雑なものを求めがちだけど、ものと人間の関係はもっとシンプルでいいのかもしれない、ということをブータンに行くといつも考えさせられます。そこにある素材だけを使ってものをつくり、暮らしていく無理のなさは、先進国が唱えるサステナビリティとは全然意味合いが違う。
ローカリティは究極に面白いし、その土地から生まれる様式や文化を、外の人たちは本当の意味では手に入れられない。だからラグジュアリーなんです。それを使ってデザインで何ができるかっていうのは......今から考えます(笑)。
取材を終えて......
幼い頃から骨董に触れ、国内外の美術館を巡り、審美眼を磨いてきた鈴木啓太さん。"いいもの"をたくさん見てきたであろう鈴木さんが、インドやブータンで出合った日用品について、興奮気味に話す姿がとても印象的でした。「ローカリティこそラグジュアリー」という発想は、まさに目から鱗。それこそキックボードに初めて乗って街を眺めたときみたいに、視点ががらりと変わりそうです。(text_ikuko hyodo)