徒歩以上自転車未満のモビリティが街を楽しくする。
僕の出発点といえる「富士山グラス」は、「TOKYO MIDTOWN AWARDデザインコンペ」の第1回目で、水野学賞という審査員特別賞をいただきました。もともと旅行が好きで、学生のときからバックパッカーとして世界中いろんなところに出かけていました。そして先々で旅の記念になるようなお土産を買っていたのですが、日本に持ち帰ってしばらくすると「なんでこんなの買ったんだろう?」とがっかりすることの繰り返しで。実用性のないお土産ではなく、日用品としても使えるお土産をつくろうと思ったんです。
自宅で誰もが普通に使えるものならば、ユニバーサルなプロダクトといえるグラスがいいなと思い、東京タワー、相撲、富士山のどれかをモチーフにしよう、というところまでは決まりました。そしてある日、ビールを飲んでいるときに「もしかしたらこれを、富士山に見立てられるんじゃないかな」とひらめき、一気にアイディアが加速していきました。
それ以前の僕は、大企業のインハウスデザイナーとして、縦割りの大きな組織の中でデザインをしていました。商品が売られるタイミングになると、営業の人がコピーを考え、広告代理店がCMをつくったりするわけですが、自分がデザインしたときに考えていたことや大事にしていた思いと、最終的な商品イメージに大きな隔たりを感じていたんです。例えば、これまでにないようなミニマムでシンプルなラップトップPCを目指してデザインしたものが、「女子大生向けA4ノート」みたいに打ち出されていたりして(笑)。
富士山グラスの商品化は、水野さんや東京ミッドタウンの担当者など、小さなチームで行いました。メーカーさんを探すところから、細かい販売戦略、値段に至るまですべて自分たちで決めていき、実際にヒットしたときの嬉しさや感動は、まさに初めての体験でした。自分のデザインがピュアな形で世の中に届いたと、初めて実感することができたんです。
富士山グラス
TOKYO MIDTOWN AWARD
もう少し遡って話をすると、僕は学生のときからデザインが大好きで、まあ、デザインというものに超かぶれていたんです(笑)。その流れでいうと、富士山グラスは自分がそれまでやりたいと思っていたようなデザインとは、実はちょっと違っていて。だから商品として世に出始めて、「鈴木啓太=富士山グラス」みたいなイメージが付いてきたとき、とても嬉しい半面、反発するような気持ちが若干あったりもしました。
だけどプロダクトがどんどん独り歩きして、いろんな人が「これ使ってるよ」と言ってくれたり、「富士山グラスをつくっている鈴木さんです」と紹介されて、それがきっかけで話が盛り上がったりする経験を何度もして、代表作を持てたのはすごくありがたいことだな、と素直に思うようになったんです。水野さんとの関係も強くなり、「THE」というブランドの誕生にもつながりました。富士山グラスをきっかけに始まったことがたくさんあった、とあらためて感じています。
THE
僕の手がけたプロダクトはジャンルもさまざまで、ぱっと見るとまとまりがないし、作家性みたいなものがほとんどないと思う方もいるかもしれません。ただ、ジャンルを問わず何でもデザインしたい気持ちはもともとありました。僕が憧れているデザイナーは、柳宗理はもちろん、ペンタグラム創設者のケネス・グランジなど、ある領域に限定している人というより、興味関心が広がって結果的にいろんなことをやっているような人なんです。
とはいえ、商業的なアイテムと公共物は、そもそも性質がまったく違うので、デザインの考え方も異なります。富士山グラスのような製品は、単純に気に入ったら買えばいいし、そうでなかったら無視しておけばいいですよね。しかし公共のものは、例えば、電車のデザインが嫌いだからといって通勤・通学をしないわけにはいきません。つまり、拒否できない。生活の中に強制的に入ってくるものなので、デザインにもより細かな注意が必要になります。
僕は相模鉄道の「20000系」と「12000系」という車両のデザインをしているのですが、鉄道車両にはお子さんから高齢の方々までが使うことを想定する、設計上のルールがあります。体格や体力などあらゆる条件が違っても、全員が使いやすいデザインとは何なのか。そして、美しいデザインとは何なのか。使える素材や法的な決まりごとなど、いろんな制限があって非常に難しいのですが、デザインは創意工夫なので、何かしら問題に直面したときに解決策を考えるのも好きです。そういう過程の連続である公共物は、とてもやりがいがありますね。
相鉄・JR直通線用新型車両「12000系」
すでに世の中にあるようなものをデザインで開発するとき、自分の中で決めていることがひとつあります。それは、必ず進化させるということ。「堅実な革新」と表現しているんですけど、現代人の生活は、必要なのに持っていないものはほとんどないといえるくらい、ものに溢れているのではないでしょうか。
だから僕は、成熟しきった社会に対してデザインしているとも言えるのですが、なぜ新たにものをつくるかというと、もともとあったものよりもわずかでもいいから良くしたいからです。時代に合わせて適切に編集し直して、何かしら進化したものをつくる。そしてまた次の時代に新しいものをつくろうとする人が現れたら、その参考物になれることが大事だと思っています。
歴史を振り返っても、物事ってそういうふうにできているんですよね。大量に発生して、大量に淘汰されていく中で、最も適切なものだけが残って、それが次の時代に受け継がれて進化し続けているからこそ、今の生活に、例えばこういうもの(※目の前にあった紙コップを指して)が存在しているわけなので。先人たちが積み上げてきたものの歴史にはやっぱり興味があるし、敬意を持って自分も踏襲していきたい。僕のデザインは派手さがなくて、もう少し目立つものをつくってもいいかなと思うときもありますが(笑)、こういう地味なことをやっているやつがひとりくらいいてもいいのかなって。
古美術の熱心な収集家である祖父の影響も大きくて、子どもの頃から、なぜこれがいいものなのかとか、古美術としてなぜ価値があるのかを、ひとつひとつ説明してもらっていたんです。そういう話を聞きながら、骨董に囲まれて暮らしていると、残ってきたものには共通する強さや明快さがあることがわかってきます。子どもながらに何となく発見したことを、今はデザインで実現しようとしている感じですね。だから自分のデザイン活動が、脈々と続く歴史の中で1個の点になればいいなと、いつも思っています。