未来の問題をあぶり出し、今、やれることをやろう。
「理系女子アーティスト」として注目を集め、「スプツニ子!」の名で発表した作品が常に話題を呼んできた現代美術家、尾崎マリサさん。現在は東京大学生産技術研究所の特任准教授も務め、2018年12月に国立新美術館で行われていた東京大学生産技術研究所70周年記念展示『もしかする未来 工学×デザイン』でも新作を発表しました。テクノロジーがもたらす未来への展望から、六本木に求めること、そして尾崎さんが目指す"女性が生きやすい世界"への思いまで。会場に訪ねて聞きました。
世界の都市の中で、クリエイティブだと思う街は、ロンドンです。あの街は、人がみんな「違う」ということを前提として、そこからどうつながれるかを常に考えている街だから。
ロンドンには2003年から7年間住んでいたのですが、ロンドンから東京に帰ってきて寂しいな、と思うのは、常にどこか、疎外感があること。あなたは特別だよね、とか、はみ出しているよね、とか、それは褒め言葉のようでいて、僕たちとは「違う」のだ、という拒絶感のようなものを感じます。
それに比べると、ロンドンって、それぞれの人種や文化的な背景をはじめ、個人的な価値観も思想もみんなが違いすぎちゃうから、「みんな違うよね。じゃあ、どうやってつながろうか」という発想がそもそものベースにあり、居心地がいいんですよね。日本にいると、永遠の「違う人」。しかも、つながろうとする努力があまり感じられない。
あと、ロンドンがクリエイティブだと思う理由は、自由に「実験」ができるところですね。何かを始めよう、というときに、お金をかけず、まずやってみることができる土壌がある。ライブのチケットも安かったし、美術館はほとんど無料だから、アートもいっぱい見ることができて、楽しかったですね。最初にロンドンにいったとき、自分の家はすごい小さかったけれど、テートモダンやデザインミュージアムを、私の家の拡張スペースだと思うことにしたんです。無料ですからね。そう思ったら、私の家はなんて広いんだ! と。
六本木をアートとデザインの街にしたいと思うなら、アーティストが住んだり制作できるような場所をつくったらいいんじゃないかと思います。ものすごく家賃の安い部屋や空き家をアーティストに提供するだけで、もっとリアルなアートとデザインの街に変わるんじゃないでしょうか。
というのも、やはり、本当のアート&カルチャーって、若い学生や若いアーティストから生まれているという感覚が私にはあって、ロンドンでも、物価が安い東ロンドンの倉庫に若い人たちが10人でシェアして住んでいたり、廃墟を占拠して活動しているアーティストがいたり、そういうアンダーグラウンドなところにリアルなアート魂があると思っているんですね。
何か新しい表現をしたいとか、アーティストとして生きていきたいと思ったときに、お金持っている人なんて、財閥の娘や息子くらいしかいないじゃないですか。私も25歳で帰国したときは超貧乏で、こんなに物価も家賃も高い六本木には来る機会がほとんどありませんでした。六本木って、高収入の大人がアートを観たり買ったりするにはいいかもしれないけど、若いアーティスト側からすると、近寄ることすらできない街なんですよね。
もし、六本木に、若いアーティストのための場所ができるんだったら、みんなが雑魚寝できちゃうような、適当な感じがいいですね。あまり整いすぎていなくて、適度に汚れているくらいのほうが、いろいろな実験がしやすいと思います。例えば、壊す前のビルがあれば、先着順で好きな展示してもいいですよ、とか。キレイすぎない、キラキラしすぎない場所。六本木はある意味で完璧を求めているのかもしれませんが、むしろ、「完璧すぎない場所」が欲しいのと、あと、お金のない若者に、ぜひ親切にしてほしいって思います。
最近になって、あらためて自分のなかで確信をしたのですが、私には「達成したい未来」があって、その未来とは、女性がもっと生きやすい世界になること。それを六本木から発信できればいいですね。
私は女性として生まれて、理系で、いろいろな夢や大志を抱きながらも、日本で生まれ育ちましたが、残念なことに、上の世代の女性の研究者は少ないし、女性の政治家も少ないし、管理職も少ない。学校では、男の子も女の子も夢をもってがんばっていいんだよ、と言われるのに、その先には未だに、女性は結婚したら家事育児をするものだという社会通念がある。2018年には東京医大の試験で女性を一律減点していたという事実が発覚しましたが、日本の女の子たちは、女なのに医者になるの? 女なのに勉強をするの? という偏見を乗り越えてがんばってきたのに、大学にまで差別されるなんて、信じられないような人権問題です。
その偏見や性差別の問題は、日本人の女性だけではなく、ロンドン時代に知り合ったアジアの女性たちが共通して抱えていたことでもあって、アジア文化に根付く結婚観や夫婦観は、どうしても、女性が男性を支えるというイメージがある。女性が活躍、いいじゃん! と言いながら、結婚した相手には、俺を支えるもんだろ、というのが染み付いている気がするし、女性とは、俺より弱く愚かなもの、みたいな。例えば、テレビでキッチンのリノベーションの紹介をするときに、「こんなに使いやすいキッチンなら、奥様も喜びます!」って、妻しかキッチン使わないのかー! とか。
そういう価値観を恐れるがあまり、パートナーを見つけられない女性たちも多いと思います。でも、妊娠出産のタイムリミットだけは変わらないので、戸惑っていたり、忙しくしていたら、あっと言う間に、いつ産むの? 誰と産むの? 産めるの? ってことになる。
未婚女性が卵子凍結をすること自体がまだタブーだと思われているけど、卵子凍結や精子バンクの分野にも興味があるし、新しい家族像の構築にも興味があって、女同士だけで子どもを育てるという選択だってあるかもしれない。もっともっと、女性の新しい「生きやすいかたち」を描き出し、発信することで、現代女性が抱える苦しさを少しでも減らしたい。究極的には、私は、女性をバイオロジーから解放したいんです。
その目標がはっきりしたので、今、アーティストとして「テクノロジーでわくわくする未来を描いてください」というオファーは全部、断わっています。もうね、そんな、"わくわく"を描いている場合ではない! 性差別に関する分野からは、誰からも仕事のオファーは来ていないのだけれど、頼まれたからやるのがアートではないし、女性が解放されるというのは、政治家や大企業のおじさまたちには見たくない未来なのかもしれないけれど、未来は自分がつくるもの。私は、私が望む未来に向かって、全力でやっていきたい。
実は今、起業も考えているんです。この分野の根強い問題がアジアに共通するものであるなら、アジア全体を視野にできることはたくさんあるはず。「尾崎マリサは極端なことを言っている」と思われるかもしれないけど、それはそれで、いいと思っています。私がちょっと極端なことを言ったり、極端なことをやれば、議論や選択の幅が広がりますよね。「あの人が言っているところまではいかないけれど、私も、ここくらいまではいけるかな」と、女性たちが一歩先に進めるようになるだけでも、意味があるのではないでしょうか。
取材を終えて......
街ですれ違ったら、尾崎マリサさんその人と知らなくとも思わず振り返ってしまう美しさ。と同時に、話を聞けば聞くほど伝わってくる、意志の強さ。「スプツニ子!」なのか「尾崎マリサ」なのか、アーティストなのか、研究者なのか。「私には達成したい未来があり、そのためなら名前や肩書、手段はなんでもいい」。そう言い切る潔さも印象的でした。「女性がもっと生きやすい世界」に向けて。これからますます広がっていくであろう尾崎さんの活躍が楽しみです。(text_tami okano)