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六本木未来会議アイデア実現プロジェクト#15 「六本木、旅する美術教室」第4回 アーティスト鈴木康広の民藝の見方【後編】

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update_2018.12.19 / photo_masashi takahashi / text_azusa igeta

「民藝 MINGEI -Another Kind of Art展」を舞台に開催された、「六本木、旅する美術教室」。アーティストの鈴木康広さんと、21_21 DESIGN SIGHTのプログラム・ディレクターを務める前村達也さんに、民藝展の感想や美術教育の現状などをうかがいました。


第4回の先生は、アートナイト2018で大好評を博した「空気の人」の生みの親である、アーティストの鈴木康広さん。21_21 DESIGN SIGHTで開催されている「民藝 MINGEI -Another Kind of Art展」を訪れました。21_21 DESIGN SIGHTのプログラム・ディレクターを務める前村達也さんを案内役に迎え、ギャラリーツアーを行いました。「民藝」とは、思想家の柳宗悦氏が提唱した造語。1925年、柳氏は民衆の用いる日常品に美を見出し、民衆的工芸を「民藝」と名づけました。その多くが無名の職人たちによる素朴な日用品である民藝は、どのような視点を持って臨めば楽しめるのでしょうか。

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"自然な歪み"が個性になる。大量生産の時代における、民藝品の魅力。

「民藝 MINGEI -Another Kind of Art展」鑑賞後の感想をうかがうと、鈴木さんから意外なひと言が。

鈴木康広 実は僕、若い頃は民藝が苦手だったんです。民藝品を見ていると、当時の自分がやろうとしていたことを否定されているような印象を受け、辛かった。アーティストは、とにかく自分の感じていることや考えていることを形にしたい生き物。なんとも言えないものを誰かに伝えるために、作品をつくっている。でも、民藝品はいい意味で、伝えることを諦めているんですよね。それなのに、作品から自然に何かが湧き出ている。アーティストとして、自分がやろうとしていたことと真逆なので、それを受け入れることができなかったんです。

でも、徐々に民藝を観る視点が自分なりに芽生えてきたと感じます。現代社会の考えになじめず、どこか不自然な取り組みとして始めたはずのアートワークが、続けていくうちに自然さを獲得し始めたように感じられたからです。民藝と出会うタイミングというのも、大事だと思います。

前村達也 民藝品には、内側から湧き出てくる"人間らしさ"があるんですよね。職人がひとつひとつ手づくりしていることによって生まれる"自然な歪み"が、作品の個性であり、愛らしさなんですよね。

鈴木 僕はそうした歪みから"自然"を感じます。人はいつからか、「歪みのない整えられたものを生み出す技術」を礼讃するようになりました。歪みがあるものは、一般的に良しとされないんですよね。実は僕は首が傾いていて、証明写真を撮る時に必ずカメラマンに首の位置を直されるのですが、そのたびに「こうあるべき」という社会のあり方への違和感が生じるんです。僕の首は自然に傾いてしまっているのに、それが「間違っている」「見苦しい」とみなされることに、気持ち悪さを感じるんですよね。民藝品は、人間の手と物理現象の間に生まれた"自然の歪み"が、そのまま作品に残っている。大量生産によって日用品が均一化している今の時代だからこそ、不揃いな民藝品に惹かれるのかもしれません。

【民藝の見方#6】
民藝品が残した"自然の歪み"を楽しむ

「正解」を意識すると、想像力が乏しくなる。発想の自発性を促す美術教育が必要。

 鈴木さんの鑑賞における自由な発想が印象的だった今回のツアー。鈴木さんは、武蔵野美術大学で准教授を務め、小学校の美術の教科書の制作など、美術教育に直接携わっていますが、現状の美術鑑賞教育について、どう考えているのでしょうか。

鈴木 僕は、小さい頃から言葉にすることが苦手で、特に文章にすることができなかったことで、非言語の感覚が自然に培われた気がします。その特性によって、人よりも発想の自由度が高いかもしれません。言語コミュニケーションが苦手だったことで、何かに疑問を持ったとしても、人に聞いたりせずに、妄想や想像をして自分の頭で考え続けていたんです。そんな僕のように、感情を言葉にすることが苦手な人にとって、美術教育は非常に役立つものだと思います。

しかし現代の美術教育では、美術の知識を学ぶことに比重が置かれてしまっている。美大も社会で活躍できる人材を育成する場と位置付けられているがゆえに、知識や使える技術を教えざるを得ないんですよね。

さらに、美術の授業でよく言われている「作品を見て、自由に想像しましょう」といった言葉にも違和感があります。「自由に想像する」のは簡単なことではありません。想像とは制御できることではないです。むしろ、人は、無意識に頭に浮かぶことに対して「今はそんなことを考えるべきじゃない」と蓋をしがちです。

そうではなく、作品を観ながら「今日、洗濯できなかった......」とか「あの人、元気にしているかな?」みたいに、まったく関係のないことを思っても良いのではないか。それが本当の意味での「自由な想像」。でも、先生に言われると、どうしても作品と関連性のあることを思い出さなければならない状況になってしまう。"正解"を探そうとしてしまうんですよね。でも、本当は一見すると関連性のない発想にこそ目を向けるのが、大事だと僕は思います。

前村 教育の現場では、どうしても"正解"が求められがちですよね。

鈴木 正解を意識すると、想像力が乏しくなります。たとえば「それ、いいね」と言われた瞬間から、考える必要がなくなってしまったり......。しかし僕は、今回の民藝展では、深澤さんの言葉が鑑賞の後押しになって、かつて苦手だったはずの民藝が、むしろ憧れの対象になりました。美術教育も、多様な人材の「背中を押してあげる」ものになればいいと思いますね。学校で「これが正解です」と教えるのではなく、新しい視点を持てるきっかけを提供する。提供するというよりも、自然な形でそのきっかけを掴めるような場を生み出すことが大事なのかもしれません。

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