2015年6月6日「六本木の日」、六本木未来会議では、クリエイターを招いてさまざまな講座を行うスクール「六本木未来大学」の開校を予定しています。今回は、その予告も兼ねた特別インタビュー。山口情報芸術センター(YCAM)で、ワークショップ開発や教育普及プログラムのプロデュースを行い、現在、東京大学で特任助教を務めるミュージアムエデュケーターの会田大也さんに、六本木未来大学運営のヒントと、これからのスクールのあり方をうかがいました。
ちょうどこの4月から、僕は東京藝大の大学院に通っているんです。きっかけは、YCAMで得た成果や知見を、論文としてまとめてみようと思ったことでした。38歳で子どもが3人もいるのに大学院生(笑)。でも、こうやって社会人が一度働いたあとに大学に入るのは、欧米ではそこまで珍しいことではないですよね。フランスやドイツ、北欧など学費がゼロの国も多いですし、人が学んで能力を上げていくことを、社会として有効な投資と位置づけている環境、またはそういった機会を選択できるのはすばらしいと思います。
今は、大学の社会人コースも充実しているし、たとえばシブヤ大学のような市民のための学びの場もたくさん。学び直すことが、ようやく世の中に違和感なく受け入れられるようになってきました。六本木未来大学もそうですが、いろいろな選択肢があるのはとてもいいことですし。
僕は教育ということを考えるとき、とても重要な要素のひとつに「環境づくり」があると考えています。たとえば学費の問題だって、ひとつの社会的な環境といえますよね。キャリアデザインを考えるときも、ひとつの会社で働き続けることがよいとされている社会では、社会人が大学に戻ることはドロップアウトと見られてしまうかもしれません。人間は、与えられた環境からいろんなことを学び取る能力に長けています。だから、どういう環境がそこにあるかによって、そのあと自分がパフォーマンスを発揮していくために取り込める"栄養"も、きっと変わってくると思うんです。
山口情報芸術センター(YCAM)
僕の両親は2人とも体育の先生なんです。だから学校と家の中の価値観がすごく似ていた。たとえば1学期の終業式では、生活指導の先生が「夏休みは規則正しい生活をして、朝涼しいうちに宿題をするように」なんて言いますよね。そんなの守るわけないじゃんみたいな感じで、みんな半分ジョークとして聞いているでしょう。でも、うちでは夏休みになると、起床時間が1時間早まって、ジョギングから1日がはじまるんです(笑)。
他にも、学校の先生と親が知り合いなので、僕がクラスで何をしているか全部筒抜けになっていたり、とにかく逃げ場がないような状態でした。当時、自覚はしていなかったけれど、けっこうストレスだったのかなと。地域と家庭と学校が連携した教育環境が理想なんていわれますが、僕はそれってしんどいんじゃないかなと思うんです。学校にはなじめないけど、塾には救いがあったなんて話、よくありますよね。みんなが同じペースで勉強する学校と、能力別の塾、それを行ったり来たりすることが息抜きになっている。もちろん塾だけでもダメで、学校があるからこそ塾の価値が出てくるんです。
重要なのは、価値観の全然違うところを行ったり来たりすること。たとえば、都内にもいくつか「プレーパーク」という、自分で遊具をつくる公園があります。こうした自由を是とするような施設がある一方で、非常にルールやシステムが整った「キッザニア」のような場所もある。プレーパークとキッザニア、もちろんどちらもあってOKだし、YCAMで企画した「コロガル公園」のような方向だってありでしょう。いろんな教育環境の際から際へ行くような、"振り幅"のある経験をしながら、自分にはどういうものがフィットするのか考えたり選んだりしていくのがいいと思うんです。
コロガル公園
僕自身これまでワークショップやスクールといった"環境づくり"に関わってきて、教育によって育まれる力で一番重要だと感じているのは「創造力」です。では、創造力とは何かというと、ものを生み出す能力とかセンスではなくて、見たことのない状況の中に置かれたときに、次の一歩を踏み出す力ととらえています。
見たことのない状況の中に放り込まれたとき、身が縮こまって、「どうしていいかわからない!」とパニックになってしまう人よりも、その状況を打開していける人のほうが創造力が高いなと感じます。たとえ前例が踏襲できなくても、周囲を観察して、これまでの経験に照らした仮説を立てて、一歩踏み出す勇気を持てるかどうか。「これどうなってるの?」「次に何ができるの?」という、未知なるものに対する興味関心や挑戦力、そして打開力。これは3.11以降、僕の中でとくに意識するようになったことです。
流動性がどんどん高くなっていて、次にどうなるのか予測しづらいのが今の時代。誰だって、見たこと聞いたことだけを応用してやっていくのは難しいでしょう。そんな中で、どんな状況に置かれてもやれるという確信を持てる人を育てていきたいし、そういう人がいる地域やコミュニティ、国は強いだろうなと感じます。
以前、僕が勤めていたYCAMは山口市にありますが、地元だけに収まっていればいいという気持ちはまったくありませんでした。世界標準で見て価値のあるものをどうやったら生み出せるか、ワークショップにしても、東京の人たちに「行けなくて悔しかった」って思わせるにはどうしたらいいか、いつも考えていたんです。
ワークショップを企画するときは、まずテーマを分解して、骨組みだけになるまで構造化・抽象化していきます。たとえば「ネットワーク」がテーマだったら、コンピューターネットワークはもちろん、人的なネットワークから、漁師の網はどういうふうに編まれているかまで。ネットワークというキーワードから浮かぶすべての要素を比較したり共通項を洗い出したりして、どんな理解をすれば、ネットワークがわかったといえるのかを考えていきます。
僕はワークショップを体験型学習と呼んでいて、その定義は「あるモデル(型)をつくり、それを体験しながら、腑に落ちる形で提供する」こと。たとえば参加者同士で伝言ゲームを同時にやってみると、ネットワークのひとつのモデルがわかる。最終的に、コンピューターと漁師の網との共通性や違いに気づけたらしめたものです。
ワークショップは多くても10~20人と、参加できる人数が限られます。だから終わったあとに、いい形で写真やレポートを残す「後パブ」は、YCAMのスタッフと共に戦略的に計画していました。具体的にはYCAM Re-Marks(http://re-marks.ycam.jp/)というウェブサイトに、どんなドキュメンテーションを残すべきか、というアイデアです。ワークショップでいえば、「このシーンでは機材がここにあって、手元やスクリーンが入る形で撮影してほしい」という絵コンテまでつくる。そういうことをやらないと、遠方の山口でやっているワークショップが面白いとは思ってもらえないんです。
YCAMのワークショップ
伊勢丹新宿本店でやっている「cocoiku(ココイク)」は、子どものための学びプロジェクトで、監修という立場で協力しています。講師は、幼児教育の専門家ではなくて、建築家だったり、インテリアデザイナーだったり、映画監督だったり。子どもからすれば、「何だかわからないけど変な人に毎週会ってるな」という感じ(笑)。講座のコンテンツそのものもさることながら、一流のクリエイターという生き物に直接触れること自体が面白いと思うんですね。
cocoiku
講師の年齢も子育て世代に近いところをセレクトしていて、彼ら自身も自分の仕事を子どもにどうやって伝えるべきか、考え直しているというのも重要なポイント。たとえば、「あなたの仕事に重要なキーワードを10個あげて、子どもに伝えてください」と言われたら、誰でもドキッとするはず。専門用語でごまかすことはできないし、伝えるべきことを構造化して磨いていかないと子どもはビビッドに反応してくれません。クリエイターにとっても気づきのある、化学反応が起きる場所になればいいなと思っています。
YCAMの場合、東京や世界に対してどういうふうに戦うべきかという戦略を考えて動いていました。山口なら山口、新宿なら新宿、六本木なら六本木、場所ごとに最適解はあるでしょう。それぞれ目指す教育のイメージは違うし、どこの街でもやり方は同じということはありません。その街の特性は何かを考えて、地の利を生かしていくことが大事でしょうね。
「六本木アートナイト」に関わっている関係で、地域の人に話を聞きにいく機会があり、この街の昔の写真をいろいろ見せてもらったんです。たとえば、東京ミッドタウンはもともと防衛庁で、その前は米軍の宿舎、江戸時代は毛利家のお屋敷。六本木というのは、ある意味とても日本的な、スクラップアンドビルドを繰り返している街。歴史がどんどん上塗りされていく街だと思います。
ニューヨークやアムステルダム、ベルリンなど、さびれた街をアートの力で蘇らせるというのは、世界的にもよくある事例。とはいえ六本木が、デザインやアートというブランドだけで、このあと100年やっていけるのかというと、それはわかりません。もしかすると地価がどんどん上がって、デザインやアートなんかにフロアを貸しておくのはもったいない、という日がくるかもしれない。
そういう大きな流れの中で、今の街がどういう位置づけにあるのか、未来は、あるいは過去はどうなっていたのか。遠くも見えれば近くも見える万能虫眼鏡のように、スケールを柔軟に変えて街を眺めることに興味を持っています。今見えているものだけで判断しないほうが、面白い見方ができますから。
たとえば、夜の街とか怖い街というイメージがあるなら、それを逆手にとったほうがいい。六本木アートナイトなんて、まさにそういうことですよね。僕自身、六本木アートナイトに関わるようになって、街のイメージを変えるにはどうしたらいいか、逆にイメージを使ってどういうふうに街をプロモーションしていくのかを考えてみるのは面白いな、と感じています。
僕がYCAMの教育プログラムを考えるときに悩んでいたのは、ものをつくる人を育てるべきなのか、ものを見る人を育てるべきなのかということです。これは、六本木未来大学でも考えなくてはいけないことでしょう。クリエイティビティは生み出す側だけにあるわけじゃなくて、見る側がどれだけクリエイティビティをもって観賞できるかも、アートの価値。みんなを揺さぶる作品が面白い作品だとすれば、揺さぶられる側にも揺さぶられる側なりのお作法はある。どんな作品を観ても「この作品はつまらない」っていう人は、やっぱりつまらない人に見えてしまう。だから、アーティストではなく、アートの見方に対して、すごく厳しい目を持った人を育てると面白んじゃないかと思って。
僕、アーティストと一緒に美術館に行くのがすごく好きなんです。というのも、彼らはめちゃくちゃ面白いものの見方をするから。何を見ても面白さを発見していけるというか、そういう意味では、美術館じゃなくて、さびれた商店街でもいいんです。変なものを見つけて盛り上がったり、みんなが通り過ぎちゃうようなコップに美を見いだしたり。
六本木未来大学が、そういうものの見方の面白さ、ものの見方のクリエイティビティが喚起されるようなスクールになったらいいですね。作品を見て何か話をする、何か思いを巡らす。議論をすること自体に喜びを感じられるような。議論をすることで、アーティストの側も真剣になっていい作品がどんどん生まれて、さらにいい観客が醸成されていく。そんな相乗効果が生まれたらすばらしい。
今、僕の目の前にある紙コップ、これをアート作品だとします。アーティストが「これはコップだ」と言えば、見ている人は当然コップだと思うでしょう。でも小さい子どもに見せると「コップじゃなくて王冠だ」と言うかもしれない。そういう見方もあるはずなのに、アーティストが言えばみんなコップだと納得してしまう。それは、日本の義務教育とも関係していると思います。「これは何を表しているか、次の4つから選べ」とか「どういうふうに考えてつくられたものか40字以内で答えよ」という質問を繰り返された結果、作品にも唯一の答えがあると強くインプットされている。そして、自分には絵を見る力はないと思い込んでしまっているんです。
実際、アートの一番の面白さは、矛盾する解答がいくつもあるけれど、どれも不正解ではないというところにあります。たしかに社会の中で合理的に機能する人間としては、唯一の答えを見つけられる人のほうがいいかもしれません。でも一方で、アートを観るときはもっと柔軟でいいし自由でいい。むしろ、コップでも王冠でもない第3、第4の答えをいかに出せるか。作品を見て楽しむということには、ある種"モノボケ"みたいな面白さが含まれていることを学んでほしいですね。
今、六本木アートナイトのツアーガイドを養成するワークショップに関わっていますが、これもアートの見方そのものを開発していく、すごく面白い取り組みです。そして、アートの見方にバリエーションを出せるようになったら、その次は、解釈と解釈を戦わせる段階。この段階になると、もしかしたら取っ組み合いの喧嘩が起きるくらい激しい議論が起こるかもしれません。近い将来、そういうところまでいけたらいいですね。
六本木アートナイトのツアー
アートは世の中に対して疑問を投げかけるものである一方、デザインは整理整頓、解決すべき課題に対するソリューションととらえることができます。六本木未来大学の講義を通して、アートの批評と同じように、デザインについての批評もより活発になっていくといいですよね。「これって、もっと別の解決方法があるかも?」と、デザイナーと語らえる素人がもっと出てきてもいい。
インターネットが発達して、家にいながら、いくらでも情報が見られる時代だからこそ、ワークショップやスクールなど、リアルで体験できることが見直されているんでしょう。瀬戸内のアートプロジェクトなんかもそう。飛行機やバス、船などいろんな乗り物を乗り継いであの場所に行くこと自体に価値があって、アートはもはや旅に誘うための言い訳でしかないというのが面白い(笑)。
初めて山口に行ったとき、スーパーで売っているちらし寿司に生のエビが入っているのを見て、とても驚きました。きっと山口は海産物に対する厳しい目があって、たとえスーパーで売られている寿司でも茹でたエビをのせるなんてとんでもないと、みんなが思っているんですね。そういう地の人が持っている厳しい目が、できあがるもののクオリティを高めてくれると思います。香川ではマズイうどん屋は生き残れないだろうし、金沢ではマズイ和菓子屋は生き残れない。そうですね、六本木は......見る目が厳しい街ですから、有名無名問わず、観た人の心を揺さぶるようなデザインやアート作品じゃないと生き残れない、刺激的でチャレンジングな場所なんじゃないでしょうか。
ART SETOUCHI
取材を終えて......
まだ開校していないのに、会田さんの話を聞く編集部は、まさにスクール状態(!)。ちなみに講座の詳細は、六本木未来会議のサイトやメルマガでも随時発表します。どうぞお楽しみに。(edit_kentaro inoue)
会田大也(あいだ・だいや)
山口情報芸術センター(YCAM)にて、開館当初より教育普及担当としてオリジナルワークショップの開発や、教育普及プログラムのプロデュースを行う(2003~2013)。担当ワークショップは第6回キッズデザイン賞大賞を受賞。担当企画展示「コロガルパビリオン」は第17回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品賞や2014年度グッドデザイン賞を受賞。2014より東京大学ソーシャルICTグローバル・クリエイティブリーダー(GCL)育成プログラム特任助教。