97 増田セバスチャン(アートディレクター / アーティスト)前編

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原宿のカワイイは、世界のKawaiiへ。21世紀に入ってから世界でもっとも広まった日本語かもしれないKawaii。その言葉にパワーを持たせたのは、アートディレクター/アーティストとして国内外で活躍する増田セバスチャンさんです。アートとファッション、エンターテイメントなど、様々な領域を横断しながら、Kawaiiカルチャーを発信し続ける増田さんに、そのクリエイションの原点や活動を振り返っていただき、六本木とKawaiiの可能性についてうかがいました。

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update_2018.9.26 / photo_yoshikuni nakagawa / text_nanae mizushima

"カワイイ"の、その先にあるもの。

 僕の表現の原点と言えば、大好きだったハードコアパンクやノイズなど、いわゆるインダストリアル・ミュージックと、20歳くらいの時にお手伝いさせていただいていた現代美術家の存在が大きいです。当時はとにかく過激な表現で知られる方で、時代に切り込むようなコンセプトでトンがった作品をつくられていました。

 そもそもそれがアートなのか、演劇なのか。当時の僕は若かったから、それもよくわからずに、ただ純粋に、その世界に惹きこまれて手伝いをしていましたが、結果として自分の表現を突き詰めていく、良いきっかけを与えてもらいました。

 自分にとっての過激なもの、狂気って何だろう? そう問い続けるうちに、あるとき子どもやキティちゃんの存在が浮かびました。どちらも無条件にカワイイじゃないですか。けれど例えば子どもは虫を残酷に扱ってしまう瞬間がある。砂場で遊んでいて蟻を見つけたら、つぶしてしまったり。キティちゃんはキティちゃんで、実は口がなかったりして、逆に過激にも感じられます。つまり、僕にとっての過激な存在、狂気とは"カワイイ"の、その先にあるものではないか。そう思ったんです。

受け入れてもらえなかった自分のアート。

 それで僕は22歳頃に自分のパフォーマンス集団を結成して、カワイイと狂気が同居する舞台を公演しました。自分としては今と何も変わらない表現をしていたつもりですが、アートや演劇界隈の方から結構批判されたんです。

 批判の背景には時代の空気もあったかもしれません。90年代初頭は、モード全盛期。そんななか、カラフルな色彩で子どもの狂気のようなものを表現した作品は、受け入れてもらえませんでした。

 僕の中のカラフルな色彩の原風景は、生まれ育った街の商店街にあります。子どもの頃、学校が終わって家に帰ると、いつもお腹が空いていました。でもうちは呉服屋だったこともあって、夕食の時間が遅かったから、僕は親に100円だけ持たされて、商店街にある駄菓子屋やおもちゃ屋に立ち寄るのが日課でした。

 時代は昭和。あの当時のお菓子やおもちゃのパッケージって、すごくカラフルですよね。その色彩が、今も脳裏に焼きついていて、ワクワクする。そしてあの頃抱いていた未来に対する大きな期待、キラキラしている風景が未だ忘れられないし、それを今また多くの人と共有したい。そういう気持ちから僕の作品の色彩は、生まれていると思います。