94 石上純也(建築家)後編

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誰も想像しなかった場所、カタチ、空間。一見、突飛に思えるが、実は何よりもその土地になじみ、その場所の魅力を引き出している――。そんな建築をつくり続けている石上純也さん。現在、パリのカルティエ現代美術財団で開催されている『Junya Ishigami, Freeing Architecture』でも高い評価を受け、9月まで会期が延長されたばかり。そんな石上さんに未来の都市がどうあるべきか、そして六本木がアート、デザインの街になっていくために何が必要かを聞きました。

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update_2018.7.4 / photo_mariko tagashira / text_nana okamoto

六本木で必要なのは、生活スタイルと一体化して作品をつくる場。

 東京の中心部でもある六本木は、いろんなものを世界から呼び寄せ、また、簡単に見せられる状況、環境ではあります。でも、アートという視点で、その街を盛り上げようとするのなら、アーティストがそこに住んでいないといけないと僕は思うんです。つくり手のアクティビティと作品を見せることが一体化していないと、リアリティとして見えてこない。たとえば、ニューヨークは昔ならソーホー、今はブルックリンという街に多くのアーティストが住み、そこでの生活スタイルと一体化して作品ができあがっています。そういうあり方ができないと、単なる展示会場、見本市みたいな形になってしまうし、文化は生まれない。そういうリアルな芸術活動ができる場を、生活から掘り下げていくことが重要だと感じます。

 だからといって、アーティストレジデンスのようなものをつくればいいかといえば、そうではないんですよね。もちろん、ある程度の誘導は必要かもしれない。でも、与えられるより、自然発生的にアーティストが集まってくるポテンシャルを都市の中に残すことを同時にやらないと、長続きしない。

 生き生きと街に根差したものになっていけば、自然と "東京らしい" "六本木らしい" アート、デザインが生まれていくんじゃないかなって。今六本木にある美術館やアート施設はちゃんとある視点ではうまく役割を果たしているとは思うのですが、それ以外にどこからも持ってこられないこの場所から生まれたアートがあるといいですよね。それが、街のまんなかでできたらすごいことだと思います。

アイデアだけでなく、現実にどうフィットさせられるかが重要。

 創作のオリジナリティについて考えるとき、その人の内側から湧き上がってくるものはもちろん重要です。でも、同時に、その人の外側のさまざまな要素に導かれて現れるものでないと説得力がない気がしています。

 たとえば、生まれ育った環境や今いる場所や周りの人間など、外側からくるものに自然と導かれていくプロセスから生まれてくるものに、僕は魅力を感じます。特に、僕の場合、建築をやっているということもあって、いろいろな創作の根源が、その場所やその土地、あるいは、クライアントが元々持っているものの延長にあるように思っているからかもしれません。場所が持つ固有性やクライアントの個性によって、現れる解答はその都度異なるし、むしろ、それら外的要素を自分なりに繊細にこつこつとショートカットせずに積み上げていった結果、形づくられたものに、独創性が宿るように感じています。一般性に照らし合わせると省略できるものでもショートカットせずに積み上げていくことが重要です。そうして積み上げられたものは、自然と一般性から逸脱していくものです。

 そういう意味では、極論を言えば、突拍子なく突然現れる、ほかと何も関係を持たない閉じたアイデアにはあまり魅力を感じません。どちらかと言えば、アイデアそのものは誰でも考えられると思うのです。今の時代、さまざまな人が考えた多種多様なアイデアへとても簡単にアクセスできる気がするし、それ自体はあまり人に感動を与えないように思っています。どちらかというと、そのアイデアを現実の世界でどうやってフィットさせていくことができるか、現実のコンテクストにどのように関係づけて、実現していくことができるかが重要です。眼の前に現実に現れる景色に対してこみ上げる感動は、いろいろなものが情報化されていく現代において、特に心の奥底に突き刺さります。だからこそ、リアリティとともにものがつくり出され、それをそのリアリティとともに表していくことが重要だと思うのです。