幼稚化ではなく大人化へ。背伸びしたくなる街を大人がつくる。
ファッションデザイナーとして自身の名前を冠したブランドを立ち上げ、20年以上第一線で活躍している丸山敬太さん。渋谷区出身の丸山さんにとってお隣にある六本木は、大人になる過程でさまざまなことを教えてくれた場所だったようです。そんな丸山さんの六本木にまつわるエピソードとともに、六本木がこれからの時代を担う若い世代にとって魅力的な街になっていくために必要なことをお聞きしました。
個性云々ってよく言われますけど、僕としては当たり前のことなのになと思うんです。個性っていうのは要するに、パーソナルということですよね。ひとりひとり全部違う細胞でできているのだから、存在しているだけで個性なわけです。何かが突出しているから個性的ということではなく、社会というのは個の集合体でしかない。
たしかに着るものは衣食住のなかで、その人自身を一番表しやすいかもしれないし、「ファッションは個性的であれ」なんて言われるけれども、僕自身にそういう概念は全然なくて。人と違うファッションで自分らしくありたいと思うのも個性だし、人と同化したいと思うこともやっぱり個性なんですよね。制服が楽な人もいるだろうし、ファッションに重きを置かない人ももちろんいる。いろんな人がいる社会だからおもしろいんだろうなっていうふうに考えています。
日本には、ある程度は人に合わせるべき、という美学がありますよね。そのこと自体、実はものすごい個性なんだけど、どこかで引け目を感じたり、それを武器にできない不器用さはもったいないなと思います。要するに日本人って、個性的というのはこういうことだから、こうしなきゃいけないっていうふうにステレオタイプに物事を考えがちじゃないですか。本当は個性を消すことも個性ではあるんだけど、そんなふうには考えられない。日本のオタクカルチャーが海外で高く評価されているのは、「オレらにこの発想はないよ!」と一目置かれて、非常に個性的だと思われているからなのに、なぜか日本だとネガティブに捉えられてしまうことがあるのが残念。ステレオタイプな理想像から外れているものは、よしとされないんですよね。
理想像から外れている人も外れていない人も集合しているのが社会だという考え方が根本にある国は、個性なんていちいち話題にすること自体が窮屈なはず。日本もそうなるといいなと僕は思っています。みんな違うのは当たり前なのだから、そこはいちいち追求する必要はない。基本的には、何でもありでいいんですよ。
僕は1965年生まれで、渋谷区神宮前出身なのですが、70年代の六本木カルチャー、いわゆる大人の街というイメージに憧れた世代。六本木に遊びに行き出すのが高校1年生くらいで、80年代始めなんですけど、思いっきり背伸びをして出かける場所でした。それこそキャンティに集うような大人たちに憧れたし、そのあとはワンレンボディコン全盛期もありましたね(笑)。スクエアビルとか、若い人は知らないですよね? あの時代を経験していないのがかわいそうだと思ってしまうくらい、当時の六本木にはものすごいエネルギーが渦巻いていました。タクシーなんて乗りたくても止まってくれないし、男の子は車を持っていなかったら女の子に相手にされなかったからね。その後クラブカルチャーが西麻布に移ったり、原宿に移ったりしましたけど、入り口がそんな感じだったから、自分がだいぶ大人になってしまった今でも、六本木はいまだ僕にとって大人の街というイメージです。
キャンティ
アマンド六本木店はビルを建て直してリニューアルしましたけど、僕が六本木で遊んでいた時代の象徴的な場所なんです。「アマンド前に集合」っていうのは当時の合い言葉みたいなもので、週末の夜になるとものすごい数の人がこの辺で待ち合わせをしていました。当時はパリブレストという名前だったシュークリーム(現在はリングシュー クラシック)ひとつとっても、子どもの頃からのいろんな思い出があります。
アマンド六本木店
六本木だけでなく東京という街は、進化して大きく変わってしまった部分と、昔ながらの下町っぽい部分の両方が今もかろうじて共存している。それが魅力だと僕は思っています。六本木も表通りからちょっと外れれば、まだまだ住宅街があるし、アマンドみたいな老舗の洋菓子店も少なくはなってしまったけれどもいくつか残っている。欧米文化発祥の地みたいなところがあったりして、そういう意味でもコスモポリタンな場所だと思うんです。
夜中にひとりで街を歩くのが好きで、深夜まで仕事をしているときなどにちょっと外に出て、青山から六本木のほうへ散歩しながら街を眺めたりするんです。そんなときに感じるのは、東京は雑多でスピード感がある半面、どこかほっとするような静けさや落ち着きもあるということ。僕が生まれも育ちも東京だからそう感じるのかもしれないけれど、世界のいろんな都市を見てもそれって東京だけの感覚のような気がするんです。六本木もまさにそうで、昼と夜で様子が全然違うのもおもしろい。昼間は勤め人がすごく多いけど、夜になるとどっと人が遊びに来たりして、二面性があっていいですよね。
六本木って原宿とか浅草みたいに、街の名前自体が海外でも認知されているじゃないですか。ひと昔前のイメージかもしれないけど、東京のナイトライフといえば六本木、みたいにね。でも最近、それが少し戻ってきている気がするんです。こないだ深夜にかき氷の専門店で食べていたら、クラブをはしごしているんだろうなって感じの15人くらいのグループが入ってきたんです。そのうち半分は外国人で、女の子の半分は帰国子女かなっていうくらいのテンションで、日本語と英語のちゃんぽんで盛り上がっている。ワンショルダーの服も、最近の日本の女の子らしからぬ健康的な雰囲気で、男の子たちもいかにもイケイケ。みんなで楽しそうにかき氷を食べて、「次行こう!」って出ていったのを見たとき、うわー、懐かしい! って思ったんです(笑)。こういう空気がまた六本木に戻ってきてるんだなって、なんだか嬉しくなりました。
六本木はやっぱり今来ても、なんとなくドキドキしますよ。街自体にエネルギーがちゃんとあるのがいい。六本木に限らない話だけど、あえて言うなら、チェーン店が多いのはいただけない点。チェーン店が多くなるほど、世界中の街が似てきてつまんなくなってしまうから。とはいえチェーン店をなくすのは難しいだろうから、多少雰囲気を変えたりして店が街に合わせるようなことをしてほしい。その街ならではの、そこにしかないものがフォーカスされると、みんなすぐに足を運ぶじゃないですか。西麻布にホブソンズがオープンしたとき、アイスクリームを食べるために「なんでこんなに?」っていうくらい行列ができたんだけど、当時に比べたら今はもっと簡単に情報を手に入れられる時代だから。
ホブソンズ
今はインスタグラムみたいなツールがあるから、インスタジェニックな場所に出かけることが増えているわけですよね。興味のきっかけはなんでもいいと思うのだけど、ただそこで写真を撮ってアップして終わるのではなく、経験することが大事なんですよね。情報がなかったら行かないような街や店に実際に足を踏み入れて、そこでいろんなものに出会って経験してみることがとても大事。やっぱり街っていうのは、いろんなものと出会わせてくれる場所だから、そういうふうにアンテナを立てていると楽しいんですよね。