アートとポップカルチャーをミックスし、世界に発信できるスペースを。
4月25日(土)と26日(日)に迫った「六本木アートナイト2015」。そのキービジュアルを手がけるファンタジスタ歌磨呂さんは、ゆずやでんぱ組.incのアートワークのほか、ファレル・ウィリアムス、livetune feat. 初音ミク「Tell Your World」などのミュージックビデオ、さらには雑誌『WHAT'S A FANTASISTA UTAMARO!?』の出版やファッションまで、ジャンルを横断して活躍するクリエイター。マンガやアニメすべてがアートだと語る歌磨呂さんが描くのは、ヲタの集まる未来の六本木!?
日本のアートの定義って少し特殊だなと感じていて、ちょっと敷居が高いイメージがあります。個人的には、アートってそもそも、もっと自由なものなんじゃないのとも思っていて。毎回、六本木アートナイトを観ていても、そういう印象を拭えずにいました。
僕にとっては、マンガとかアニメはもちろん、伝統工芸もアイドルも全部アートって認識で。だから今回、六本木アートナイト2015に、ライゾマティクスの齋藤精一さんがメディアアートディレクターとして入って、新しいジャンルを取り込んでいこうという流れにはすごく共感するものがありました。
担当させてもらったキービジュアルについていうと、キャッチコピーの「ハルはアケボノ」というテーマはあとから決まったんですが、イメージは和。今回のプログラムのひとつにもなっている日本ならではのデコトラがあったり、富士山に雲や波といった浮世絵の風景、相撲っぽい書体など。それと、僕の作品に共通する無限増殖するというコンセプトを盛り込んでいます。
六本木アートナイト2015
アートトラック
他に、これまで六本木で印象に残っている仕事といえば、2011年にTSUTAYA TOKYO ROPPONNGIでやった、ミキオサカベくんのファッションショー。その中で、当時まだ地下アイドルという領域で活動していた、でんぱ組.incのゲリラライブを行いました。もともとは、その数年前にでんぱ組.incが所属している秋葉原ディアステージというお店の内装を頼まれて見に行ったときにヲタ芸に出会って、「これはヤバイ、こんなにはじけてるジャンルがあるんだ」と驚いて、異文化交流として、「最前ゼロゼロ」というチームをつくってアートプロジェクトをはじめたんです。
ちなみに、ライブ会場に六本木のTSUTAYAを選んだのは、せっかくなら日本にしかないところがいいだろうと考えていて浮かんだのが、レンタルビデオ屋さんだったから。もうひとつ、アキバで輝いていたヲタ芸の奇跡を、六本木という"異国の地"で爆発させたいというのも目的のひとつでした。
彼らはそもそも見世物ではなく、愛の祈りとしてヲタ芸をやっているので、ディアステージの舞台に上がって、「僕は数年前にここでヲタ芸に出会って衝撃を受けました。どうか、イベントを盛り上げてほしい!」みたいな話を、ヲタ一人ひとりに力説させてもらって。結局そのショーには3,000人くらいが集まって、入場制限されるほど盛況で、本当にうれしかったです。
最前ゼロゼロ
最近、六本木ではまっているのは「ジム」に通うこと。去年は、年間の半分弱はニューヨークにいたにもかかわらず、なんと160回も行ってました。きっかけは、太ってしまったのと、慢性的な疲れが取れなかったことに加えて、そこに通っていた知り合いがすごくキラキラして見えたから。昔、『週刊少年ジャンプ』に掲載されていた広告、覚えてませんか? ひ弱なやつが、ブルワーカーという器具を使うと日焼けしてムキムキになってモテるっていう(笑)。
そんなイメージで通っています。
実際にトレーニングしてみて、運動は体だけじゃなく精神的にもいい影響を与えることに気づいたんです。どこかの部位をトレーニングするとき、頭で考えても体はいうことを聞いてくれません。そこで、頭も体のパーツもすべてがフラットに置いてあるというイメージトレーニングをしていたら、今まで上がらなかった重さのものが上がるようになった。
感動して、自分はこれまで、なんて頭でっかちに物事を考えてたんだろうって思って。そして頭だけで考えなくなったら、仕事だったり生活だったり、すべての部分がリンクして、すごくクリエイティブになれるとわかったんです。今ではすっかりはまってしまって、いろんな人にトレーニングをすすめまくっているんですけど。
もともと「ファンタジスタ歌磨呂」というのは、予備校時代の仲間と大学のときにはじめたマンガ同人誌『mashcomix』で使っていたペンネームでした。イラストの仕事を請けるときにそれでいいかな、と思ってやってたら、そっちがメインになってしまって。
mashcomix
僕らが美大に進んだのって、やっぱりマンガとかアニメの影響。だから、僕らなりにマンガとかアニメの解釈を再構築してみようということではじまったのが『mashcomix』なんです。マンガを別の形で切り取ってとらえる、マンガの概念をマッシュしよう(つぶそう)みたいな意味で、一軒家を丸ごと漫画に見立てた展覧会をやったり、全ページ袋とじの1冊をつくったり。わかりやすくいうと、デザインとアートの融合みたいなことをしています。
僕が生まれて、これまで生きてきて感じた一番純度の濃いもの、それはマンガやアニメといったカルチャーでした。それって、寿司とかと同じようなもので、世界に絶対に誇れる分野。だから、日本のポップカルチャーに潜む可能性をもっと追求したいと思って、日々活動しているんです。
2014年からニューヨークをはじめ、海外でも制作活動をしているのは、新しい文化に出会いたいというのはもちろんありますが、それより、僕自身がすばらしいと思ったものを広めていきたいという思いから。一時は自分の職業を「書記」なんていってたくらい、メッセンジャーというか、伝えたい人なので。「これヤバイでしょ?」「こんな面白い人いるよ」って、言いにいかなくちゃいけない。世の中のバランス的にも、伝達する人がもっともっと必要だと感じています。
僕はかっこいいものも大好きだし、デザインものも大好きだし、同じようにアニメやマンガも大好き、だからこそそのポテンシャルを最大限引き出し、世界に残していくにはどうすればいいかを考える。いいものだけど、それをわからない人たちに伝えるには、いったいどういうしつらえ方がいいのか。大切なものを、どういうふうにすれば次の世代に伝えたり、新しい化学変化に向かって動かしていけるのか。
僕、世界で一番ステキなことは、何かをつくることだと思っているんです。それは、絵でも、音楽でも、食事でもそう。その何かをつくるという、一番大事なところが今、大事にされてない気がします。たとえば映像系だったらアニメーションをつくる人や、実際に現場でものづくりをする人、クオリティがすごい高いものをつくっているのに報われない現場も見てきました。
自分も末端のクリエイターですけど、僕が関わるプロジェクト、関わる人たちには、そういう思いはさせたくない。もし自分に才能があるとすれば、ともに仕事をするクリエイターたちのポテンシャルをギリギリまで引き出すことかなあと思っています。「スーパー・セレブレイト・スピリッツ」というか、とにかく受け入れる心を持つこと(笑)。去年、ファレル・ウィリアムスというアーティストの「It Girl」というミュージックビデオをつくらせてもらったんですけど、それはまさに、僕が信じるクリエイターたちと文化の違う場所で何かをつくっていく、ひとつの実験でした。
It Girl
かっこつけるつもりはないですけど、自分だけがよければいいというふうに考えられなくなってきた。自分ひとりが得意気になるような時代は、もうほんとに終わったと思ってます。自分にとって大切なものは何かをずっと探していて、やっとそれが見えたというか。僕らがつくっているすばらしいものたちを、いい方向にもっていきたいというのが今の願いであり、人生のテーマになっています。
最初に話したとおり、僕の作品のコンセプトは「無限増殖」。紙やキャンバスの都合でトリミングされてしまうけど、本当はどの絵もはてしないところまでつながっている。これって人間の人生も一緒、どんなふうにトリミングするかが重要だと思うんです。だいたい、いつ死ぬかわからないんだし。
六本木には外国人がたくさんいますけど、日本人のほうが外国人に引っ張られていると感じることがあります。たとえばこの街で遊んでいる子たちって、外国人ってかっこいい、みたいに思っていますよね。それを逆の方向に持っていく。たとえば、アキバにオタクの外国人が遊びにきて「クール!」とか言ってるように。
今、ヲタの世界は、サブからメインへと変わりつつあると思うので、その発信地になるスペースを六本木につくれたら面白いですね。アキバとか中野ブロードウェイとかじゃ、これまでのイメージのままなので。日本のポップカルチャーを軸にしたスペースをつくって、"かっこよくて女の子にモテるヲタ"という、新しい概念を六本木の街からはじめてみる。もちろん、上手にていねいにディレクションしながら、徐々に変えていかないといけないので、難しいとは思うんですが......。
実際、最近の若い子ってハイブリッド世代というか、「アニメはオシャレ」みたいなことを言って洋服をつくったりしていて、すごくかっこいいんですよ。広告なんかでも、ヲタがイケてるみたいなことが言われるようになりました。ただ、最近よくあるのは「初音ミクやっておけばいいんでしょ」みたいに、サブカルチャーを表面的に使うこと。そういう人たちも多いんです。せっかくいいものつくっているのに、文脈も理解せずに利用されているのを見ると、そんなもんじゃねえぞ、って思うこともありますし、大切な文化を傷つけて消費することも多くなっている気がします。
世界で活躍する日本のアーティストって、やっぱり日本的な要素をいい感じにフィーチャリングしているもの。六本木なら、そういうアートとカルチャーと全部をミックスした場所がつくれそうですよね。僕はそこにトータル・ワークアウトみたいなジムもつくって、運動もできちゃう、みたいな(笑)。アキバは聖地にしといてもらって、外国人の多い六本木は世界とつながる「どこでもドア」のような街にしましょう。
実際、ヲタの人たちも、そろそろ考え直さないといけない時期にきていると思います。すでにヲタのカルチャーは、「自分たちがよければいい」なんて言っていられないくらい大きくなってしまっているから。もちろんヲタの人たちにも、使命感というか"想い"はあるでしょう。たとえば、いいアニメがあればDVDを買おう、好きなアイドルがいたらいっぱいCDを買おうというように。これは、なんとか活動を継続させてあげようという愛みたいなもので、アートでいうところのパトロンに近いかもしれません。
ただそれは、あくまで自分のため、個人的な想いにすぎません。愛だけでやっていたものを、もうちょっと外に広げていく。ヲタ自身もだんだんわかってきていると思うし、おそらくここ数年から10年くらいのうちに、外の世界とつながらざるを得なくなってくる。そういう意味でも、やっぱりどこかに空間をつくるのがいいのかなあ......。
六本木はデザインとアートの街をうたっていますが、そうすることで、幅を狭めてしまっているようにも感じます。それより「ものづくり」というテーマはどうですか? そこにデザインがあるかもしれないし、アートや音楽があるかもしれない。すべてに共通しているのは、何かをつくるクリエイションのための場所。それを迎え入れられる場所がここです、となれば、みんなイエーイといって集まってくるでしょう。
六本木アートナイトもそうですけど、お祭りって、みんながイエーイってなれる最強のイベント。たとえば、ハロウィンの日の六本木とか渋谷って、世界で一番盛り上がってると思うんです。ワールドカップのときには僕、必ず渋谷駅前のスクランブル交差点に行くんですけど、サッカーなんかどうでもいいでしょって人が半分くらいいるんですよ。で、とりあえず全員ハイタッチ! 中身よりも、みんなで同じ場所に行ったり、何かやることのほうが重要というか。人の力の真髄はそこにあるんですよ。束の力です。外から見える内容は、本当のところはそこまで重要ではない気がするんです。
六本木のハロウィンパレード
いくらいろんな力を使って人を集めたとしたとしても、そのパワーには勝てないし、そもそもやっている人たち自体が盛り上がっていないとダメ。隅田川の花火大会なんかもいい例ですよね。老若男女全員が、花火が上がった瞬間、「すげえー」ってみんな同じことを考えちゃうなんて、ステキじゃないですか。大きな力が生まれるのって、意識が一点に向かう瞬間。それって、たぶんカルチャーとか、文化っていうものだと思うんです。
取材を終えて......
今回のメイン写真の撮影は、東京ミッドタウン・ガレリア館内のガーデンテラスで、できたばかりの、六本木アートナイト2015のポスターとともに。うしろに竹の生えたこのスペース、アートナイトの日には「六本木未来かるた大会」が開催されます。そちらもぜひどうぞ。(edit_kentaro inoue)