アジアのデザインやアート関係者が集うセッション型の巨大イベントを開催する。
思想家や評論家との交流の広さでも知られ、時には自らトークイベントを企画する藤村龍至さん。2009年からは、毎夏ギャラリー「hiromiyoshii roppongi」で行われる建築展のキュレーターも務める。建築家として関心のあることは、ずばり、都市。まずは東京という都市の特徴から読み解きます。
かつて原宿や渋谷が「若者の街」と呼ばれ、中高生がたくさん集まる街だったように、1990年代の頭までは、あるテーマを持った街が東京にいくつもありました。それが90年代半ばに変化し、「地元の駅前には集まるけれど、渋谷や原宿には行かない」という人が増えていった。社会学者の宮台真司さんはそれを「まったり革命」と言いましたが、ちょうどインターネットが出てきて、携帯電話も普及しはじめた頃。共通の趣味や興味の対象をもつ人たちは連絡を取り合いつつ、地元でまったり、「このテーマの人たちはこの街に集まる」と言えなくなった。つまり、「街」と「人々の活動」との関係が見えにくくなったんですね。それが東京をはじめ、現代都市の特徴のひとつだと思います。
街の代わりに「同じテーマで人々が集う場所」として力をもち始めているのが「巨大イベント」です。ビックサイトでのコミケ(コミックマーケット)や幕張メッセでの音楽イベントなども巨大化し、10万人、20万人という規模で人が集まる。そこで思うのですが、六本木に人を集めるなら、そのような「テーマ型の巨大イベント」を仕掛けることが一番のきっかけになるのではないでしょうか。
六本木のイベントといえば、DESIGNTIDE TOKYOやデザイナーズウィークが既に毎年行われていて、街のイメージのひとつにはなっていると思うのですが、加えて今後、実現したら面白いと思うのは、グローバルな競争のなかで日本との関係が重視されそうなアジアのデザインやアートの関係者が集まるイベントです。「アジアの同世代のつながりをつくる」ことは個人的にも今後積極的に行っていきたいことのひとつで、昨年の秋には、韓国の同世代の建築家との展覧会「同じ家、違う家」展に参加しました。
DESIGNTIDE TOKYO
同じ家、違う家
韓国は1997年のアジア通貨危機と、2008年の韓国通貨危機という2度の経済危機があり、経済一辺倒から環境主義へ、そしてコミュニティ主義へと社会のモードが変化してきました。日本も1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災というクライシスを乗り越え、少しずつ社会のモードが変わってきている。その状況を含め世代的に共通するところも多く、ディスカッションをしてみると、とても面白い。
アジアの若い建築家たちは地道な動きをしていて、ぱっと見ただけでは、何をやっているのか分からない人も多い。でも、実際に会って話しをしてみると、これから縮小していく社会の中でデザイナーとして何をしていくのか、いろんなレベルでの実験をしている。「コミュニティの再生」や「公共空間の再構成」といった真面目なテーマは伝わりにくいところもありますが、だからこそ、同じ場に集まり、対話を重ね、ひとつひとつの試みを丁寧にピックアップしていくようなイベントが六本木でできたら、いいですよね。
特に、デザインやアートの中でも「建築デザイン」は日本がリードしている分野でもあるので、建築デザインが核になってアジアのデザインやアート関係者の交流を活性化していけたら、と思っています。
アジア諸国との交流イベントで重要になってくるのは、今の「日本」の、あるいは「東京」のデザイナーとしてのアイデンティティをどう表現できるか。
いわゆる20世紀型の作家の在り方は、「個人」や「オリジナリティ」を分かりやすく主張するものでした。でも、日本の近代以前の作家の在り方は、もう少しアノニマスなものだったと思うんです。個人がどんどん消えていくけれど、その人の存在感は残る、というような、ある意味、透明な作家の在り方があったと思います。そういったアノニマスなものの作り方がいま、コンピュータや都市の在り方とセットになって再び浮かび上がってきていると感じています。
「人々の生活の中にある秩序をデザインと呼びなさい」とデザイナーの柳宗理は言っていたわけですが、日本にはそういう思想的な伝統があると思いますし、日本の風景はジェネリックだと批判的に言われますが、それは逆に日本人が大事にしている部分なんじゃないか、という見直し方もある。一歩引いたところで全体として浮かび上がってくる個性。そんな都市像もあるのではないでしょうか。
今回の提案である「巨大イベント」の大事なポイントがもうひとつ。それは、セッション型やインタラクティブ型であること。単独の講演会や一方向からの発信では、先ほどの「日本のアノニマスな個性」も見極めにくいと思います。
セッション型で盛り上がっているイベントとしては、「ニコニコ超会議」がありますよね。ブースが無数にあって、そこでいろんなワークショップが行われていたり、集団で踊っている人たちがいたりする。あれはセッション型じゃないとできないもので、ただ展示をしているだけじゃ分からない、リアルな熱気や関係性の面白さがある。デザインやアートの人たちにはあまり馴染みがないかもしれませんが、「ニコニコ超会議」みたいなものが、これからのイベントのヒントになると思います。
ニコニコ超会議
仕事を通じていま最も関心のあることは「都市」です。特に、社会のモードが変わっていく中で「今後の都市はどのように経営されていくべきか」ということに関心があります。
日本の都市は、東京都心3区(港区、千代田区、中央区)とそれ以外に分けて考えられると思うのですが、東京都心3区の中にある六本木は、グローバルな社会とのネットワークで動いている街であり、世界の他の都市との競争にいかに打ち勝っていくか、いかにして東京らしい都市像を打ち出していくかが課題のひとつだと思います。
都心3区以外については、超高齢化社会において、コミュニティをどう再生していくのか、という課題がある。ふたつの課題はどちらが大事ということではなく、両輪、セットだと思うんですね。個人的には東京郊外の開発風景の中で育ったので、自分のルーツでもある郊外都市の再生に力を入れていきたい。
六本木夜楽会(ろくほんもくよらくえ)
東京は80年代に一気に外に広がり、ニュータウンがどんどんつくられました。それがいま高齢化・縮小化し、ニュータウンも「限界集落」と言われるようになってきてしまっている。それを悲観するだけではなくて、どう再生していくのかを提案することが私たちの役割だと思っています。
具体的には今後50年の財政という視点で公共施設の再編成をどう行っていくか。自治体のコストカットと同時に新しいコミュニティのビジョンを打ち出していくために、市民を巻き込みながらひとつの建物をつくる、ということに取り組んでいます。
先日、千葉県佐倉市にある「ユーカリが丘」を見に行ったのですが、そこはとても面白くて、1979年の分譲開始から毎年、200戸ずつしか供給しない、というルールでやってきた。バブルのときも年間200戸。それを30年以上続け、いま6600戸ほどあります。
ニュータウンは普通、一気に供給し一気に高齢化するのですが、「ユーカリが丘」はその段階的な供給によって街が維持されていて、住戸の販売価格は今でも5千万円くらいするんです。他のニュータウンなんて、中古が5百万円で出ても売れないのに。その5千万と5百万の違いは、都市経営の違いです。
経営がうまくいった都市は生き生きしているし、経営に失敗すると街自体が失敗してしまう。それは全国の自治体に言えることで、一歩間違えると財政破綻をした北海道の夕張市のような厳しい状況になってしまう。これからは各地自体、各都市の経営力がより問われていく時代になると思います。
都市経営のポイントは、建築なんです。財政というとソフトのイメージがあるかもしれませんが、インフラをどのように計画していくかが重要です。コンクリートは60年で耐用年数を迎えます。建てたものは、必ず朽ちる。政策上は防災や福祉などいろいろとあると思うのですが、結局、すべてインフラに関わってきます。そこへの投資をどのタイミングで行うか。60年代、70年代につくったインフラに対して、日本はこれからさまざまな取り組みが必要で、建築家の役割もより大きくなると感じています。
私が好きな街はニューヨークなのですが、ニューヨークは80年代に地下鉄が止まったり橋が閉鎖されたりとインフラの老朽化で没落。その後、新しい地下鉄を走らせたりと整備を重ね、復活を遂げています。そのストーリーは、これからの日本の都市の参考になるのではないでしょうか。
G-tokyo
Yayoi Kusama
取材を終えて......
ひょうひょうとした雰囲気で現れ、淡々とインタビューに応じてくれた藤村さん。ロジカルに構築的に、それでいて熱い想いをたくさん語ってくださりました。今回撮影場所で使わせて頂いたのは、藤村さんが毎年展覧会を行うギャラリー〈hiromiyoshii roppongi〉です。「海外のギャラリーみたい」とフォトグラファー平野太呂さんが話していました。(edit_rhino)