小さな仕掛け、小さな都市計画で街との接点をつくる。
住宅や店舗の内装設計に留まらず、プロダクトデザインや舞台美術の設計への参加など、多岐に渡る分野で「建築的な思考」をベースに活躍するトラフ建築設計事務所の鈴野浩一さん(左)と禿真哉さん(右)。繊細で真面目な印象を受けるこのふたりの中には、その印象を心地よく裏切る大胆かつ柔軟な発想と、ユニークなアイディア、そして本質を切り取る鋭い視点が内在しています。街づくりの専門家でもある建築家のふたりは、六本木にどんな一手を打つのか。まずはその思考の秘密を探るべく、2011年「Tokyo Midtown DESIGN TOUCH」での作品「ガリバーテーブル」の話題から。
鈴野昨年秋に開催された「Tokyo Midtown DESIGN TOUCH」で、僕らは東京ミッドタウン(以下「ミッドタウン」)の芝生広場に「ガリバーテーブル」という長さ50メートルの巨大なテーブルをつくりました。断面で書くと真っ直ぐの線なんですけど、敷地が傾斜しているので、テーブルの足の長さは1本1本すべて異なり、あるところでは天板が床に、あるところでは屋根にもなるというちょっと変わった構造体です。
Tokyo Midtown DESIGN TOUCH
ガリバーテーブル
こんなに高密度な都市の中に、芝生広場という、あまり目的を持たない場所がポツンとある。その「余白」のような在り方がとても魅力的だと思ったので、いろんな人が広場にもっと積極的に関わる「ちょっとしたきっかけ」を与えたいと思ったんです。
禿お弁当買って外に出て食べようとか、土日は皆でワイン飲んじゃおうとか巨大なテーブルがあるだけで、芝生広場で過ごす気になるし、腰掛けて休んでいるおじいさんがいたり、小さい子供がテーブルを遊具のようにして遊んでいたり。決まりごとに縛られず、思い思いの過ごし方ができる場所って実はとても貴重で、いろんな人があまり目的を持たずに「街とつながれる場所」がもっとあるといいと思うんです。
そしてこの「ガリバーテーブル」、実は別の場所で展開しても面白いかもしれない、と思っているんですけど、斜面の芝生広場に水平のテーブルを置いたことで、敷地の高低差がはっきりと分かる、「地形に気づかせる装置」にもなった。役割としては、ほとんど定規みたいなものですね。一定のルールや規則をもったものを持ち込むことで、対象となるものの特徴に気づく。六本木って土地の起伏が多い街で、「ガリバーテーブル」のような構造体を街の公道でポンとやれたら、普段は意識していないこの街の姿が現れて面白いんじゃないかな。
鈴野何かに気づかせる計測器みたいな存在が面白いよね。とても少ない操作で新たな視点を与えられるもの、もともとあるものを引き立たせることができるもの。六本木にはいろんな建物が建っていますが、もとはどんな地形だったのか、思い起こさせるような仕組みがあってもいいかもしれません。
禿今年5月に『トラフの小さな都市計画』という絵本を出しました。そこで僕たちが考えたのも、わりと小さな手続きで、何かと何かの関係を更新するような仕掛けを街に点在させていくことでした。「ガリバーテーブル」はテーブルとしては大きいですけど、でも、街区や道路の計画といった大きな都市計画に比べれば、街に対して本当に小さな、「些細な一手」だと思うんです。小さな装置をそっと置く、ぐらいな、小さな都市計画。でもそれが、人と街との関わり方を大きく変えていく。
鈴野神保町にある南洋堂という建築専門書店の外壁に、棚をつくりました。既存の建物の溝に着脱可能な板を挟み、そこに本を立てかけたんです。そうしたら、道行く人にとって「誰かが所有している建物の閉鎖的な壁」でしかなかったものが、「みんなの壁」みたいに共有化され、街路全体がライブラリーのようになった。
ベランダやテラスの手すりにひっかけるだけの「スカイデッキ」も、もともとあるものを使いながら「わりと小さな手続きで、何かと何かの関係を更新する」仕掛けのひとつです。テーブルを置くスペースもないような日本の狭いテラスでも、「スカイデッキ」を手すりにはめるだけで、場所も使い方も外に向かって拡張していく。
街って、自分との接点が多い方が楽しい。目的地から目的地へ、ただ通り過ぎるだけではなく、立ち止まって本を手にとったり、ちょっと街にハミ出したような場所でお茶を飲んだり、街との間に接点があることで、都市としての面白さが滲み出てくるような仕掛けがもっとあるといいですよね。
鈴野「視点」にもとても関心があって、今日ミッドタウンに伺って改めて思ったんですけど、街を俯瞰して見るような上からの視点って、やっぱり面白いですね。ここ(ミッドタウン・タワー5階のデザインハブ、会議室)から見ると、芝生広場の奥に、檜町公園の和風庭園が広がっていることもよく分かる。こんなに緑があるなんて、下からは想像できないですよね。上からの視点といっても、高ければいいというものでもなくて、あんまり高いとミニチュアになり過ぎちゃってリアリティがない。この高さだから分かること、見えることも多い気がします。
港区立檜町公園の和風庭園
禿ネーミングだけでも変わると思います。俯瞰的な視点を得る仕掛けなら、例えば、5階にあるこの会議室を「展望台」って呼んじゃう。部屋の名前が「ミッドタウン展望台」だったら、あら、ミッドタウンの展望台に行こうかしら、みたいなことになって、来たらこの高さだけど、ちょっと面白いわね、と。新たに展望台を作らなくても、見晴らしが良くて開いている部屋に来てもらう仕掛けがあればいい。
鈴野街を変えていくといっても、建築をスクラップ&ビルドしていくんじゃなくて、見る人の視点を変える、ということから考えると、今すぐにでもやれることは沢山あると思います。
僕は学生の頃、東京の建築マップをリュックサックに入れて街を歩いたら、急に建築が楽しくなった時期があるんです。名建築と言われるような建物じゃなくても名前があって、どういう意図で作られたのかを考えたり、建物を見に行くことをきっかけに、街の裏まで入り込んだり、今まで行ったことのない場所を体験できることが楽しかったし、建築マップがあることで、街全体が建築ミュージアムみたいに見えたんです。同じように、植物に詳しい友人と街を歩くと、街全体が植物園のようにも感じられるし、専門的な視点を少しでも体験できると、世界の見え方はより豊かになりますよね。
禿大切なのは、切り口。コンテンツは十分あるんです。六本木なんて特に、足りないものなんてないくらいですよね。そこから何を拾い上げ、どう見るか。いま 街づくりに求められているのは編集力なんだと思います。
鈴野地図といえばもうひとつ、イギリス人デザイナー、ヴァハカン・マトシアンがロンドンを拠点に展開している「フルーツシティ」というソーシャルプロジェクトがあるんですけど、公共の公園や道路に実っている食べられるフルーツをマッピングし、そのフルーツの活用法や採るための道具なども提案していて面白いんです。ロンドンをフルーツシティと呼び、その地図を持って街に出るだけで、街がガラリと豊かに見える。
禿ミッドタウンオリジナルマップがあったら、もっとディープに六本木を楽しめるかもしれないですね。それこそ、植物でもいいしフルーツでもいいし、全然違う切り口を集めて、それぞれのスペシャリストに監修してもらう。僕らがもし建築マップをつくるなら、有名な建築だけに限らず、かつて赤瀬川原平さんたちがやっていた「トマソン」的な、もう使われていない無用の建物をアートとしてプロットしていくのも面白いかもしれません。
鈴野プロットしてつなげていくことの面白さは、ひとつのところで完結せずに、街全体でひとつの機能をシェアしていけることでもあって、六本木にはABCやあおい書店など、いくつも本屋がありますが、アート系はここ、文芸系はここ、雑誌ならここ、と、それぞれに特化した店がつながっていけると、六本木全体が本の街に見えてくるかもしれない。全部自分のところで完結しようという考え方はもうオーバーしていて、大型施設に全部が入っているというより、特徴のある小さな拠点ともつながって、街全体をみんながシェアしていけるほうがいい。
禿僕らが設計した「ランピット」という施設があるのですが、そこは、皇居の周りを走る人のためのシャワーや着替えをするための施設で、その施設だけでは完結していなくて、街全体をシェアするための拠点というか、「ランピット」があることで、街がランニングコースに見えてくるような場所なんですね。毎日新聞社が入っているパレスサイドビルの一角。本当に小さな「点」なんですけど、街をシェアするための、外と中をつなぐための拠点をつくるのもひとつの方法なのかもしれません。
ランピット
禿そういえば、いま思い出したんですけど、僕、大学の学部の卒業設計は、六本木を敷地にした立体公園の設計でした。なぜ六本木を選んだかというと、もともと出身は島根県の松江なので、いろんなものが渾然一体となっている六本木という都市にすごく刺激を感じたからだと思います。
鈴野知らなかった! 六本木のどこ?
禿芋洗坂。三角州のようなY字に分かれるあたりの一帯に、公園と名付けたスカスカの構造体を建てるという...... 平面的に変な形の土地だったり、開発に取り残されたような場所だったり、裏っぽいところを探して歩いた記憶がありますね。坂倉建築研究所にアルバイトに来ていたこともあって、いまの場所で言うと「21_21 DESIGN SIGHT」のちょうど裏手あたりなのですが、木が鬱蒼と茂る森のような場所で、いい環境があるなと思ったのを覚えています。
鈴野坂倉建築研究所の近くには建築家の磯崎新さんの事務所もあって、僕も学生のときに憧れて外から眺めに来たこと、あったなあ。最近では三保谷硝子さんとか、施工会社のイシマルさんとの打ち合わせで六本木に来ることが多いですね。三保谷硝子の1階は普通の街のガラス屋さんみたいになっているんですけど、2階には様々なガラスのサンプルが驚くほど沢山あり、3階にはデザイナーの倉俣史朗さんと作った作品が並んでいて、まるでギャラリーみたいになっているんです。
禿一般の人は入れないし、仕事で行っても簡単には見せないよっていう雰囲気が漂っていて、はじめて見たときは驚きました。六本木通りに面した繁華街からもほど近い場所に100年続くガラス屋さんがある。それも六本木の一面ですよね。
鈴野トラフとして建築から指輪みたいな小さなプロダクトまでを手掛けてきて、最近、そのひとつひとつが繋がり、自分たちの中でより深くなっていく感覚があります。作るものが小さくても大きくても、建築的な視点を通して考えることに変わりはなくて、デザインを考えるときにはいつも、敷地を見つけるところから始まります。
敷地っていうのは建築の最も大きな要素でもあって、敷地があってこそ成り立つというか、敷地とその周辺環境が分かれば、そこにどういう光が入ってきて風がどう流れるか、それを受けて何を考えていけばいいかがおのずと分かってくることが多いんですね。プロダクトなどもともと敷地のないプロジェクトでも建築的に考えていくには、まず敷地を想定して、与えられた条件に問いを立て、その問いに解答を与えていきます。
問いがないと、何のためにデザインしているか、わからなくなっていってしまう。これだけ物がある時代に生きていて、もう建物も物も作らないで過去を発掘していこうという人たちもいっぱいいる。僕らはその中で、何かを作っていくことで社会とつながっていきたいと思っているので、問いをどう立てるかをとても重要に考えています。
禿作らないという選択肢もあるという前提で臨むというか、それでも作る、ということに対して意識的に向き合っていかないといけない。その意味でも、既にあるものを引き立たせたり、新たなものが加わることでさらに良くなったり、リノベーション的な発想が大事だなと思っています。環境を全否定するのではなく、いまの環境がより良く見えるようなものを作っていけるかどうか。先ほどの「街との接点をつくる」という話も、僕らの小さな都市計画も、全部ポイントはそこにあると思います。
風鈴彩祭
取材を終えて......
カメラマン平野太呂さん愛用のカメラ「PENTAX 67」を見て、国会議事堂みたいですね、と真顔で話していた鈴野さんと禿さん。カメラの造形を建築物に例えるユニークな視点が、実にトラフさんらしいな、と感じました。(edit_rhino)