農林水産省のロゴデザインからNTTドコモiD、アディダス、宇多田ヒカル「SINGLE COLLECTION Vol.2」まで、話題の仕事を数多く手掛け、クリエイティブディレクターとしても活躍する水野学さん。〈東京ミッドタウン〉のキャンペーンポスターも手掛けており、風が心地よく抜けるこの庭は、水野さんのお気に入りの場所のひとつ。初夏のような5月のある日、その庭からデザインとアートの街、六本木の未来を改めて見つめてもらいました。
外国人でごった返し、昼夜を問わずにぎやかな街、六本木。現在の繁華街としての六本木のイメージは、日本に初めてピザを紹介した店として知られる「ニコラス・ピザ」(1954年創業)が発端とも言われています。街の姿は、コロコロと変化しているように見えているかもしれませんが、「ニコラス・ピザ」をきっかけに、さまざまな外国人が集まるようになり、戦後から60年近い時間をかけて、ようやく六本木は現在のような姿になったのです。
茅ヶ崎育ちの僕は、若い頃どうも六本木の猥雑なイメージや流行に押し流されている様子が好きになれず、六本木に足を運ぶことはあまりありませんでした。でも最近では、映画を観にきたり、本屋をのぞいたり、また子どもをつれて公園で休日を過ごすなど、六本木をときおり訪れるようになっています。
「社交の場所」と「人が集まる場所」。この二つの言葉は似ているかもしれませんが、少し意味が異なります。社交の場は、何かしらのイベントのもと、お酒を飲みながらワイワイしている印象。一方で、人が集まる場所というのは、特に目的がなくとも、太陽に光に誘われて集う様子でしょうか。以前の六本木には「社交」という意識しかなかったような気がします。この街に来るには、何かしら理由が必要だったんです。
今では、映画や美術館などのカルチャー&エンターテインメントがあることはもちろん、東京ミッドタウンのように、芝生や緑に囲まれた明るく気持ちの良い空間があったり、便利で生活を豊かにするものがたくさん見られるようになり、「人が集まる場所」としての魅力も生まれていると思います。
ルドルフ・ジュリアーニ元市長による旗振りの下、ニューヨークは犯罪撲滅と大規模な再開発により、都心部の安全性と風紀を一新、都市としてのイメージを大きく変えました。今では居心地の良い場所に人が集まり、またその人たちがほかの人を呼び寄せています。僕の育った茅ヶ崎が魅力的なのも、そこにイベントがあるからではなく、海という気持ちのよい環境があるからだと思います。
六本木も大規模な開発が行われ、六本木ヒルズ、国立新美術館、そして東京ミッドタウンが登場したことによって、街の雰囲気が一新。人々が六本木にやってくる理由も大きく変革したのではないでしょうか。
僕はデザイナーとして、広告やポスターをつくることをきっかけに東京ミッドタウンと関わりを持ち始めました。けれど、こうした広告制作活動というのは、非常に短い期間でその役割を終えてしまうものがほとんどです。
都市を大きく開発し、発展させようとしている東京ミッドタウンにとって、短期のプロジェクトだけで本質的な目的を達成し、簡単に物事が解決できるとは思っていません。そのため、もっと俯瞰した視点から、クライアントとも深い議論をしながら仕事を進めてきました。しかし、どれほど厳密に設計図を引いても、すべての物事がうまくいくというわけではありません。設計したものを、現場でどのように時と場合に適応させ、そこで成長させていくかということを忘れてはいけないと感じています。
大切なのは、このように「デザインやデザインそのものが人を豊かにする」ということをきちんと理解しなければいけないということです。誰がデザインしたものなのか、どのブランドなのか......などということは、どうでもいいことなのです。たとえば、デザインとは何の関係性ももたない僕の母親が見て「素敵」だと思うようなものでなければ......。
残念なことに今はまだ、アートやデザインが相変わらず"神棚の上に乗った"ような状況のままの気がします。芸術が分かっている人は素敵な人で、それが分からない人はかわいそう......などという感じに。(笑)
かたちが美しいということはもちろん大切ですが、それ以上にアートやデザインの行為が人を豊かにするためにあるのだということをきちんと説明する必要があると思います。デザイナー自身もそのために努力して、必死に動かなければなりません。
僕自身は、デザイナーとして新しいトライアルをするために、グッドデザインカンパニーとは別に、「THE株式会社」という名前の会社をつくりました。 現代は高いものから安いもの、ハイスペックなものからローテクなもの、かっこいいものから無骨なものまで、ありとあらゆるもので溢れ返っています。もはや本当に何が必要なのか、消費者も作る側も分からなくなっているのではないでしょうか?
リーバイス501のような「THEジーパン」と呼べるものを、これさえあれば良いというものをほかのプロダクトでも探し出す。過去の商品を検証し、ふるいにかけ、その中から分析した結果、デザインを整理し「THE~」と呼べるものをベストプロダクトとして生み出そうとしています。
僕自身がデザイナーとして少しでも社会に貢献するためには、自らの力で本質を見いだし、世の中に発信していく必要があると考えているのです。
「六本木をデザイン&アートの街にしたい」という構想を現実のものにするならば、建築や都市計画でハードを整えつつ、意識というソフトを育む必要があります。これは単に、街中に彫刻や絵画を飾り、常にうっすらとそれが感じられるようにするということではありません。意識をつくるためには、そこに自然とデザイナーやアーティスト、また、美術関係者が日々集まってこなければなりません。
たとえば、展覧会やシンポジウムを、毎日、毎週やっていくなかで、彼らが足しげく通う状況が必然的に生まれるということも考えられるでしょう。また、Tokyo Midtown Award デザインコンペの受賞作の商品化を、この土地に関係する企業のなかで計画し、実売へとつなげる。その利益を再びアワードに還元していくということも可能かもしれません。このように、三井不動産や東京ミッドタウンが舵を取りながら動かしていく、具体的なビジネスモデルの創出が重要だと思います。
また、そこには自走するシステムを構築することも重要です。単に提案するだけでなく、呼び込んだ人々や企業が、その場で自立し、成長を遂げられる仕組み。もしアートとデザインのことを中心に考えるのであれば、美術大学そのものをこの場所に呼び込んでもいいでしょう。現在でも、東京ミッドタウン・デザインハブのなかに関連施設はありますが、そうではなく、実際の大学のシステム、たとえば授業をこの敷地内で開催してしまうのです。
場所を変えることで、外部企業にも協力者として参画してもらえるかもしれません。また、学生のみならず、一般聴講者にも解放することで、さらに副次的な有効性が生まれるかもしれません。
こうしたプロジェクトにはかなりの手間と時間がかかる可能性があります。でも、結果がすぐにでないからと諦めず、次の代につづけていくためにも、提案し続け、虎視眈々とチャンスを狙ってほしいと思います。
僕はすべてにおいて「大義を持つこと」が重要だと考えます。日頃の仕事で感じるのですが、自身の目標がはっきりしている経営者でも、きちんとした言語化や可視化がされていないために、社員が共有できるようなステイトメントのようなものをもっていないことがあります。
意識があったとしても、それを明確に言語化できていなければ、結果は導かれません。六本木をデザインとアートの街にしたいのであれば、「なぜつくりたいのか」「誰がどのようにつくりたいと言っているのか」という骨組みを明確にしなければ、大きな枠で物事は動かせないと思います。
ブラックボックスのなかに入ったアートやデザインが高尚のものでありつづける時代はそう長くは続きません。今こそそのブラックボックスの扉を開け、具体的なビジネスモデルをつくることで、アートやデザインの有効性を再認識するときだと感じています。
取材を終えて......
「芝生で撮るなら、靴を脱がなきゃ」と自ら靴を脱いで、撮影に協力してくださった水野さん。「街中に彫刻や絵画を飾るだけではなく、具体的なビジネスモデルの創出が重要」と、水野さんらしい、先の先を見越したアイデアが印象的でした。(edit_rhino)