色とりどりの市松柄に街が染まる「六本木チェッカーデイ」。
「MUJI to GO」や資生堂の「LINK OF LIFE」のディレクターを務めるかたわら、大学でも教鞭をとる藤原大さん。六本木未来会議には、2014年に行われた「カラーハンティング展 色からはじめるデザイン」特別ギャラリーツアー以来の登場となります。ファッション、色を通して語られる六本木、そして未来のものづくりとは?
僕は日頃、コーポレート、アカデミック、リージョナルという3つを軸に活動をしています。コーポレートというのは法人に関わる仕事で、たとえば「MUJI to GO」のディレクターなど。多摩美で教えるとか教育に関わるのがアカデミックで、六本木未来会議と同じように街や地域にまつわるあれこれがリージョナル。
中でも、ここ5年くらいは、アカデミックとリージョナルを丁寧にやってきたつもりです。たとえば、自分の事務所を設立した2012年からは、湘南地区で「国際観光デザインフォーラム」というプロジェクトを立ち上げました。そこでは、地産地消を目指して「かまくらやさい」をテーマにした発表会をしたり、JR鎌倉駅の地下道で学生と共に街につながるための展示をしたり。江ノ電さんと商店街をつなげる企画も進んでいます。
この間、鎌倉の鶴岡八幡宮の参道「段葛(だんかずら)」のお祝い行事があり、竹と和紙を使った旗を奉納させていただきました。鎌倉時代のものづくりみたいなこともやりたくて、みなさんと一緒に取り組める企画をコツコツと進めています。
他にも、資生堂さんと一緒に「LINK OF LIFE」というプロジェクトに取り組んでいて、2015年には展覧会も開催しました。名前のとおり、つながることがテーマなので、科学者や研究者、デザイナーにアーティストから、商店街の人まで。もちろん今年もやりますよ。時期はちょうどデザインウィークが開催されている10月、銀座は六本木からもすぐですし、未来会議とも何か一緒にできたらいいですね。
LINK OF LIFE
というのも、僕にとって六本木は知らない街じゃない......いや、ある意味で育ててくれた街といってもいいくらい。地元は湘南ですが、高校から大学時代にかけてはバイトをしていて、毎日終電で通っていた思い出の場所なんです。かわいがってくれるお店がいくつかあったし、お金をもらって人に会って話が聞けるのが面白くて、いろんな場所に出入りしていました。
正直なぜ六本木だったのかはよくわからないんですが、バイトをしながら、とにかくその場の空気を吸いに行くのが楽しかった。この街にはたぶん動物的に惹かれる磁場があって、そういうところに寄っていっちゃうタイプだったのかもしれません(笑)。
仕事をするようになってからも、21_21 DESIGN SIGHTで「カラーハンティング展 色からはじめるデザイン」をやらせてもらったし、この間は国立新美術館の「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」展にも、もちろん足を運びました。余談ですが、あの展覧会はMIYAKE ISSEYのチームクリエイションの魅力が随所に出ているし、一生さんのこれまでの仕事をまとめて見られる。本当にかっこよかったですよ。
MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事
かつて六本木には、ハイテクノロジーで空間も魅力的な、面白い人が集まる場所がたくさんありました。先端のものを見たり聞いたり語ったり、街の中でコミュニケーションを育んで、みんながつながっていく街だったんでしょう。
もともと外国人が多くてインターナショナルな要素が強くて、そういう人がフリーで集まる場所は当時は夜型がほとんど。中でも夜の六本木は、カルチャーに強く関係していました。いわゆるお酒とか飲みだけじゃない、食べたり飲んだり話したりダンスしたりフィジカルっていうところから派生した文化がつくられていった。そういう意味では、後押しをしてくれるし吸収力もあるというか、読解力があるというか、新しいものを噛み砕いて発信する必要性を理解してくれる街なのかなと思います。今は美術館が多くある。美術館は夜型ではないけれども同じ機能性がありますね。ようやく昼夜つながってきたんでしょうね。
ロンドンにしてもパリにしても、大人がわがままに楽しく過ごせるのは、やっぱり外の文化を受け入れて、それを柔軟に落とし込んでいくことができる街。今、多様性を受け入れようとして問題になって複雑な動きもあるね。
少し残念なのは、そこでつくられたコンテンツは結局、スペースや機能的な問題もあって、渋谷とか新宿へと移ってしまったこと。六本木の夜に「なるほど、へえーっ」といって蓄積されたものは、違う地域で発展していったんです。また当時、街が生み出していたコミュニケーションやつながりといったものは、ネットにその機能を奪われていきました。でも今の時代また、ぼんやりみんなと話す、誰かとつながる場所が街や空間にハマりはじめているとも感じて。
東京を見ていると、人間の体みたいだなと思うことがあるんです。あそこの街は心臓、あそこの街は肝臓、あそこの街はすい臓、臓器が集まって体が成り立っているように、銀座には銀座の、六本木には六本木の機能がある。だから、心臓も肝臓もすい臓も、全部ひとつの街でやろうなんて考えないほうがいい。そうやって整理していくことで、六本木が外からどう見られているのかもわかるし、立ち位置も明確になっていくはず。餅は餅屋というふうに割り切って考えられるのってカッコいいと思います。
六本木を色にたとえてみると、ブロック調にいろんな色が混ざっているイメージ。そういうと、人は先入観で12色がバーンとあるような状態を思い浮かべるかもしれないけど、原色じゃないですね。それぞれトーンが違っていて、いろんな色でつくられたモザイクのイメージ。もちろん昔に比べれば、だいぶごちゃごちゃした感じは少なくなってしまいましたが、まだまだいろんな色があって面白い。
そこで、ファッションで街を変えるアイデアとして、街の人みんなが、いろんな色のチェックを身につける日をつくるっていうのはどうでしょう? 緑の服を着て、緑のものを食べるキリスト教のお祭り「セントパトリックデー」のように、六本木の人はもちろん、外から来る人にもチェックを身につけてもらったり、あるいは買ってもらったり。ストールとか帽子とかハンカチとか手軽なものでもいいし、缶バッヂとかワンポイントでもいいですね。街で配られているポケットティッシュの紙をチェック柄にするとか、ウインドウにもシートを貼ってあげるとか。
市松模様が一番きれいだと思いますが、テキスタイルにすると格子はコストが高くなりすぎてしまうので、ボーダーとかストライプ柄のほうがやりやすいかもしれません。そういうことをあまり気にしないんだったらプリントでもいいし、むしろ布にしないで紙にしちゃうとか。紙はいいですよ、かばんとか服とか全部つくれる時代になってきましたから。素材や模様はともかく、大事なのはストーリー。そこに「なるほど、じゃあ行ってみるか!」と思わせるようなものを、みんなで考えるのはどうかな。
素材をつくって、それが最後使われるところまでのプロセスに関わっていくというのが、僕のもともとのスタンス。デジタルテクノロジーを使って服をつくる「A-POC」もそうですが、これからもサイエンスとデザインが含まれたアプローチというのは変わりません。IoT(モノのインターネット)もだいぶ進化してきているので、現在は、繊維を使って素早くプロダクトをつくる、消費のことまで考えたものづくりに取り組んでいます。
A-POC
これからはだんだんモノを消費しない社会になるなんていわれていますが、僕はけっしてそんなことはないと思うんです。ちょうど今は、直接モノを買って消費する人としない人が分かれる過渡期にあって、もちろん徐々に前者が増えてはいくでしょう。だって、モノがないほうが気楽だし、管理しやすくて便利だし。たとえば、パーティをするにしてもケータリングを頼めばいいし、部屋は何もないほうがかっこいいですよね。
むしろ、経済的に自立している人のほうがモノを買わなくなる。その代わり、何らかのサービスを買います。最終的にサービスにつながらないとモノが売れない時代ですが、「ものづくりはサービスづくり」と考えていけば、デザインを通じてものづくりをしている僕も寂しい思いをしなくていい(笑)。
ものづくりの未来はどうなるか、ですか? それはむしろ僕のほうが教えてほしい(笑)。ただ、「掃除やゴミ集めから新たな価値をつくる」ことを考えていくべきだとは思います。僕自身、ゴミ出の分別は上手にできないけれど、消費がモノからサービスに変わって、「コト」を消費するのが中心になると、モノを捨てる意識が薄くなってしまうような気がするから。
ちょっと脱線しちゃうんだけれど、最近、ぬか漬けなんてしないでしょう? キュウリを買ってきて、きれいに洗って、毎日ぬか床を混ぜる、あれ手が臭くなるんだよね。でも、実際にやっていない人は価値の捉え方が一定になってしまって、それがわからない。当たり前の話なんだけど、これがモノではなくサービスを消費しているという状態。
実際、成分や物質のことまでわかっていないとモノってつくれないんですよ。デザインは物性を必要とするから、やっぱりモノに近いほうが新しい価値を生み出せるし、クリエイティブなことにチャレンジできる。飛躍しているようですけど、ゴミって、みんなとつながれる最終成果物でもあるから、生活の中でゴミに携わらなくなると、だんだんものづくりに対する奥行きがなくなってくるんじゃないかと感じます。
日本人には、もともと"つくるDNA"があるでしょう? 何百年前から受け継がれている「ミーム」といってもいいかもしれない。ちょうど300〜400年前の江戸時代には、綿とか染め物とかいろんなものの生産性が高くなって、人口も増えたので循環型のものづくりをしなくちゃいけなくなった。今の我々にはその頃のミームが残っているから、仮に日本がなくなったとしても、必ずまた何かをつくりはじめる。つまり、結局のところ未来のことを考えるには、まず今を考えてあげればいいんじゃないかな。
もう少しゴミについて話をすると、東京ミッドタウンにある街路樹の落ち葉にしても、管理を担当している方がきれいにしてくれますよね。でも、不動産屋的視点でいえばあれ、すごくコストがかかるんです。
「カラーハンティング展」で、街路樹などの木に名前と色を与える「ネーム・ザ・ツリー プロジェクト」という企画をやりましたが、それをするだけでも木が少し身近な存在になる。木は動かないから土地や家と同じように不動産ですよね。それなら街路樹にもちゃんと価値を与えて、まわりを掃除したら遺産相続のデータがもらえるとか(笑)。
カラーハンティング展 色からはじめるデザイン
こんな感じで、掃除に対する意識が自然に変わるような循環型のシステムがあるといいんでしょうね。誰かから言われたって、みんなやりませんから、そのつながりを設計してあげるのが大事。街の中で日常的につながれるのもいいし、旅行先でつながれるのもいい、六本木の場合なら、さっきのアイデアとくっつけてチェック柄を着て掃除をするストーリーをつくる、街の中から集めたゴミをリサイクルして「六本木ペーパー」として売り出してみるのもいいかもしれません。
未来の街の姿を考えると、そうですね......また色の話に戻ってしまうんですが、やっぱりタイルひとつでも黒い色じゃなくて明るい色を使ってほしい。高いんだけどね(笑)。照明を使わなくても街が明るく見えるし、明るいと犯罪も減るだろうし。中でも人の肌の色に近いようなベージュ、肌色って品があるから、街をきれいに見せてくれるんです。
ちなみに、街の色が最後に"落ちる"ところってどこだかわかります? それは道路とか歩道、つまり道なんですね。前にパリの道をカラーハンティングしたことがあるんだけど、明るい色の建物が多いんだよね。まわりの風景や空の大きさ、壁から反射した色が道に落ちて、アスファルトでも石畳でも街の色が出ていてとてもきれい。もちろん日本を見ても、銀座は間違いなく銀座の色をしているし、六本木は六本木の色をしている。せっかくだから、今日の撮影は道路にしましょうか。
取材を終えて......
「もうひとつくらい気づいたことを言えないかなあ......」と話しながら、アイデアを次々と出してくれた藤原さん。この日は、インタビュー前に六本木の街をロケハン。撮影は「あそこはきれいでしたよね」とおすすめしてくれた、東京ミッドタウン西交差点前でカラーハンティングをしながら。
(edit_kentaro inoue)