そこにあるものを使って、場所の魅力を最価値化。ナイアガラの滝、秘密の花園、トイレをマッピング。
3日間で30万人を動員した東京駅の「TOKYO HIKARI VISION」や、東京国立博物館の特別展「京都-洛中洛外図と障壁画の美」をはじめ、数々のプロジェクションマッピングショーを手がけてきたクリエイティブカンパニー「NAKED」。TV、映画、広告、MVなどジャンルを問わずに活動する、NAKED代表の村松亮太郎さんへのインタビューは、いつもとは少し違う展開でスタートしました。
いきなりですけど、逆質問してもいいですか? 六本木ってなんなんですかね? 以前クリエイターインタビューで、箭内道彦さんが「六本木って怖い気がする街」といって「ふるさとシール」のアイデアを出していましたけど、それもなんとなくわかるし、最近では、デザインとかアートを積極的に発信しようとしているイメージもある。「そもそも六本木ってどこからどこまでなの?」とか「東京ミッドタウンって住所は赤坂じゃないの?」とか、今日はいっぱい聞きたいことがあるなって(笑)。
ふるさとシール
夜のイメージ、そしてデザインやアートのイメージ、さらにヒルズ族のようなラグジュアリーなイメージも同居している。それが訪れる人にとって憧れになっているのか、それとも敷居になっているのか。とても気になっていたし、謎だったので知りたいんです。
僕自身、六本木は業界的というか「ムラ的」な匂いがする気がして、ちょっと苦手。何をしたらいいのかわからないから、基本はあんまり来ません。じゃあ、どんな街が好きかというと、たとえば会社がある代々木上原とか、海外ならベタだけどパリとか。居心地がよくて、いい感じの空気が漂っている街、「なんとなくのムード」としか言いようがない。
ある程度の洗練度はほしいとは思いつつ、全然かっこよくなくてもいいなと感じる街はあります。明大前の駅前のあたりとか、昔の吉祥寺とか、つくられた感じがしなくて、何も合わせなくていいような。反対に、苦手なのは下北沢。みんながブランディングされた"下北っぽさ"に一生懸命合わせている感じがして、しんどくなってしまう。
ちなみに、いわゆるリゾート地は大好き。リゾートって「クロスポイント」で、いるのはほとんどそこに住んでいる人じゃないでしょう。田舎のような濃いウェットな付き合いはできないけれど、たまたま出会った外国人とは気楽にしゃべれちゃう。そういう意味では六本木も、外から来ている人が多いはずなので、リゾート感はあると思うんですけど......。
もしかしたら、六本木という街のブランディングに、ある種の押しつけがましさを感じているのかもしれません。自分が発信する側だからというのもあると思いますが、どうしてもその"裏側"にあるものを考えてしまって、「こういう仕掛けなんだ」というのが見えると引いてしまう。って、最初からこんなネガティブな話ばっかりしちゃって、大丈夫ですか?
僕らがふだんつくっているのは「体験型イベント」と呼ばれるもので、体験ってまさに読んで字のごとく「体で経験する」こと。だから、押しつけがましいのは嫌なんです。「ここに体験があるよ」「ちょっと体験しにいこうよ」なんて言われたら、ちょっと微妙でしょう?
前に、新江ノ島水族館で「ナイトアクアリウム」というイベントをやったことがあります。水族館に入ると、まずウェルカムマッピングということで岩が動き出す。で、廊下を曲がると、今度は水槽の中から水があふれ出して波打ち際のように見える。「わあ波だ」って思うと、自然とバシャバシャやりたくなるじゃないですか? そうして歩いていくと、今度は夜光虫がわーっと寄ってくる。
ナイトアクアリウム
人の動きをセンサーで拾ってリアルタイムで映像を生成しているんですけど、これ全部、お客さんが歩く動線上にあるんです。すると、自然のリアクションになるので、サプライズがあるし、面白い「体験」になる。センサーを使った体験型のマッピングにありがちなのは、「ここに立ってください」「次に手をかざしてください」「はい、魚が寄ってきますよ」というもの。そりゃそうでしょ、みたいな(笑)。頭で解釈して、行動して、何かが起きる。それを、僕はまったく「体験」とは感じないし、ましてテクノロジー×アートとかいわれると興ざめしてしまうんです。
とはいえ、最初のとっかかりは「なんかいいな」でしかなくて、理屈はほとんどが後付けなんですけど(笑)。たとえば、東京タワーで開催中の「CITY LIGHT FANTASIA by NAKED」なら、東京タワーとか夜景って、みんな好きだよな、というところがスタート。でも「東京タワーいいですよね」って言うわりに、「最近、上った?」って聞くと「いや......」って。それもおかしなもんだな、と。日本橋の「NIHONBASHI ILLUMINATIONS collaborated with FLOWERS」も、「秘密の花園」がやりたい、都会でしか見られない新しい花のイベントをつくりたい、というところからはじまりました。
CITY LIGHT FANTASIA by NAKED
NIHONBASHI ILLUMINATIONS collaborated with FLOWERS
プロジェクションマッピングとかイルミネーションって、言ってみれば「錯視」みたいなものだと思うんです。「ちょっと見方を変えると、こんなふうにも見えるよね?」と提案したり、ふだんの夜景にちょっと違うものを掛け合わせることで「わあステキ」っていうきっかけをつくったり。
東京タワーも夜景も、東京の街も、もともと全部そこにあったものじゃないですか? それらを編集して「再価値化」する。だから、「プロジェクションマッピングがすばらしかった」と言われるより、「東京タワーが好き」とか「夜景がきれいだった」という感想をもらえたほうが、その場所の意味や魅力をちゃんと表現できたのかなと感じられて、うれしいですね。
イベントって結局、場所ありき、その「場」とのコラボレーションなんですね。東京駅や水族館、東京タワーといったリアルな場所が絶対に存在するわけで、東京駅で上映したものを、そのまま東村山市庁舎で流したところで意味が全然違ってしまう。そうすると「この場所の魅力ってなんなんだろう?」っていう問いと、向き合わざるをえないんです。
企画や構成を考えるときは、ジュースミキサーになったような感覚といえば、わかりやすいかもしれません。東京駅という場所だったり、建物だったり、まわりの雰囲気だったり、そのときの気分だったり、季節だったり。中にいろいろな食材を入れたら、こんなの出ましたみたいな感じ。その場所が嫌いなら嫌いで、どうやったらステキになるんだろう、というのことを考えますし。
僕、今まで好きになった女性のタイプがみんなバラバラ。重要なのは、その人の魅力がいい感じに出ているかどうか、それさえクリアしていればあとはなんでもという考え方で、それと少し似ているかもしれません(笑)。
また、自分のつくるものを「僕の作品がね......」とは絶対言わないんです。それは人が決めることであって、もしかしたらアート作品ととる人がいるかもしれないし、イベントととる人もいるかもしれない、中には商品ととる人だっているかもしれない。消費のされ方自体を委ねているんです。
もっといえば、自分たちがやっていることを、プロジェクションマッピングとかイルミネーションとも思っていません。わかりやすいので、そういうトレンドワードを使っているだけで、「CITY LIGHT FANTASIA」なら「新しい夜景体験」でしかないし、「FLOWERS」だって、あくまで根っ子は花を楽しむイベントなんです。映像とかセンサーに最先端の技術が使われているから「体験型イベント」だというのは安易な発想。それより、今まであった夜景とか花という世界を少し拡張できるかもしれない、って考えたほうが楽しいじゃないですか。
TOKYO HIKARI VISION
実際、プロジェクションマッピングって、技術的な側面が強いので、もともとプログラマーとかメディアアートの領域。僕は映像をやってきた人間なので、そこに映画的なカタルシスを入れて、十数分のショー形式にしてしまった。東京駅のマッピングがたまたま話題になったことで、日本ではこれが王道みたいになっちゃいましたけど、本当はむしろこっちのほうが亜流なんです。
その一方で、もっとちゃんとお金を取って、ホールで上演できるようなショーを突き詰めたいとも考えています。よく「シルク・ドゥ・ソレイユ」をたとえに出すんですが、誰もあれを観にいくときに「サーカスに行こう」とは言わないじゃないですか。ある種、別物にまで進化している。そういう新しいエンタテインメントの形をつくってみたい、という気持ちはいつも持っていますね。
前から六本木でやりたいと思っていたのは、ガラス張りのテレビ朝日本社をナイアガラの滝にすること。夏の夜、上からバーッと滝が落ちてきて、滝壺から水しぶきが上がって涼が取れる。あの形が、僕にはどうしてもナイアガラの滝に見えて(笑)。
テレビ朝日本社
東京ミッドタウンも、館内に竹が生えていたり芝生があったりするから、花のイベントはいいかもしれません。「東京のど真ん中にある秘密の花園」って、ちょっとそそるでしょう? ただ「イベントやってます」じゃなくて、館内のお店も参加して、東京で一番の花を楽しめるエリアになったら面白い。1月から3月まで秘密の花園をやって、4月からリアルな花の季節に移っていく、そんなストーリーも美しいですね。
ショー的なものじゃなくて、六本木交差点とか、ヒルズとミッドタウンをつなぐ間とか、街の中はもちろん、もっとパーソナルな空間に広げていく方向も当然あるでしょう。湘南にある「BREATH HOTEL」の窓のない部屋の中にプロジェクションマッピングで演出をしたことがありますが、たとえば、どこかのトイレの中とか茶室とかもいい。
BREATH HOTEL
ちょっと前は、イベントを企画するとき「切り口、切り口」って言ってましたけど、その発想はもう古くて、今は時代の「空気や気分」をとらえる能力のほうが重要。プロジェクションマッピングなら、「幻想的」とか「光」といったベタで情緒的なワードを、いかにすごいレベルに昇華させるか、といった勝負になってきている気がします。
ただ、それだけだとあまりにも抽象的でわかりにくいから、情緒的概念に機能的概念を組み合わせる。たとえば「幻想的な360度マッピング」というように(笑)。わかりやすいビジュアルと、幻想的という言葉から思い浮かぶ雰囲気、さらに「360度マッピング、すげー!」がセットになって、「なんだかわからないけど面白そう」となる。細かい切り口とかひねりはなし。スタンプでも伝わる時代ですから、もしかしたら言葉だっていらないのかもしれません。
難しいことを難しくいうのって、すごく簡単なんですよ。反対に、深いけれど、わかりやすいものをつくれる人ってすごいなと思っていて。「空気」とか「気分」みたいなものを、いかに凝縮して表現できるか。そのためには観察、よく見ることが大切でしょう。何かを仕掛けてやろうとか、自分のことばかり考えるんじゃなくて、目の前にあるものをもっとシンプルに見る。六本木の街だってそう、わからないからこそ知りたい、観察したいと思うわけで。
最近、地方の街をアートで活性化しようという取り組みは多いですが、全部がアートの街になったら、個性がなくなってしまうって思いません? イルミネーションだって、もし街の人たちみんなが家に電飾をする習慣ができたら、商業施設が大々的にやる意味がなくなるでしょう。そうなったら、もはやお正月に門松を飾るのと一緒、それはそれで面白いかもしれませんけど。
最初の話に戻りますが、もし仮に「怖い街」というのが六本木の本当の姿だとしたら、それを無視してまったく新しい街をつくるのではなくて、そのイメージをアクセプトしたうえで、デザインやアートを取り込んでいったほうがいいのかもしれません。ブルックリンがもともとの下町感をベースにイケてる街に生まれ変わったように、本当の意味での「らしさ」を出していかないと説得力は生まれないし、そういう「本物」こそが見直される時代になってきていると感じます。
よく知らないので「六本木はこうあるべきだ!」なんてえらそうなことは言えないし、かといって決めつけるのも嫌だから、ちゃんと知りたい。もう少し六本木と向き合って、「ああ、なるほどね」みたいに感じられたら......。その頃には、僕もすっかりこの街が大好きになっている、それも十分ありえますね(笑)。
取材を終えて......
「六本木って、人気のエリアなんですか?」「アートナイトって盛り上がる?」「六本木のカオスと新宿のカオス、何が違うと思います?」......。インタビュー中、途切れることなく続いた、村松さんの逆質問。ボーダレスに活動し、カオスが好きだという村松さん、なんとなく六本木との共通点もあるのでは、と思ったのでした。(edit_kentaro inoue)