
変化し続ける社会で、本質的な問題意識を持ち続けること。
「alter. 2025, Tokyo」は、非常に実験的な取り組みでした。プロダクトデザイン業界の外にいる人が提案するイベントだったので、当然のことかもしれません。ただ、「プロダクトデザインのイベント」として認められたかった、という強い思いがあったので、この分野に精通し、説得力を持つ存在が不可欠だと考え、海外からキュレーターを招聘しました。もちろん、「こんなのはプロダクトデザインではない」と感じた人もいたかもしれません。しかし、才能を発掘する場をつくるという当初の目的は達成できたと思いますし、何よりこの取り組みを継続することが重要だと考えています。
「EASTEAST_」や「alter. 2025, Tokyo」は海外からも好評価を得ることができて、「東京でしか生まれ得ない」との嬉しいご意見を頂くことが多くありました。結局のところ、ヨーロッパやアメリカでは、アートやデザインの分野において「権威」が強く機能しています。そのため、主流を無視して下から立ち上がるような動きが少なく、異なる文脈の作品が隣り合うこともほとんどありません。ですが、東京ではそれが可能なのだということを、このふたつのイベントで示せたのではないでしょうか。さらに、海外のキュレーターと日本のデザイナーやアーティストが出会ったことで、新しい流れを生み出すことができた、と自負しています。
イベントや事業のファウンダーとして大事にしていることがいくつかあります。 ひとつは、「自分がその道のプロではない場合、コンテンツに関して口を挟まない」こと。例えば、デザインやアートの企画内容については、一緒に取り組むチームにまかせています。ただし、どのプロジェクトでも、本質的な課題は共有するようにしています。事業者側は、「ここまでにこれをやらなければいけない。そのために何をするか」というふうに、実施自体を目的としてしまいがちですが、それでは本末転倒。その前に考えるべきことがあるはずだと、声を大にして言っています。
次に、「出展者の熱量を引き出すこと」。「 alter. 2025, Tokyo 」は初めての開催でしたし、まだ認知度の低い作家も多く出展していました。会場が日本橋というのも、デザイン系イベントとしては、正直不利だったと思います。そんな状況でもイベントを成功にもっていくには、出展者の本気を最大限引き出さなければ、と考えました。出展者とは必ず直接コミュニケーションを取って、一緒に頑張っていきたい気持ちをストレートに伝えました。全員と面談をするし、決起集会も行う。万単位を動員する大規模なイベントでは難しいでしょうけど、数千人規模までであれば、こういう密なやり方が効果的だと思っています。
さらに、「会話の生まれやすい空間づくり」を意識しています。出展者の知り合いや家族は、作品に強い興味を示して一生懸命鑑賞する。すると、おのずと周辺の作品にも関心が向くはずなので、そこで別の作家とも会話してもらう。こうした事象がいくつも重なれば、無理なく場全体に熱量が生まれます。展示レイアウトは作家やディレクターに任せますが、作品同士の共鳴が生まれやすくなるよう、僕がほんの少し手を加えることはあります。

街をもっとクリエイティブにしたいと思った時に、デザインやアートが果たせる役割はたくさんあると思います。あえて厳しいことを言わせていただくと、街づくりをしている人たちには、魅力的な空間をつくることにもっと本気で向き合ってほしいです。「街づくりは人づくり」といった理想を掲げながら、同じような建物や空間を量産しているじゃありませんか。例えば、真にクリエイティブな空間づくりにもっともっと貪欲になるべきだし、デザインやアートはそこに寄与していかなければいけないと思っています。
ただし、今は、街そのものが機能しにくくなっているとも言えます。多くの人は、街を歩いていても風景から何かを見つけるのではなく、手元のスマホにしか興味がない。街なかにアート作品を置いて、それがSNSで話題になるように狙う企画をよく見かけますが、それがバズったとしても、その場所にその作品を置くことにどんな意味があるのかは考えられていません。実際の場所や通りに人が集まっても、その人たちは街に魅力を見出しているのではなく、スマホで見つけたコンテンツに引き寄せられているだけなんです。
街をどうにかしたいと思っても、ひとりで実現できるものではありません。ただ、単純に空間がかっこよければ、そこで何かやりたいと思う人が増えるのではないでしょうか。「武田さんなら、具体的にどんな場所をつくればいいと思いますか?」とよく聞かれるのですが、何をつくったとしても、若い世代はそれほど熱中しません。みんなが面白がるのは、モノではなくコミットメント。だから、「 alter. 2025, Tokyo 」では誰かや何かと関わる可能性、つまり、"関わりしろ"をつくりました。同世代で組むとか、異業種で組む、コンセプトを立てるなど、いろんなルールを設けて、それを楽しんでもらう。そうすることで、「その場に関われている」という感覚を生み出そうとしたのです。
今の街づくりは多くの場合、「はい、ここで何かやってください」と渡されるだけのもの。それでは関わりしろがなさすぎる。たとえば、大きなホワイエをつくるだけでもいいんです。そこで飲食をしてもいいし、座っているだけでもいいとする。そうすれば、関わりしろは自然に生まれてくると思います。
以前、GAKUのプログラムで10代の参加者がデベロッパーの役員と対話をする機会をつくりました。そこで、ある子が「映画を観に日比谷へ行っても、帰りにお茶を飲むところがない」と言ったんです。そうしたら役員が「お茶を飲むところならたくさんつくっていますよ」と答えたのですが、ハイエンドなカフェやラウンジは、10代の彼らがお茶を飲む場所ではない。すると彼らは、自分たちがこの街に関れる余地はないと思ってしまう。完璧に整えられた場所をつくれば人が集まるというわけではない。街には、より多様な人が関われるように、余白をつくってあげる必要があるのです。
今やりたいのは、DDD HOTELの発展形。DDD HOTELは"Live and let live(自分も生き、他人も生かせよ)"というコンセプトのもと、いろいろなクリエイターが好きなことをしながら共存している空間です。コミュニティーと呼ぶほど固まってはいないけれど、隣に存在し続けるような関係性。これをいろんな街で展開してみたいのです。ポイントは、完全な日常ではなく、ホテルという、非日常を常としている場を使うこと。そうした場でどんな関わりしろをつくっていけるのかにとても興味があります。
DDD HOTEL
2019年11月、日本橋馬喰町に開業した、デザイン、アート、食の才能が集うホテル。違いのある個人が集いコレクティブ(集合体)となることで、新しい価値を生み出すことに重きを置いている。30年以上続いたビジネスホテルを全面改装して生まれた空間には、客室のほか、アートギャラリー、キッチンスペース、カフェ&バーなどが入る。
20世紀はマスメディアとナラティブの時代だったように思います。メディアが語る筋書きを、多くの人が追っていた。それはときに単なる大義名分や偽善でもありましたが、社会全体で共有されるミッションでもあったのではないでしょうか。現在は、そうしたナラティブが語られない世界になりつつあります。そこでナラティブに取って代わったのが「ゲーム」という手法。共有されるのはミッションではなくルールで、個々人がそれぞれゲームに参加し、技能やセンスを競うようになっています。「経済的に成功したから上がり」「丁寧に暮らしているから幸せ」ではありませんが、ルールに則って点数を勝ち取っていくことに主眼が置かれていると感じます。
そうすると、ただエンタメとして消費されるものが力を持っていく。そんな時代に、文化はどこへ向かうのか。この問いは、若い世代には無意味に映るのかもしれません。だけど、この危機的な状況を誰かが訴え続けていかなければいけないとも思っています。
僕自身はかっこいいモノやコトをつくる自信はないけれど、「これがかっこいいよ」と教えてくれる人がたくさんいる。自分で言うのもなんですが、素直なんです。自分が判断できないものは信頼している人に見てもらって話を聞いたほうが絶対に良い。もちろん、最終的に判断するのは自分。だから、問題意識は常に持っていたいんです。
取材を終えて......
「自分はアウトサイダーだから」と謙遜しつつ、終始にこやかに、そしてときに鋭く課題を語ってくれた武田さん。なぜ武田さんのような動きが可能なのか。それを探るべく臨んだインタビューでしたが、コンサル時代に培ったであろう論理的思考や、問題意識を常に持つ姿勢、一歩引いて俯瞰する冷静さ、そして、「この人となら面白いことができそうだ」と思わせる人間的魅力を感じました。アートとデザインの両領域を行き来する貴重な存在として、これからも活躍を期待しています!(text_ikuko hyodo)
撮影場所:Common cafe & music bar lounge
