
変化し続ける社会で、本質的な問題意識を持ち続けること。
家業が衣料品問屋で、僕はその4代目なんです。問屋事業のほかに、日本橋エリアでホテルやギャラリー、レストランなどを展開しています。そのため"イースト東京の人"というイメージを持たれがちですが、ここ7、8年は実家も自分の住まいも六本木です。
六本木で仕事をする機会はあまり多くないのですが、「Common cafe & music bar lounge」の上階にある「Kant.」というワークプレイスの4階で、10代向けの教育プロジェクト「GAKU」の講座を開いています。「GAKU」は、音楽、建築、デザイン、アート等様々な領域で、10代とクリエイターが出会い、ともにプログラムを展開する試み。ここ六本木では、今年9月から来年3月までの半年間をかけて、演劇の授業を行っています。
Common cafe & music bar lounge
六本木通り沿いに位置する、食・音楽・アートを楽しむカフェレストラン&ミュージックバーラウンジ。1971年に竣工した地下1階、地上8階のビルを大規模リノベーションして完成した施設「Kant.」の1階にある。同施設には、すこやかに働くための場所"としてつくられた「Kant. WORK LOUNGE」や「Kant. co-office」がある。
GAKU
10代のためのクリエイションの学び舎。音楽、建築、演劇、食、ファッション、デザイン、アートなどさまざまなジャンルの授業を、第一線で活躍するクリエイターを講師に迎えて展開している。武田さんがファウンダーで企画運営も行う。
以前はアクセンチュアという会社で、医療や公共領域のコンサルタントをしていました。経済的インパクトが大きい仕事だったので、家業を継いだ直後は手がける案件の規模感のギャップに驚きました。うん十億円という金額を扱っていた世界から、突如「700円のものを100枚売る」というような世界で生きることになったわけです。社会貢献の実感や、動かすビジネスの規模がすごく変わった。そこから、はたして自分の人生はどんな意味があるのだろう、とまで悩むようになったんです。
そんなとき、自社で所有していた馬喰町のビルのスペースをアートイベントに貸し出すことになりました。アントン・ヴィドクルというロシア人芸術家の映像作品のお披露目パーティーでした。そのときアントンがテーマにしていたのは、かつてロシアの知識人たちに多大な影響を与えた「ロシア宇宙主義」。これは、死んでしまったすべての人類を生き返らせて不老不死にするという思想で、当時の僕には不可解なものでした。たとえば、「生き返らせるために体中の血を入れ替える」という発想があるんだよ、といった話を聞いて「謎だな...」と思っていた(笑)。アントン自身は非常に知的で素晴らしい人だと説明を受けていたのですが、彼の作品をまったく理解できなかった。けれど、パーティーの終盤で、「今回場所を貸してくださった武田さんからアントンに、何か質問を」と振られてしまったんです。
そこで、僕は率直に「これは何のためにやっているんですか?」とアントンに聞きました。すると彼は「Good question(いい質問ですね)! 全人類が不老不死になったら、人はもう働かなくてもいい。そしてアート活動をするんだよ」とにっこりしながら答えたんです。「いやいや、僕は不老不死になっても、アート活動はしたくないけど?」と、またも素直に返したら、「Good question! アートは人だけでなく非生物ともコミュニケーションできて、それで世界がひとつになるんだよ」とアントン。僕もすかさず、「仮にそうだとしても、僕は別に世界がひとつになることは望んでいないのだけれど、それに一体何の意味があるの?」と僕が重ねて尋ねたら、「I found it beautiful(それが美しいと気づいたんだよ)!」と言われた。その言葉に大きな衝撃を受けたんです。
アントン・ヴィドクル(Anton Vidokle)
Anton Vidokle。1965年モスクワ生まれ。映像作家、キュレーター。リアム・ギリックやフー・ファンといったアーティストや哲学者、人類学者などと数多くのコラボレーションプロジェクトを行う。世界の現代美術を牽引するプラットフォーム「e-flux」の創始者としても知られる。上海ビエンナーレ(2023年)のチーフ・キュレーター、ソウル・メディアシティ・ビエンナーレ(2025年)のキュレーターなどを務める。
画像:Immortality and Ressurection for All! 2017, film still. Courtesy the artist
自分は論理的思考や金銭的価値に囚われすぎていたと、ハッとしたのです。「この視点から見た景色は、あなたが見ている景色よりも美しいかもしれない」。そう言われた気がした。たとえば1万円と100円のコーヒーを売るとして、もし、金銭的価値が全てであるなら、1万円のコーヒーのほうが良いことになる。でも、100円のコーヒーの味が好きだからという理由でそれを選んでいると言われたら誰もそれを否定できない。つまり、すべては見方の問題だと腑に落ちたんです。僕はその場で「アートギャラリーを始めます!」と宣言しました。その1年後、馬喰町で始めたのが、PARCELです。ほぼゼロだった僕とアートとの関わりがここからスタートしました。
PARCEL
2019年6月に日本橋馬喰町のDDD HOTELの一角に開廊したアートギャラリー。ディレクターは佐藤拓。もとは立体駐車場だった特徴的な空間で、現代美術を軸にカルチャーを横断するプログラムを展開している。2022年2月には近隣に姉妹ギャラリーとしてparcelもオープン。両ギャラリーともに国内外の新進アーティストと多角的に協働している。

アートに関わりを持ち始めた頃、2020年に「EASTEAST_TOKYO」というアートフェアをスタートし、2023年に、第2回を科学技術館で開催しました。このイベントは、コロナ禍から社会が脱していく時期であったこともあり、大きな反響をいただいたのですが、その時フェアに来場してくれていたプロダクトデザイナーから「こんなイベントを、プロダクトデザイン分野でもやってもらえないですか?」とお願いされました。それがきっかけとなって、2024年に、13年ぶりとなるデザインの祭典「DESIGNTIDE TOKYO」を復活させることになりました。
僕は、デザインについてはそこまで問題意識を持っていたわけではありませんが、それでも、東京のいたるところに、同じデザイナーによる、同じような空間が生まれ続けているのを横から見ていて、「かっこいい」という価値観が均質化していることに違和感を抱いていました。プロダクトデザインやインテリアデザインは、デザイナーに実績がないと商品化されるのがとても難しい業界なんです。平面のデザインと違って、「モノ」にするためには少なくないお金がかかりますし、企業などの発注者もリスクを取りたがらない。かつての「DESIGNTIDE TOKYO」がそうであったように、僕はこの新しい「DESIGNTIDE TOKYO」が新しい才能が発掘される場になればいいと思いましたが、残念ながらチームは1年で解散になり、イベントを取り巻く状況はもとに戻ってしまった。それで、これまでの蓄積や想いを引き継ぎながら、僕たちの「やるべきこと」も実現しよう、と立ち上げたのが、「alter. 2025, Tokyo」でした。
EASTEAST_TOKYO
武田さんがファウンダーとして関わるアートフェア。東京を拠点にアートやその周辺領域で活動する文化従事者たちによって運営され、作品を展示・販売する場ではありつつ、関係性を生み出すことに重点を置く。2025年11月に第3回目となるEASTEAST_TOKYO 2025が開催され、国内のギャラリーだけなく、ソウル、香港、ロンドンなどのギャラリーが参加した。
写真:高羽快
alter. 2025, Tokyo
武田さんがファウンダーとなり、2025年11月に初開催されたデザインイベント。デザインスタジオ「FormaFantasma」のアンドレア・トレマルキとシモーネ・ファレジン、ニューヨーク近代美術館(MoMA)建築・デザイン部門キュレーターのターニャ・ファンらからなるコミッティーの審査のもと、主に30代以下のクリエイターたちが領域横断的なチームを結成。これからのプロダクトの機能や美を問うプロジェクトを提案した。
僕はアートもデザインも門外漢で、業界でもアウトサイダーですが、外側にいるからこそ見えることもあるかもしれません。どの業界にも共通であるかもしれませんが、すでにポジションを確立した方々は業界内の知り合いや仲間同士で固まり、新しいアイデアや枠組みに賛同しつつも行動には移さないことが多い。一方で、30代前半より下の若い世代は"村意識"が薄くて、分野やコミュニティーを越境している人たちがたくさんいます。彼ら彼女らの帰属意識は複数のコミュニティーにあり、また、そのコミュニティーの形も柔軟に変わります。「村八分」を起こす村自体が存在しないんです。同じ船に乗ってある時期を一緒に過ごす、乗組員同士のようなテンションなんですよね。定住しないで、気軽に越境していくことで可能性を広げている。ただ、村意識が弱い分、自分にとって利があるかどうかで結びつく側面もあり、強固な束にはなりにくいという側面もあります。
「EASTEAST_」と「alter. 2025, Tokyo」、ふたつのイベントを終えてみて、思うのは、やはり、世代交代が必要だということ。若い世代が立ち上がって、東京の均質化した空間を変えていかなければいけないだろうし、そのためには、発注者となる事業者と若いクリエイターをつなぐ仕掛けや人材がまだまだ全然足りないと思っています。
ふたつのイベントを同じタイミングで開催したのには、いろいろな理由があります。東京に世界から人が訪れるデザインウィークやアートウィークを形成する上で、大阪万博のようにひとつの傘で実施すると、不格好になってしまう気がして。 大阪万博の場合は、関西というローカリティや経済圏がうまく連動していたけど、 東京は都市として大きすぎて分断やほころびが目立ってしまう。 また、組織が巨大化すればするほど、新陳代謝のエネルギーも保てない。それであれば、個別の企画を同時多発的に開催するほうが、東京らしい。 身軽な単位で続けていくことが大事だと考えました。 それで、今年は、「Art Week Tokyo」というアートイベントの期間にデザインイベントも集めようとのことで「DESIGNART」さんと調整して、「alter.」 、「EASTEAST_」も含めて同時期に開催できるようにしました。今年の秋はイベントが集中しすぎて、運営側も来場者も疲れてしまったところは正直あるかもしれませんが(笑)。
撮影場所:Common cafe & music bar lounge
