
創造のエネルギーを、美術館に閉じ込めずに解放する。
子どもの頃から、"図画工作が好きなケンジくん"でした。漫画が大好きで、祖母の家が本屋をしていたので、ひとり漫画喫茶状態で漫画を読み漁っていました。あるとき、祖母からもらった藤子不二雄Ⓐ『まんが道』の自伝的な物語に衝撃を受けて、「自分で漫画の本をつくりたい!」と思うようになったんです。
小学5年生のときにつくった漫画雑誌が、友だちが回し読みをするほど大好評で、めちゃくちゃ喜んでもらえたことがあったんです。これが、自分の作品が第三者に認知された原体験になっています。その後、SF映画ブームが到来して特撮に興味を持ったのを機に、立体物をつくるなら芸大に行けばいいんじゃないかと考え、アートの道に足を踏み入れていきました。
大学で彫刻科に進み美術を学び始めたら、直感的に「ここにはまだブルーオーシャンがある」と感じて、1990年、大学院2年生のときに《タンキング・マシーン》という作品を発表しました。前年の1989年秋、ちょうどベルリンの壁が崩壊したタイミングで訪れたイギリスでの交換留学の経験がこの作品に大きく影響しています。激動の世界情勢を間近で感じながら、外から日本を俯瞰するいい機会になりました。
《タンキング・マシーン》
白いガスマスクを装着した人型のカプセルで、タンク内部は人肌に温められた、羊水と同じ塩分濃度の生理食塩水で満たされている。中に入った人は、視覚や聴覚などの感覚機能を剥奪された状態で浮遊し、瞑想状態に入ることができる。1990年制作。
現代美術については、当然、欧米の文脈に沿って学ぶことになります。例えばナショナル・ギャラリーでゴッホの絵を鑑賞している子どもたちの横で、自分はこれを教科書で見たなと思うわけです。その一方で心に抱いたのは、本来の気候風土にそぐわないものを、美術教育として受けてきたのではないか、という疑問。サブカルチャーこそが、本当の意味で自分を変えてくれたという気づきから、自分にとっての美の核をはっきりと確信したのです。そんな想いもあって、ポップカルチャーの要素を盛り込んだ《タンキング・マシーン》は、母胎内回帰をテーマに自らの原点に戻ることのできる瞑想タンクに入ってイマジネーションを爆発させることで、第二の誕生を目指すというストーリーを込めました。
アートの歴史を紐解くと、洞窟画から始まり、その後は長く宗教のために存在してきました。信仰と切り離すことのできない長い歴史があるなかで、日本人で、しかも現代に生きる僕たちが、アートを通して何を表現できるかというと、社会問題に尽きると思うのです。世界が抱えるさまざまな問題にどう対峙するかが、アート表現としてのひとつの答えの出し方であって、誰にも役に立たないものをつくるのではなく、もっと世界を変えていくための装置としてつくるべきなのではないか。その想いから、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマとした制作を始めました。
日本で原発事故が起こったときにも、逃げずに体当たりでぶつかっていく気概でものづくりに向き合いました。美術館やギャラリーの守られた空間ではなく、誰も言わないようなことを、あえて問題の起こっているエリアのど真ん中で表現したのです。ぶつかって、もみくちゃにされるリスクはありましたが、ネガティブな意見が出たとしても自分のポリシーは貫きたいな、と。
《サヴァイヴァル・システム・トレイン》
1991年、大阪万博と深い関わりを持つ美浜原発(福井県)で事故が発生。大きな衝撃を受けたヤノベさんは、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに、《イエロー・スーツ》や《サヴァイヴァル・システム・トレイン》など実機能を持った作品を制作。1997年には、放射線感知服《アトムスーツ》を身にまとい、チェルノブイリなどを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始する。画像は《サヴァイヴァル・システム・トレイン》。
画像:(撮影)黒沢伸
作品のコンセプトやストーリーは、いくらでも言葉にできるし、後づけも可能ですが、かわいさや品といった美意識は、言葉で表現しようのない感覚的なことですよね。僕があくまでも大事にしているのは、理屈ではなく感覚。いい作品っていうのは、考え方や文脈、コンセプト、歴史、メッセージなどが、見た瞬間にわかってしまうものなのです。
だからこそ、見る人が自由に想像力を膨らませられるように補足は最小限にとどめておきたい。GINZA SIXの《BIG CAT BANG》なんて、見るからにバカバカしいじゃないですか。だって、猫大爆発ですよ(笑)。でもこの作品にはちゃんと、「芸術は爆発だ」という言葉を遺した岡本太郎さんに対するリスペクトが込められています。生命の誕生は約36億年前と言われているけれど、そもそもどこから来たのか。宇宙から来たという説を宇宙猫のキャラクターに託し、生命を育て上げて絶滅した宇宙猫の生き残りが、今の猫なのではないかという問いを含んだストーリーをちょっと加える。それだけで、自分の飼っている猫はいつもダラダラして、ニャーニャー鳴いているだけだけど、とてつもないミッションを遂行するために宇宙から長い旅をしてきたのかもしれないって想像力をかき立て、見る人を妄想の世界に連れ出してくれるのです。
《BIG CAT BANG》
旅をしながら福を運ぶ《SHIP'S CAT》シリーズから派生した、2024年4月5日、GINZA SIXの中央吹き抜け空間に登場した大型インスタレーション。岡本太郎の《太陽の塔》の形をした巨大宇宙船「LUCA号」に乗ってやってきた宇宙猫が空を舞う。
画像:(撮影)Takaki Yasuyuki
僕は天才でも何でもない。一言で言えば、ただのアンテナみたいな存在で、時代のなかで何者かに託されたことを引き受けてやっているだけ、という感覚なのです。使命でもない限り、こんなにいろんなことをやらせてもらえるはずがない、と思っているんです。
京都芸術大学では、実践教育現場として「ULTRA FACTORY」という工房のディレクターを務めると同時に、プログラムの一翼を担うアーティストとして学生たちと向き合っています。「想像しうるものはすべて実現可能」とうたっているだけあって、第一線で活躍するクリエイターの制作を手伝いながら、そのノウハウを目の当たりにすることができる魅力的なプロジェクトです。ディレクター陣も米山舞さん、名和晃平さん、明和電機など、それはもう豪華な顔ぶれですよ。
ULTRA FACTORY
京都芸術大学の全学生が利用できる、造形芸術支援工房。2008年6月に設立。第一線で活躍するアーティストやデザイナーを迎えて実施される「ULTRA PROJECT」など、さまざまなプロジェクトを展開。芸術家の創造力と美意識、職人が持つ高度な技術と制作への情熱を融合させ、社会的自覚を持って行動できる人材の育成を目指している。
画像:(撮影)表恒匡
学生にとって神のような人たちが集まる場所になっているのは、クリエイターにとっても魅力を感じる場所になっているから。ファクトリー内でのアワードもありますし、ここから育ったクリエイターがTOKYO MIDTOWN AWARDに応募もしています。エネルギーが充満している、クリエイティビティのるつぼのような空間で、僕自身も刺激を受けてアップデートされるような実感があります。
TOKYO MIDTOWN AWARD
東京ミッドタウンが「"JAPAN VALUE"(新しい日本の価値・感性・才能)を創造・結集し、世界に発信し続ける街」をコンセプトに、才能あるデザイナーやアーティストとの出会い、応援、コラボレーションを目指して、デザインとアートの2部門で開催するコンペティション。アイデアや作品を生み出すことのできる「人」にフォーカスしている。ヤノベさんは2023年よりアートコンペの審査員として参加。
https://www.tokyo-midtown.com/jp/award/
アーティストにとって一番怖いのは、想像力の枯渇です。お金とかは別にいいんです。それよりも、つくるものがわからない、新しいものが出てこない状況は、生きる意味を失ってしまうことと等しいと思っています。だから学生に対しては逃げも隠れもせず、つくり続ける姿をずっと見せたい。「ヤノベさんは常にものをつくっているし、どんなことがあってもくじけない」とみんなが悔しがるくらい、つくり続けて、生き延びるつもりです。
僕にとってのものづくりは、小さい頃から変わらず、最も尊い時間です。小学生の夢のように「できたら面白いけど、無理だよね」と多くの人が真に受けないことを、実際に形にしているだけのこと。荒唐無稽なアイデアをニヤニヤ笑いながら、面白がってくれる人がいるからこそ、自分らしさを肯定できるのがアートだと思っています。六本木アートナイトに参加した頃から、僕は常に祭りをやっている感じですね。
撮影場所:六本木ヒルズ 毛利庭園
取材を終えて......
大阪弁で軽快に笑いを交え、常にこちらを楽しませながらお話ししてくれたヤノベさん。アートに対する思いを熱く語っていたかと思えば、照れ隠しなのか急に冗談を言ったり、すっと引いて答えをはぐらかしたり。それでも、図画工作に夢中になっていた"ケンジくん"の頃から変わらないであろう、ものづくりを信じる純粋さは、しっかりと伝わってきました。ときに矢面に立ちながら、制作の全責任を引き受け、作品を通して世界を変えようとする姿は、学生はもちろん、あとに続くアーティストにとって言葉以上の学びがあるはずです。本当にみんなが悔しがるくらい、この先もつくり続け、私たちを熱狂させてください。(text_ikuko hyodo)