六本木に、夏の明かりのお祭りを。
今ではすっかり定着した東京タワーのライトアップをはじめ、六本木ヒルズ森タワー、東京ゲートブリッジなどなど。日本の"ライトアップ文化"を切り拓いてきた、照明デザイナー・石井幹子さんは、写真の高架下照明をデザインするなど、六本木にはとても縁の深い方。1970年代の思い出話から、六本木で実現してみたいアイデアまで、たっぷりうかがいました。
1970年代、私が初めて事務所を構えたのは、六本木の旧テレ朝通りでした。新橋とか銀座あたりに事務所が持てなかったから六本木を選んだ、とそういう時代。地下鉄もまだ日比谷線一本しか通っていなくて不便だったのに、どういうわけかクリエイターたちにはえらく居心地のいい場所だったんです。
旧テレ朝通り沿いには、通称「麻布ユアーズ」という、明け方5時まで空いている雑貨屋さんがあって、カメラマンやデザイナーが夜中によく買い物に来ていたり、銀座あたりで飲んでいた人がさらに六本木に移動して飲んでいたり。当時から明け方近くまでやっているお店が多くて、みんなでわいわいたむろしていました。
私の事務所の地下には、倉俣史朗さんがデザインした「スピークロウ」というお店があって、篠山紀信さんをはじめ、いろいろな人が来ていましたね。他にも、黒川紀章さんや横尾忠則さんとはよく、有名なイタリアンレストラン、キャンティで打ち合わせをしたり。だいたいはじまるのが夜10時くらいで、それから明け方までみたいな(笑)。『キャンティ物語』(野地秩嘉/幻冬舎)なんて単行本も出ていますけれど、本当に懐かしく読みました。
大使館が多く、外国人の方もけっこういて、当時から国際的な雰囲気はありました。けれど、一本裏に入ればごく普通の住宅地。雑多なものがたくさんあって、非常に親しみやすい、ある意味「田舎」だったんだと思います。旧テレ朝通りなんて、江戸時代の地図を見ても、今と道路の形がまったく同じ。かつて旗本のお屋敷があった道沿いには、植木屋さんなんかもあって、牧歌的な雰囲気が漂っていました。
それが六本木ヒルズができて、東京ミッドタウンができて、ずいぶん様変わりしてしまいました。といっても、新しいものばかりではなく、「港七福神」だとか古いものもそこそこ残っていますし、とてもいい街になってきたと思います。残念ながら今は変わってしまいましたが、いい地名もいっぱいあったんですよ。西麻布の交差点のあたりは「霞町」とか、"かんざし"と書く「笄町(こうがいちょう)」とか。
港七福神
多くのクリエイターが六本木に事務所を構えていることからもわかるとおり、私たちのような職業にとって、このあたりはたいへん住みよいところ。事務所はずいぶん前に移転してしまいましたが、今も住まいは西麻布、六本木は土日には普段着で歩いているご近所さんなんです。意外と知り合いに出会うので、困ったなあと思っているのですが(笑)。
六本木交差点の高架下照明をデザインしたのは、地元商店街の方々からのお誘いがきっかけでした。デザインとアートの街づくりをしていこうということで、まずアートディレクターの葛西薫さんが六本木の新しいロゴをデザインされて、それに合わせて交差点をアート的なものでアレンジしてはどうか、というお話をいただいたんです。
それなら、当時まだ出はじめだったLEDを使って、「ここが六本木の交差点だとわかるような照明にしましょう」と提案しました。歩いている人たちは一目瞭然ですが、車で通過する人って、今どこを走っているかわかりにくいでしょう? パッと見て、ああ六本木だなという目印になって、なおかつ不快な眩しさもない。少しでも、この交差点が美しくなればと思ってデザインしました。
幸い評判もとてもよく、その後、六本木通り沿いの街灯のデザインもさせていただきました。ご覧になればわかるとおり、交差点の照明と街灯のデザインをファミリーにしたんですね。別の案もあったのですが、商店街のみなさんがこちらを熱烈に推してくださって。
六本木のロゴ
六本木通り沿いの街灯
いつも私は「Something New」と言っていて、作品をつくるときには必ず何か新しいものを盛り込むことを心がけています。それは、照明というのが、アートとテクノロジーの両輪で成り立っているものだから。六本木交差点のLEDもそうですし、たとえば最近では、ドイツ・フランクフルトの見本市に出展する、2色同時発光する最新のOLED照明を使って、数千枚の光がひらひら舞っているように見える光のオブジェ「OLED COSMOS」をつくりました。
また2012年、お台場の先に開通した東京ゲートブリッジでは、ライトアップの方法自体を新しく。橋の側面にLED照明をつけて、トラス(骨組み)一本一本を照らすことで、構造がリッチに見えるように計算したんです。また、ここは毎月ライトの色が変わる仕掛けも取り入れました。
東京ゲートブリッジ
新しいものをつくるのにいつも夢中になって、あっという間に月日が過ぎてしまった感じ(笑)。照明の仕事って、ただきらびやかにするのではなく、対象物の構造を見せていく、わりとまっとうな仕事なんです。建築は建物そのものだけでも成り立ちますが、照明はそれだけでは成立しなくて、何か照射する"相手"がいないといけない。それが、少しつらいところではありますが。
この仕事をはじめたのは、若い頃にたまたま照明器具のデザインを手がけたことにさかのぼります。自分がデザインした器具に光が灯ったのを見て感動して、「ああ光って、すごい」と思ったんですね。もしこの世に光がなかったら、ものの色や形は何もわからないでしょう? 空気と同じように、ふだん光なんて、あまり意識していないかもしれません。でも実は、光があってはじめて、この視覚世界は成り立っている。そう気づいたんですね。
そして、照明器具のデザインを勉強したいと思って、フィンランドへと渡りました。ただ器具だけではあまり広がりがないので、次に建築照明を学ぶためドイツへ。ドイツやフランス、イギリスもそうですけれど、ヨーロッパの街は1920年代、30年代から電気エネルギーを使って街を彩るということをしていました。伝統がありますから、照明という仕事自体が確立していたんです。
2年ほど勉強して日本に戻ったものの、照明の力を認めてもらうまでは、とにかく大変でした。口でいくら説明をしたって、わかるものではありませんから。照明は小さなものではないので、自分で簡単につくって、見てくださいというわけにはいきません。どこからどうしていけばいいのかもわからないような状態で、最初は小さな建築照明を手がけるところからスタートしました。
照明という文化が、日本で市民権を得たのは、やっぱり1989年の東京タワーのライトアップでしょう。実はそれまで、あの塔を見てきれいだと言う人はほとんどいなかったのに、明かりひとつでこんなにイメージが変わるのか、と驚かれました。東京タワーがシンボリックな存在になったのは、それ以降の話なんですよ。地方から出てきた人は東京のランドマークにも感じるし、懐かしいとかあったかいと言ってくださる方も多い。裾が広がっていて、灯明のようで美しいという表現をされる方もいました。
東京タワーのライトアップ
1990年代は、日本全国に次々と大きな橋梁ができた時代でしたから、おかげさまでたくさんの仕事をやらせていただいて、世界的に見ても、大型橋梁の照明をもっとも多く手がけたデザイナーといわれています。照明器具からはじまって、だんだんだんだん広がっていって、ようやく都市に。イルミネーションが流行りだしたのなんて2000年以降、わずか十数年の話ですが、一晩に何万人、何十万人に見ていただいていると思うと、とてもうれしいですね。
電気を使う仕事をしているからというわけではありませんが、昼間は電気を売り、そのぶん夜は正々堂々と使いましょうと考えて、自宅で太陽光発電をしています。西麻布でそんなことをやっているなんて、本当にクレイジーですよね(笑)。今ではすっかり普通のことになりましたが、はじめたのは1998年ですから、まさに自家発電の走り。
自然エネルギーを活用したいというのは、いつも考えていることです。たとえば、先ほどの東京ゲートブリッジには、ものすごく大きな太陽光発電の設備がありますし、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島のライトアップでは、電力すべてを島での発電でまかなっています。3.11の東日本大震災のあと、一番最初にやったのも、東京タワーに太陽光で発電した光でメッセージを描くプロジェクトでした。
光のメッセージプロジェクト
今年の10月にも、スイスのベルンで、ある大きなパフォーマンスを予定しています。その打ち合わせの席で、私が「自然エネルギーを使いたい」と言いましたら、「こちらの電気は、もうすべて自然エネルギーですよ」と笑われてしまいました。最近は家電の省エネ化も進んで、電気の消費量自体は増えていません。住宅の照明くらいは十分にまかなえますから、ぜひみなさんにも自家発電をしていただきたいと思います。なにより気持ちがいいですから。
先日フランスから友人がやって来て、温泉に入りたいというので、熱海へ連れていきました。すると駅を下りた瞬間に、「この街はどうなっているんだ!」と言います。温泉もすばらしい、海もすばらしい、ただ都市計画がない、と憤慨しているんですね。たしかに日本の街は、新宿にしても渋谷にしても、計画性があまりない街づくりがされているように感じます。銀座があたりがぎりぎり碁盤の目になっていて、通りもわかりやすく、街並みも整然としているかな、というくらい。
六本木は幸せなことに、ヒルズとミッドタウン、2つの大型開発があったために、毛利庭園が残り、港区立檜町公園が残り、緑地も十分にあるし整備も進みました。六本木という街の特性から考えるならば、かつての伝統にも配慮しながら、これからさらにインターナショナルで未来指向な街づくりを目指していくべきだと思います。
今でも、六本木と聞くと、あまりいいイメージを持たない人は多くいるでしょう。たしかに表通りはきれいになったけれど、一本裏に入ればまだまだ。ビラが撒かれていたり、電線や通信ケーブルが張り巡らされているし、街灯だって商店街ごとに別々の色、デザインのもの......。それが、六本木で暮らす私からすれば、非常にもったいない。せっかく交差点もきれいにしたんですから、歩道も整備して街路樹を植えたり、街全体の景観をもう少し整理統一していただけたらいいのに、と。
六本木アートナイトをはじめ、この街のイベントにも、ぜひ参加したいと思っているんです。実は以前、ヒルズとミッドタウンと国立新美術館の三点から光を発射した「光の塔」を建てる実験をしたことがあります。でも、とてもじゃないけれど街が明るすぎて、実現しませんでした。高層ビルって、湿気のある気候だと、周囲の空気まで明るくしてしまうんです。できれば目線から上は暗いほうが街はきれいだと思うのですが......。いつかもっとパワフルな光源が登場したら、また挑戦してみたいですね。
冬はどの街に行っても、きれいなイルミネーションをやっていますから、何か夏の光のイベントを考えるというのはいかがですか? 日が長い時期は、みなさん遅くまで外に出ているし、夕涼みなんていう昔からの伝統もあります。六本木で、夏の明かりのお祭りを企画してみるとか。
光に集まるのって、生き物の本能なんですよ。魚は集魚灯に引き寄せられるし、虫だってそう。だから、人間が赤ちょうちんに集まったり、イルミネーション集まったりするのは当然なんです。そう言われてみると、みなさん思い当たる節がありますでしょう? 光があるだけで、ついついそっちに行きたくなってしまう。きわめて簡単なんです(笑)。
取材を終えて......
最後のコメントは、六本木交差点へと向かう車の中で、ミッドタウンのライトアップに集まる人たちを眺めながら話してくれたもの。誰も理解してくれない大変な時代があったのに、「きわめて簡単」と言える。その一言に、石井さんのパワーとプロのすごさを感じました。(edit_kentaro inoue)