36 佐藤オオキ(デザイナー)

佐藤オオキ(デザイナー)

nendo設立のきっかけは、ミラノサローネ。

ミラノサローネ

ミラノサローネ
毎年4月、イタリア・ミラノで開催される、世界最大規模の国際家具の見本市。2013年は53万㎡におよぶ広大なメイン会場に2000社以上が出展、6日間の会期中に、世界中から32万人が訪れた。メイン会場外でも、街中が多くのデザインイベントで盛りあがりを見せる。写真は、2013年にnendoが展示した家具コレクション「Nichetto=Nendo」。

 nendoというデザイン事務所をつくったきっかけは、友人たちとミラノに卒業旅行に行ったこと。ちょうどミラノサローネ(国際家具見本市)が開催されていて、「デザインってこんなに開かれたものだったんだ!」と、すごく刺激を受けたんです。ちなみに、nendoという社名も「自由で柔軟な発想で、ものづくりに取り組みたい」というところからきています。

 学生時代の反動なのかもしれません。大学・大学院では建築を学んでいましたが、当時は建築家がインテリアを手がけるなんて言ったら、それこそ張り倒されるような空気感(笑)。大学内に同期が200人以上いて1から200まで順位をつけられる厳しいところで、6年間、罵倒されたり、ときには模型を投げられたり。「こういうことはやってはいけない」という制約の多い中で過ごしてきました。それがミラノに行って、デザインって自由で楽しいものなんだと気づいてしまった。

 大学院で所属していた研究室の古谷誠章教授は、おおらかで比較的放任主義ではあったのですが、正統派の建築をされているので、今すごく肩身が狭いと思います。「nendoって、お前のところから出てきたんだろアレ」って、たぶん言われてる(笑)。

実力があればフラットに評価される。

吉岡徳仁

吉岡徳仁
1967年生まれ。倉俣史朗、三宅一生に師事したのち、2000年に吉岡徳仁デザイン事務所を設立。2002年、ミラノサローネで発表した紙の椅子「Honey-pop」で世界的に注目を集め、先鋭的な作品を次々と発表。MoMA、ポンピドゥー・センターはじめ、世界の主要な美術館に永久所蔵されている作品も多数。
© MASAHIRO OKAMURA

 建築はアカデミックな側面が多分にある世界なので、同業者だけしかわからない言葉を使って会話をしたり、まずは理論を組み立てて......という順序を大切にしたり、自分には少し窮屈に感じられる部分がありました。でも、ミラノサローネは、たとえばプロダクトデザイナーが洋服をつくったり、建築家がイスをつくったり、本当に自由。クリエイター側だけじゃなくて見る側も同じで、老夫婦や子ども連れといった一般の人たちが作品を見て、ああだこうだ言って勝手に楽しんでいる。その状況がすごく面白くて。

 そのとき、もっとも衝撃を受けたのは、吉岡徳仁さんの活躍でした。まだ30代半ばで、日本でも当時はあまり知られていなかったと思うのですが、フィリップ・スタルクと対等の扱いでイタリアの家具メーカー・ドリアデから新作を発表して、しかもインスタレーションまでやっている。なんで無名の日本人が、スタルクと一緒に並んでいるんだろう? もしかしたらここは、実力さえあればフラットに見てもらえる世界なのかな、頑張っていれば評価してもらえる土壌があるのかな、って思ったんです。

 右も左もわからない中で、5年以内に出展できたらいいなと思ってデザイン事務所をスタートさせたら、翌年すぐに実現して、その展示で賞までいただいてしまった。そして3年後の2005年、ミラノオフィスを設立したのは、完全に"サローネシフト"です(笑)。とくにヨーロッパのクライアントは、新作をまずサローネで発表したがりますから。それからも出展を続けて、もう11年連続になりました。

サローネが教えてくれたこと。

 サローネでは毎年、何千、何万という新作が発表されていて、会期の1週間では、とても全部を見て回ることはできません。そんな中で、どうやったら自分たちの作品に気づいてもらえるか、メッセージを伝えることができるか。そういう意識の大切さと伝えることの難しさは、ミラノサローネが教えてくれたものかもしれません。

 これはなんだろうって思わせる感じだったり、さわりたくなる感じだったり、デザインには人の感情に訴えかける要素が大事。世の中には、あえて人を拒絶することで驚きを与える表現方法もあるでしょう。でも、自分たちは驚かせるにしても人を遠ざけるのではなくて、人が集まってくるような懐の深い表現ができたらいいなと思うようになりました。