各県・各国型のバッヂを配ってみんなの「ふるさと」にする。
「六本木の街から課題やテーマを抽出して、それを解決するための具体的なアイデアやアクションを提案してほしい」という編集部の要望に対して、クリエイティブディレクターの箭内道彦さんが出してくれたテーマは、なんと「世界平和」。ということは、六本木は平和ではないのでしょうか? そんな疑問に答える形で、インタビューはまず、箭内さんがもつ六本木という街についてのイメージからはじまりました。
六本木って怖い「気がする」街ですよね。それは、たぶん、知らない国の言葉が飛び交っていたり、きらびやかな装いの人がたくさんいたり、様々な国籍の人が目の前を歩いていたりするからだろうな、と思ったんです。怖いといっても、危険という意味ではなくて、僕がなんとなく気後れしてしまうということ。ふだん僕は原宿で働いているんですが、原宿はそんなに怖いイメージはないんですよ。
なんでだろうって考えたら、原宿は、みんながかっこよくなりたい、おしゃれをしたい、かわいくなりたいっていう「志」をもって集まってくる場所だからなんですね。言ってみれば、まっすぐで清らかというか。遠くから来ている人も多くて、早く帰らないと電車がなくなっちゃうから、夜8時以降なんて街はガラガラですし。それに比べて、渋谷とか六本木って、素敵な女性と知り合って......という希望とか、一旗上げるまでは故郷には帰れないという気合いとか、そういう念が渦巻く空気感があるでしょう。ちなみにこれ全部、僕の個人的なイメージなので、怒らないでくださいね。
今の若い人は別だと思うけれど、僕らの世代には絶対、外国人コンプレックスもありますよね。それは、外国人より顔がおっきいってことだったり、背が低いってことだったり、足が短いってことだったり。あとは単純に、英語がしゃべれないとか、お酒が強くないとか。そのコンプレックスで、僕らは勝手に自滅してきたんじゃないかって思うんです。怖さの原因は結局、相手が何者かがわからないからでしょう。どこの国のどういう人なのか、何歳なのかもわからないから、自分より屈強に見えたり、自分より不良に見えたりする。僕だけが思ってるのかなあ(笑)。
六本木って世界の最先端、東京のど真ん中みたいに思いがちですけど、実際にそこにいる人の多くは、たぶん全国のいろんな土地から集まってきた人たちなんですよ。僕を含めて、東京の人口の半分は地方出身者だっていうじゃないですか。外国人だってそうで、みんながみんなニューヨークから来ているはずがない(笑)。オレゴンとかオクラホマとか、大都市から離れた素朴な土地から来た「おのぼりさん外国人」だってたくさんいると思うんです。
しかも、そういう人たちが、原宿みたいに地方色を出してなくて、おのぼりさんであることの隠し方を知っている。あとは一方で田舎を忘れたい、ふるさとを捨てたいって人が集まっているような気もします。たとえば地方にいたときは冴えないOLだった。だけど六本木に来てミニスカートをはいてたら、みんなからいいねいいねって言われる。そんな姿、昔の友だちには見られたくなる......みたいな。それはそれで、とても素敵なことだと思います。人が生まれ変わることのできる場所として。
僕は、ときどきテレビに出たりして、福島の出身だって知っている人もいるから、道を歩いていたり仕事をしていても、「僕も福島なんです」「俺も安積高校(注:箭内さんの母校)なんです」「第何期なんです」なんて、うれしそうに話しかけてもらうことがたまにあります。今まではきっと、そのことを隠してたりしてたくせにね(笑)。そんなこともあって、アマンド前の交差点を歩いている人たちが、単純にどこから来たのかを知りたいって思ったんです。
アマンド
たとえば、自分の出身都道府県の形をした、小さなバッヂを配るっていうアイデアはどうですか? 出身を隠したい人もいるだろうけど、形だけなら他県の人にはわからないじゃないですか。もちろん外国人用のバッヂは国の形。南アフリカの形のバッヂをつけている人を見かけたら、「俺も俺も! 懐かしいなあ。で、串とろのしじみラーメンはもう食べた?」とか「南アフリカ料理の店がここにあるんだよ」なんて、同郷人同士で話ができる。福島だったら、そうですね。「俺、会津若松市」「俺、郡山市」「『八重の桜』、見てる?」とか、そういう会話になるでしょうね。
ふるさとを捨てて整形もして東京で生きているとか、夜逃げをして連れ戻されたら大変なことになるって人はもちろんつけなくてOK(笑)。バッヂには、その県や国出身の人はもちろん、その場所に興味がある人も気づきます。バーで隣の席の人から話しかけられたり、ラーメン屋の店主とお客さんがコミュニケーションをとれたり。自然と、六本木がみんなのふるさとになるような仕組みやデザインがあったらいい。
串とろ
フランスワールドカップのときに、「ほぼ日」でTシャツのデザインを競い合う「T1グランプリ」という企画をやったことがあるんです。そのとき僕がつくったのが、真っ白いTシャツの全面に、紫のラインで世界地図がぐるっと一周しているデザイン。ワールドカップ会場に行っていろんな国の人がいるところで、「俺、ここの国から来たんだよ」って指してもらう、通称「オレココTシャツ」。指をさしたのが、ちょうどおへその横だったり、脇の下のくすぐったいところだったりして、そこから会話が始まる。それにちょっと似ているんですけど。
ほぼ日
「六本木と世界平和」なんていうテーマを思いついたのは、やっぱり東日本大震災があったからかもしれません。とくにあの原発事故以降、お前は賛成か反対かという話ばかりで、みんな対立しすぎていると感じます。もちろん自分の考えをちゃんと表明するのは尊いことですけど、考え方の違う人を攻撃するだけで、そのあとどうしたらいいかわからないっていうのが、今の状態。賛成派も反対派も、どちらも大切なものを守ろうと必死に生きている中で、対立が生まれてしまうのって本当は悲しいですよね。
僕がメンバーのひとりであるTHE HUMAN BEATSというユニットに、「Two Shot」という曲があります。これは違う考えの人とどう生きていくのかを歌いたかった曲。その中に「君と僕の違うところを尊敬しあいたい 僕と君の同じところを大切にしていたい」っていう歌詞があります。これこそ、世界平和にもっとも必要なことなんじゃないかなって思うんです。音楽の力でもいいし、デザインやアートの力でもいいし、笑顔で注意するのでもいい。何でもいいから、まず日本国内が思いやりを持って対話ができる状態になってほしいし、それが今、必要だと思って。
THE HUMAN BEATS
六本木には、東京ミッドタウンも六本木ヒルズもあるし、美術館も多くある。年齢も性別も国籍も様々な、いわば愛すべき「アンバサダーおのぼりさん」が集まっているわけで、人材という意味においては日本でも有数の場所。交流したり平和を掲げたりするのには、うってつけのキャストが揃っていますよね。バッヂをきっかけに、まさに六本木から対話がはじまっていく「六本木外交」(笑)。たとえば、タンザニアの人と知り合ったら、現地で山火事があったというニュースを見たときに、あの人の友だちは無事かなって、他人事じゃなく思えるでしょう。
交番の横かなんかに、でっかい白い世界地図があって、そこからバッヂをはがせたりするといいですね。サッカーのユニフォームみたいに交換してもいい。六本木に住んでいる人はゴールド、それ以外はシルバーにしましょうか。10年住んでいるともらえる、ゴールド免許みたいに。
よく東京の人から、「あんたは帰る場所があるからいいよね」と言われることがあります。ということは、東京の人はふるさとがない、地元がないって感じているんですね。もしかするとそのせいで、ふるさとを失う人の気持ちを想像するのが難しくなってしまうのかもしれません。震災直後にあった水の買いだめも東京に特徴的なことでした。これは怒っているわけでも批判でも何でもないんですけど。だからこそ、東京の人が自分の住んでいるところをふるさとだと思えたら、世の中がもっともっとやさしくなる気がします。
もちろん昔から東京に住んでいる人たちに、僕たち地方出身者たちが、どれだけ迷惑をかけてきたかもわかっているつもりです。ゴミを出して東京を汚しているし、酸素も吸って二酸化炭素を吐いてるし、他にもたくさん迷惑をかけている。いつも申し訳ないなあって。さっきの「違いを認め合う」っていう歌詞は、東京の人と地方から来た人が、どうやったら尊敬しあってやってけいけるかということにも通じるんじゃないかと思うんです。
僕自身が東京に出てきたのは、どうしても東京藝大に入りたかったから。自分がやりたいことは東京じゃないとできないと思っていたんです。今はそんなことありませんが、あんまり好きじゃなかったんですよ、ふるさとが。人が近すぎるんです。踏み込んでくる、というか土足で上がってくる。いつも人のウワサ話ばっかり言っていて、自慢をするわけでもなくみんなが自虐しあっている、あの感じが苦しかった。
だから東京に来たときは、すごくうれしかった。ちょっと言葉は悪いけど、かつらをかぶるタイミングってあるじゃないですか。僕にとって上京が、まさにそれ。自分の昔を知らない人ばっかりのところで、一から生まれ変わることができる。隣に住んでいる人の顔がわからないなんてさびしいとか、怖いとかいうけれど、それがあんがい心地いい。東京の人は、絶妙なデリカシーを持っているし、とても抱擁力が高いんです。
僕は、去年まで6年間、東京メトロのCMのプランニングをしていました。あのCMで伝えたかったのは、東京はあったかい街だということ。みんな東京は怖い、冷たいっていうけど、人と人がつながるいい距離感のある街なんだというのを知ってほしかった。
東京メトロのCM
でも、きっとどこかに、東京を怖い場所にしておかないと都合が悪い人たちもいるんだろうなとも思います(笑)。たとえばヒット曲を見ても、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」では「都会の絵の具に染まらないで帰って」と都会の怖さを歌ってるし、内山田洋とクールファイブの「東京砂漠」とか、「東京=コンクリートジャングル」なんて表現もよく使われますよね。だったらみんな東京になんか来なきゃいいのにって思うんだけど、それが逆に東京に行く覚悟を試すハードルになっていたり、夢破れて地元に帰っていくときのBGMにもなっているんでしょうね。
最後にこんなことを言うのはなんですが、正直、バッヂなんてどうでもいいんです。そもそも県なんて、明治維新のあとに誰かが決めた境目でしょう。宮藤官九郎さんが「被災地とか被災者という言葉は好きじゃない。日本が被災地で、日本人が被災者なんだ」と言っていましたが、それって「日本がふるさと」「世界がふるさと」っていうのと同じこと。バッヂをつけることでみんなが仲よくなって、最終的には、県とか国の違いなんて関係ないんだ、っていうふうになったらいいなあって思うんです。
取材を終えて......
「そんなにちゃんと考えてるわけじゃないですよ......」と言いながらも次々と話を展開させて最後はキッチリ着地させるのが箭内さんのすごいところ(しかも、雑談や面白いエピソードを交えながら!)。私が箭内さんを取材をさせてもらう機会はこれまでにも数回あったのですが、インタビューでうかがった話すべてを記事に盛り込めないことをいつも残念に思っていました。今回は本文に入れられなかった雑談の一部をブログに掲載しましたので、そちらもぜひご覧ください。(edit_kentaro inoue)