31 浅葉克己 (アートディレクター)

浅葉克己 (アートディレクター)

世界中を旅し、自らを地球文字探検家と語るアートディレクターの浅葉克己さん。この日、独自の「浅葉文字」で書いた「六本木未来会議」の文字を表装して持ってきてくれました。広告、タイポグラフィの第一人者として、数々の名作コマーシャルやポスターをつくってきた浅葉さんが考える、六本木をデザインとアートの街にするアイディアとは? まずは六本木の思い出話から伺います。

update_2013.6.19 / photo_taro hirano / text_tami okano / edit_rhino

六本木が生んだ「北極圏人会」

北極圏人会
1978年、北極へ冒険に行くことを目的に浅葉克己さんの号令で発足した団体。コピーライターの糸井重里さん、カメラマンの富永民生さんらとともに、北極探検の拠点の町、レゾリュートやイヌイの学校を巡り、20日間に渡り旅をした。

 昔の六本木といえば「酒を飲む街」というイメージですね。行けば必ず飲み仲間が何人もいて。1978年には糸井重里さんがネーミングしてくれた「北極圏人会」という集まりをつくって、多いときは毎週40人くらいで集まって飲んでいました。なぜ「北極圏人会」かというと、当時植村直己さんが犬ぞりで、堀江謙一さんはヨットでそれぞれ北極点を目指すという話を読売新聞の記者から聞いて、じゃあクリエイターも北極点に行って頭を冷やそう、と。大勢参加すると思ったのですが、結局、僕と糸井さんとカメラマンの富永民夫さんのたった3人で北極に行くことになりました。まあ、そんなことも六本木で飲んだことからはじまったんですよね。

石の卓球台が生む、コミュニケーション。

石の卓球台
2008年に21_21 DESIGN SIGHTで開催された「祈りの痕跡。展」で設置された、石で作られた卓球台。茨城県笠間市で採掘される、稲田の石を使いつくられた卓球台は「街の中、風に吹かれて、どこでも卓球を楽しみたい」という浅葉さんの願いから実現した企画。

 六本木をデザインとアートの街にするとしたら、僕ならまず石の卓球台を置きたいです。僕がデザインした石の卓球台が、太田区新田神社に置かれています。四国には、しまなみ海道のイベントのために一枚の石からつくった、重さ10トンの卓球台もあります。東京ミッドタウンにも、ぜひ常設したいですね。その卓球台を使って何がしたいかというと、卓球はもちろん、コミュニケーションの場として活用して欲しいです。例えばスポンサーとアーティストが会議をしてて、卓球のスマッシュのように「今のアイディアいただき!」とか言ったりして。卓球は一人でできないコミュニケーションスポーツなので、ネットをしっかり張った石の卓球台で会議や打ち合わせをすると、きっとうまくいくとおもいます。

 というのも僕が家を建てたとき、大先生の杉浦康平さんに1階を何に使ったらいいかと相談したのですが「卓球場に決まっているだろう」と言われ、1階の天井を高くして、卓球場をつくりました。もちろん卓球もしましたが、よく卓球台をテーブル代わりにつかって会議をして、いいアイディアがたくさん生まれた経験があるんです。